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解離性同一性障害がありセラピストでもある私。現実はテレビで描かれるのとは全く違う

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現在の筆者。「ジェイミーは職場外で存在し、『車を運転している』」と筆者は述べる。「大人のジェイミーが運転してるけど、他の同乗者も運転に頻繁に口を出すんです」現在の筆者。「ジェイミーは職場外で存在し、『車を運転している』」と筆者は述べる。「大人のジェイミーが運転してるけど、他の同乗者も運転に頻繁に口を出すんです」

映画やテレビでの解離性同一性障害の描かれ方は酷いものが多い。

かつては多重人格障害として知られていた「解離性同一性障害」の人々の人生を、ハリウッドは安っぽい物語のネタとして利用することに夢中だ。

それは、『イブの三つの顔』や『失われた私』などかなり昔の映画から、最近のマーベルドラマ『ムーンナイト』まで多岐に渡る。

こうした作品の描写はかなり間違っているだけでなく、いろんな意味で見るに耐えない。セラピストであり、解離性同一性障害の当事者でもある私/私たち(私の代名詞は単数系と複数形を行き来する)は、解離性同一性障害や他のメンタルヘルスの苦悩に対する偏見と未だに闘わなければならないと思い知らされる。

私/私たちについて

解離性同一性障害があるセラピストは実際たくさんいる。私/私たちはその一人だ。「解離性同一性障害がある人」というフレーズは、私たちのコミュニティで広く使われるようになりつつある。これは、私たちの心を「病気の原因」としてだけでなく、「奇跡」として見るための重要な一歩だ。

多くの場合、私/私たちは自分たちを、まとめて「私」として捉えているが、場合によっては、「私たち」と呼ぶ方がしっくりくることもある。私たちが自分のことを複数形で呼ぶことは、子どもの頃から自然なことだった。

私たちは、幼少期の成長過程で受けた傷と、精神的なトラウマに反応して形成された5つの部分(人格)からなる「システム」だ。実際には、43歳の大人、ジェイミーとして存在していて、例えるなら私たちの人生の車の運転手だ。より職業的なバージョンの「ジェイミー先生」にもなることができて、物事を成し遂げる驚異的な能力を持っている。

どちらのバージョンのジェイミーも、同乗者たちから強く指示される。フォー(時々ルーシーとも呼ばれる)、ナイン(私/私たちの名前をいつもジャイメと綴る)、、そしてナインティーンだ。私たちのこれらの人格は、心に傷を受けた年齢でそれぞれ切断され、私たちの中に残った。言語学的には「解離」を意味し、切断、分離だ。

4歳の時の筆者。「顔のレインボーペイントを見て!私の中にいる4歳(ルーシー)は、私にとって今こう見えてるの」のと筆者4歳の時の筆者。「顔のレインボーペイントを見て!私の中にいる4歳(ルーシー)は、私にとって今こう見えてるの」のと筆者

「解離性同一性障害者であることを伝えることほど怖いことはなかった」

あなたはきっとこう思っているだろう。「なぜこの人がセラピストの資格を持ってるの?こんなに『分裂』している人にクライアントの健康を任せるなんて危険!」と。こうした反応はよく見られる。そこには、解離性同一性障害に関する誤情報と偏見があるからだ。

実際には、解離性同一性障害を持つセラピストは多くいて、素晴らしい仕事をしている。しかし悲しいことに、コミュニティの多くの人々は偏見の目で見られたり信用を失うことを懸念し、同僚にさえも障害を公表すること恐れている。

私/私たちは、同僚やその他多くの人に対して多くのことを公表している。2003年の大学院初日から、私/私たちは依存症からの回復について公にしていた。2015年には、バイセクシャル女性であることを仕事関係者や保守的な家族に対しても完全にカミングアウトした。

でも、解離性同一性障害者であることを伝えることほど怖いことはなかった。多くの悪魔と闘った末、2018年に同僚たちに公表した。「私/私たちはジェイミー先生ですが、それ以上に重要なのは、解離性同一性障害のあるジェイミーであることです」

実際に9歳だった時の筆者。「9歳の私は、率直でユーモアがあり、嘘を見破る能力を持っています」実際に9歳だった時の筆者。「9歳の私は、率直でユーモアがあり、嘘を見破る能力を持っています」

教育不足からくる偏見や懸念

少なくとも私たちを面白いと思ってくれる一般の人たちに比べ、治療の専門家たちは、解離性同一性障害がある人たちを敵対視することがある。特に精神科医など、解離性同一性障害が正当な心理学的構成概念ではないと信じている専門家はいまだに多くいる。「話をでっち上げてるだけだ!」と言われるのは日常茶飯事だ。

解離性同一性障害が正当であることを知っている専門家でさえ、私たちと治療に取り組むことに不安や恐怖を感じていることがよくある。さらに害を及ぼすのではないか、解離した場所から戻せなくなるのではないか、さらなる混乱を招くのではないか、といった恐怖があるのだ。

こうした懸念は、トラウマや解離に関する教育不足によるものだ。そして残念ながら、多くのセラピストはこの症状に関する情報を主にメディアから得ている。
アライ(理解者・支援者)を公言する人たちは、私たちの個々の人格が生活における問題の原因であり、何らかの統合や混合に導かれるべきだ、と時々考えることがある。私/私たちが知っている当事者コミュニティの殆どの人は、こうした介入に憤慨しており、微妙ながらも一種の侮辱だと感じている。

