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毎年、母の日は5月の第2日曜日と決まっています。
2023年の母の日は、5月14日の日曜日。
日本では、感謝を伝えたり、カーネーションなどのプレゼントや手紙を贈ったりする慣習があります。
「母の日」誕生の由来は? 起源は諸説ありますが、アメリカのある一人の女性が母の日を広めたと言われています。
しかし、その女性はその後、母の日の「反対派」に。いったいなぜ?
平和を訴えた母の命日が始まり
1908年、バージニア州に住むアンナ・ジャービスさんが、自身の母親の2回目の命日を追悼しました。追悼式の祭壇にはカーネーションの花が飾られており、これが最初の「母の日」と言われています。
HISTORYによると、生前アンナさんの母アン・リーブス・ジャービスさんは、「母の日ワーク・クラブ」(Mother’s Day Work Club)を組織し、1861~1865年の南北戦争では、負傷した兵士たちを助ける活動を行なっていました。
終戦後も、アンさんらは「母の友情の日」(Mother’s Friendship Day)と題し、平和を訴える活動を続けました。
また、1870年には、アメリカの愛国歌「リパブリック讃歌」(The Battle Hymn of the Republic)の作詞者であり、女性の権利活動家のジュリア・ウォード・ハウさんが「母の日宣言」を行い、女性の政治参加と平和を呼びかけました。
1908年以降、娘のアンナさんの呼びかけで、母の日はアメリカ中に広がっていき、1914年にアメリカでは、5月の第2日曜日が「母の日」に制定されました。
ところが、後にアンナさんは母の日を廃止する活動に携わるようになります。
「母の日の商業化」にうんざりしていた。
ナショナルジオグラフィックによると、アンナさんが考えていた「母の日」は、母親を敬い感謝する家族間の個人的なお祝いの日。
しかし、次第に花屋やグリーティングカード会社などの企業が参入し、「母の日」は商業的な日に変貌していきました。
その変化にうんざりしたアンナさんは、ボイコット運動を呼びかけ、「母の日」という名前を使用するグループを相手取って多くの訴訟を起こしたそう。商業化した「母の日」の廃止のために、多くの財産と時間を費やしてきました。アンナさん自身は結婚せず、子どもはいなかったといいます。
その活動は少なくとも1940年代初頭まで続き、アンナさんは1948年、84歳の時にフィラデルフィアの療養所で亡くなりました。
日本ではどう広がった?
日本に母の日が伝わったのは、明治時代の末期頃と言われています。
ウェザーニュースによると、日にちは当時の皇后様の誕生日3月6日。一般にはあまり普及しなかったといいますが、大手お菓子メーカーの森永製菓が1936年に「森永母を讃へる会」を結成し、「森永母の日」の行事を全国規模で展開。
これをきっかけに全国に広がり、アメリカにならって日本でも、5月の第2日曜日が母の日となりました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
知ってる? 母の日を作った女性は、後に「反対派」になっていた【5月14日は母の日】