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趣里さんが主演を務めるNHK連続テレビ小説(朝ドラ)の「ブギウギ」の放送が10月からスタートした。
モデルは、「東京ブギウギ」などの名曲で知られる戦後のスター、笠置シヅ子さん。人物名や団体名など一部改称してフィクションとして描くという。
「ブギの女王」として戦後の日本で一世を風靡した笠置シヅ子さんとはどんな人物なのか。その一生を振り返る。
香川県生まれ。作曲家・服部良一とタッグ組む
笠置シヅ子(本名:亀井静子)さんは、1914年に香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)で生まれた。生後まもなく父親が亡くなったこともあり、養女として大阪で暮らす亀井夫妻のもとで育てられた。
幼い頃から日本舞踊や三味線を習っており、1927年に、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入り、「三笠静子」の芸名で初舞台を踏む。
転機となったのは、作曲家・服部良一さんとの出会いだ。芸名を「笠置シズ子」と改め、ジャズ歌手として活動。「スウィングの女王」として人気を博すも、戦時中はたびたびの公演中止を余儀なく、歌手活動も減っていった。
シヅ子さんの最愛の人だったのが、戦時中に出会った、吉本興業の創業者・吉本せいの子息である吉本穎右さん。周囲の反対もあり結婚は叶わなかったが、戦後1947年に穎右さんとの間に長女を授かった。
戦後「東京ブギウギ」が大ヒット
公私ともに様々な逆境を乗り越え、1947年に発表した「東京ブギウギ」は大ヒットを遂げた。戦後の日本で「多くの人が明るいリズムに心躍らせた」として高く評価されたという。
その後も「大阪ブギウギ」「買物ブギー」などが注目を集め、「ブギの女王」と呼ばれるように。「ブギウギ」とは、1920年代のアメリカで黒人のピアニストによって生み出された、ピアノによるブルースの変奏形式。日本でも流行し、1940年代にはタイトルに「ブギ」と入った楽曲が多く作られた。
「東京ブギウギ」は美空ひばりさんをはじめ多くの歌手にカバーされ、今なお愛される1曲として歴史に名を残した。
しかしその後ブギの人気が低下し、1956年に「たよりにしてまっせ」を発売したのを最後に引退した。
その後は芸名を「笠置シヅ子」に改め、芝居やテレビドラマなどで活躍。1985年3月30日、70歳で亡くなった。
服部良一さんをモデルとした作曲家、演じるのは草彅剛さん
朝ドラ「ブギウギ」で、趣里さんが演じる主人公の名前は花田鈴子。服部良一さんをモデルとした作曲家は羽鳥善一で、草彅剛さんが演じる。
また、鈴子の良きライバルとなるのが、菊地凛子さんが演じる茨田りつ子。モデルは、「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんだ。ともに服部さん作曲の楽曲を歌っており、「ブギウギ」の劇中でも、鈴子とりつ子は時に競い合い、時に支え合いながら芸能の世界を生きていくというストーリーだという。
<参考文献>
・宝島社「笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記」
・日本コロムビアオフィシャルサイト「笠置シヅ子とブギウギの時代 特設ホームページ」
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
朝ドラ「ブギウギ」のモデル、笠置シヅ子とはどんな人? 一世を風靡した「ブギの女王」の生涯