実際には、複数の人格がある「システム」の中で、自分なりの手段で癒しを定義する方法はたくさんある。それぞれの人格がより効果的にコミュニケーションをとり、繋がりを築くことを手助けすることが、適応的で有意義な人生につながるのだ。

人々は、複数の人格を持つことは恥ずべきことではなく、誇りを感じていいと気づき始めている。私たちの多くが、ソーシャルメディアやその他のサポートグループを通じてお互いを知り、私たちが持つ複数の人格が問題の原因であるという通説を否定するようになっている。問題はトラウマで、それに対して私たちの素晴らしい心がどう反応したかではない。

実際に19歳だった時の筆者。「この年に、解離反応としてアルコール依存が始まった。今私が経験し見ているナインティーンは、この写真の女の子とよく似ている」実際に19歳だった時の筆者。「この年に、解離反応としてアルコール依存が始まった。今私が経験し見ているナインティーンは、この写真の女の子とよく似ている」

優れたセラピストは、自身の癒しにも取り組む

2004年に解離を恐れず適切に診断してくれた有能なトラウマセラピストに出会えたことに、私/私たちは感謝している。診断名というレッテルを貼られたことに複雑な思いはあるが、私たちの苦悩が「解離」という視点で説明されたことで、考え方は一変した。

興味深いことに、私/私たちは大学院でメンタルヘルスのインターンシップをしている間に診断を受けた。その時点で、私たちは薬物やアルコールを断ち切って2年経っており、受けたサポートを少しでも恩返しするため、新しいキャリアを始めようと意気込んでいた。

しかし、子どもたちに対するメンタルヘルス制度の扱いを見て、私/私たちの癒やされていない古傷が浮き上がってきた。そういった状況では、私/私たちは常に解離を繰り返していたが、そういった状況では、私たちは常に解離を繰り返していたが、気にかけてくれる同僚がこのことに気づき、さらにサポートを求めるよう提案してくれた。

「ジェイミー、あなたはいつも上の空だね。心ここにあらずという感じで」と同僚は同情してくれた。

多くのセラピストは、自分自身の癒やされていないトラウマを認めなければ、サポートする職務に飲み込まれてしまう可能性がある。優れたセラピストは、患者のヒーローになることだけに集中するのではなく、自身の癒しにも取り組むものだ。

過去10年間、多くの解離性同一性障害のセラピストと知り合った結果、私たちを癒すのはおそらく自分自身であるとわかった。この分野で生き残るにはそうする必要があるからだ。そしてそれが、私たちを最高のセラピストにしている。

ジェイミー先生が解離性同一性障害のコンファレンスで話をする様子ジェイミー先生が解離性同一性障害のコンファレンスで話をする様子

私たちから学ぶべきことはたくさんある

 私/私たちが講演やワークショップをすると、必ずというほど他のセラピストから「私も」というメッセージやコメントをもらう。解離性同一性障害のあるセラピストの存在をもっとオープンにするための手助けができることを光栄に思うし、この同業者や社会全体に教えるべきことがたくさんあるのだ。

私たちがこの仕事を通じて教えたいのは、人間の経験において解離は正常な一部であるということだ。解離は、私たちが苦境に立たされた時に火が付く、脳内のいくつかの機能の結果なのだ。解離は、私たちを守るため、あるいは要求を満たすのを助けてくれる。

退屈していた時、圧倒されていた時、苦悩していた時のことを思い出してほしい。その時に白昼夢を見たり、上の空になったりするのは自然なことだったのではないだろうか。おそらく、不快な現実から逃れるために、スマホやテレビを見たりしたかもしれない。みんなそういったことをするし、多くの場合、それは全くもって健全なことだ。

しかし、あらゆるメンタルヘルスの問題と同様、最初は適応できていたものが、追求や対処が遅れると、有害になっていくことがある。複雑なトラウマや機能不全の中で日々成長してきた私たちのような人々にとって、解離は生存のための手段となる。組織的な抑圧や差別に晒されながら成人した人たちにとっては、さらに重要なことだ。(保守的なキリスト教の家庭で育った私/私たちは、もちろんそれを経験した)

多くの人は、人生の重荷をより完全に背負うために、複数の人格を発達させる。解離性同一性障害と共に生きることは、時に超能力を持っているように感じる一方、重要な障害であるように感じることもある。

重要なのは、自分のさまざまな側面を全て受け入れることを学び、癒やされるために何が必要なのかを見極め、お互いと上手くコミュニケーションすることだ。

大きな偏見にも負けず成功を収めている解離性同一性障害のあるセラピストほど、このプロセスに取り組んできた人はいないだろう。私たちから学ぶべきことはたくさんあるだろう。

これからの将来への願いは、私たちのより多くが公表し共有することだ。そして、より多くのみんなが、オープンなマインドだけでなく、オープンな心で耳を傾けてくれることを願っている。

ーー
ジェイミー・マリック(she/they)博士は、解離性同一性障害やトラウマ、依存症などに関するの著者。また、オハイオ州を拠点とする表現芸術とEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)両方のトレーニング機関「Institute for Creative Mindfulness」の創設者でありCEO。TEDxのスピーカーでもあり、メンタルヘルスを支援する活動で複数の受賞歴がある。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。

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解離性同一性障害がありセラピストでもある私。現実はテレビで描かれるのとは全く違う

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