指を失った父が、あなたを見て、またスポーツを始めた。
東京パラリンピック・アーチェリー(女子個人リカーブ)のイラン代表、ザハラ・ネマティ選手は、ファンから感謝を伝えられたことを覚えている。
過去に韓国に行った時のことだ。オーストラリア人の男性が話しかけてきた。
「あなたがオリンピックに出ることは、私たちの家族にとって、とても大きな影響を与えてくれる」
ネマティ選手は前回リオ大会で、オリンピックとパラリンピック両方の競技に出場。オリンピックの開会式ではイラン選手団の旗手を務め、パラリンピックでは金メダルに輝いた。
男性の父親は、指を失った影響で長くスポーツをしていなかったが、開会式のネマティ選手の姿を見て、またスポーツを始めたという。
「世界中の人たちの転換点をつくれたことは誇りです」と、ネマティ選手は感じている。
ハフポスト日本版のインタビューで、自身の歩みや女性スポーツ、社会の中での障害などについて聞いた。
「イラン人女性の将来のルールや生活を変えるもの」
ネマティ選手はもともとテコンドーの有段者だったが2004年、車の事故で脊椎を損傷し、車いすを利用するようになった。
事故から2年後にアーチェリーをはじめ、2012年ロンドンパラリンピックでは、初出場で金メダル。イラン人女性アスリートとして、オリンピックとパラリンピックを通じて初の金メダリストになった。
大会前、誰も成し遂げたことのなかった挑戦に対して、ネマティ選手は「私の手でやらないと」と自身を奮い立たせたという。
それまでの道のりをこう振り返る。
「私の人生で、たくさんの浮き沈みや、つらい出来事がありました。(けがで)テコンドーにさよならと言わなければいけない日があって、そこからアーチェリーを始めました」
ロンドン大会は、自分自身の挑戦だった。
けがをした後に始めたアーチェリーで金メダルを獲ったことは、「人生のたくさんのことを変えることができるということを、私自身に示してくれた」と捉えている。
その経験から「私は他の人に対しても、そのことを示そうとしているのです」と伝える重要性を感じている。
ネマティ選手の活躍は、イラン社会にとって、とりわけ女性たちに大きな影響を与えている。
イスラム主義を取るイランは、公共の場でヒジャブの着用が義務付けられているなど、女性に対する厳しい戒律で知られている。
イランでは1979年にイスラム革命が起き、1981年から女性はサッカーなどのスポーツ観戦が禁じられていた。2019年に40年ぶりに女性がサッカー観戦できるようになったが、女性がスポーツの場から排除されてきた歴史もある。
東京2020大会は、出場アスリートの女性比率がパラリンピックが41%、オリンピックが約49%と、史上最もジェンダーバランスがとれた大会となったが、イランはパラリンピックは14%(63人中女性9人)オリンピックが15%(65人中女性が10人)にとどまっている。
ネマティ選手は、自身のアスリートとしての活躍が「イラン人女性の将来のルールや生活を変えるものだと思うと、とても嬉しい」と振り返る。
「とてもたくさんのイランの女の子たちのモチベーションを上げたように感じました。2012年以降、女の子たちによる数多く成功を見てきました」
「特に障害のある女性にとって、(スポーツは)確実に自発性を育むものです。障害によって彼女らが感じているかもしれない、自身に対する過小評価を和らげるのです」
続く2016年リオ大会ではパラリンピックの女子個人で2大会連続の金メダル。同時に出場したオリンピック開会式ではイラン選手団の旗手を務め、名実ともに、イランアスリートの「顔」となった。
そうした功績が認められ、国連のSDGs大使(国際理解)に選ばれ、2021年には国際パラリンピック委員会(IPC)の国際女性デーアワードを受賞している。
パラリンピックは、何をもたらす?
東京パラリンピックには、3大会連続の金メダルをかけて臨んでいるネマティ選手。過去2大会に出場した経験を踏まえて、パラリンピックが社会にもたらす影響はどう映っているのか。
自身がたくさんのファンから勇気づけられているのと同時に、パラリンピックの存在が「全ての人たち、特に人生で大きな変化があった人たちにとっての社会(を作る)の動機付けになる」と説明する。
「私のように、彼らの一人ひとりが、自分たちの社会や世界に対して彼らなりのメッセージを持っている。おそらく、私たちは人生のどこかの瞬間に、何らかの課題や困難を経験しているでしょう」
海外を訪れた際にも、パラリンピックの影響を感じるという。
日本人を含めてたくさんの女の子たちが、ネマティ選手の元に来て、「母親のような存在だ」と話してくれたこともあったと明かす。
コロナ禍のパラリンピック
コロナ禍のパラリンピックで、安全面のリスクや開催是非を問う声もあり、出場アスリートも難しい立場に追いやられている。
ネマティ選手は「コロナは全てを変えました。間違えなく大変なものです。世界のあらゆる場所で愛する人が失われた」と危惧する一方で、アスリートの安全確保については、IPCや日本、NPC(各国のパラリンピック委員会)の対応を信頼しているという。
パラアスリートは特にコロナに関するリスクが高いことは認めつつ、「乗り越えるべき挑戦」とも捉えている。
その上で「毎日のプレイブックの遵守やソーシャルディスタンスの確保などが、競技という選手の最大の役目に集中することを妨げるかもしれないことは懸念しています」と打ち明けた。
「障害は“公のもの”」
「合理的配慮」という言葉がある。
障害のある人から、社会にあるバリアを取り除くために何らかの対応が必要だと伝えられたときに、負担の重すぎない範囲で対応することが日本では求められている。
車いすユーザーのコラムニスト伊是名夏子さんが4月、エレベーターのない駅を利用した際の体験をつづったブログを公開。鉄道会社の「合理的配慮」について問題提起する内容だったが、ネット上で「わがままだ」などの批判が広がった。
ネマティ選手に考えを尋ねると、過去に日本を旅行した際のエピソードを明かした。
地下鉄を利用する際にエレベーターが見つからなかったため、その場から移動して、別の駅を探さないといけなかった経験があったという。
ネマティ選手は「アクセスができない施設や場所があったとき、私は(周囲の)人々が何かすることに期待はしません。(そのような状況に対処できるよう)政府が責任を持つべきなのです」と訴える。
「私は、障害は、その国の全てのひとにとって“公のもの”だというふうに言います。例えば、背が高い人もいれば、低い人もいる。瞳の色もそれぞれ違うでしょう。政府は、人びとの多様性や、異なる特徴を尊重して、平等な権利を与える必要があるのです」
Source: ハフィントンポスト
指を失った父が、あなたを見てスポーツを始めた。五輪出場の車いす選手がファンから伝えられたこと