※このエッセイには筆者が過去に経験した性的暴行の描写が含まれます。
私の初デートは25歳のとき。相手は大学時代に同じ授業を受けていた人だった。
ある日偶然再会し、少しおしゃべりをした後、彼は私をデートに誘った。映画を見た後、月に照らされた川が見える公園までドライブをした。
彼のことは好きだったけど、とても緊張していた。彼が腕を回し私を引き寄せ、首にキスをして髪を撫でると、私は固まってしまった。リラックスするよう言われたけど、キスされた時には震えていた。彼はキスを止め、私を家に送り届けてくれた。でもそれ以降連絡はなかった。
その後4年間の恋愛も、その繰り返しだった。
デート相手に手をつながれただけで怖くなり、冷たい印象を与えてしまい、2度目のデートに誘われることはなかった。
私には自閉症の特性がある。でも「高機能自閉症」だから、学業もキャリアも順調で、ほとんどの場合、特に問題がないように見られる。
でも10代の私は、周りからいじめられ、友達のいない内気で変わった女の子だった。
大人になり、職場ではどうにかうまく「振る舞って」いたけど、人混みや喧騒には圧倒される。
30歳を目前に、私は処女を捨てるために必死だった。職場で言い寄ってくる年上男性に「セックスについてなんでも教えてあげる」と言われ、特に彼に魅力を感じなかったにも関わらず、7年間も時々会い続けた。なぜかは分からない。
彼と一緒にいる時、私の体は硬直し冷えていた。膣での性行為はしなかったけど、彼はよくサディスト的に脅迫し、私は怖くて痛い行為に耐え忍んだ。その全てが嫌だったが、口には出さなかった。結局彼とは別れたけど、その頃はもう、男性から注目されたいとは思えず、女性としての価値がないとすら感じた。
それから11年間、私は働き、家を買い、良い友達を何人か作り、趣味を楽しんだ。
そして48歳の時、人生が変わった。突発性拡張型心筋症と診断され、70%の可能性で5年以内に死ぬと言われたのだ。
心臓の専門医から廃疾退職するよう助言され、それから1年間、私は起きているより寝ている時間の方が長かった。しかし、その頃発売された新薬に私の心臓がうまく反応し、再び動けるようになった。
私はやりたいことをやり始めた。休暇をとって西海岸に海を見に行き、書きかけの小説を書き上げた。満足感は得られたのに、心の中はまだ空っぽに感じて悲しくなった。
「死ぬかもしれない」と言われていた「5年後」が過ぎ、私はまだ生きていた。
ある晩、ブラッド・ピットが出演する映画を見ていた。見終わる前に、私は彼への欲望でいっぱいになっていた。その時、私は虚しさの正体に気づいた…。それは男性からの愛情や優しさだったのだ。でも得る方法が分からない。手が届かず安全なセレブたちを妄想するだけだった。
さらに年月が過ぎ、薬が効かなくなり、また心臓が悪くなった。私は医師に提案された新種のペースメーカーを試し、幸運にも装置はうまく機能してくれた。
私の心臓は診断を受けて以来最高の状態にまで改善したが、同時に死と残された時間についても意識し始めた。
抱かれ、キスされ、愛撫されるのはどんな感じなのか知りたかった。
友人に男娼を雇うことを勧められた。自分で状況をコントロールできるし、自分が望まない限りセックスを強要されることがないだろう、と。興味は湧いたものの、実際に男娼を雇う勇気はなかった。
それでも、ネットで男娼の代理店や個人サービスを探し始めた。でも、彼らの自己紹介を読むと、私の状況に適してる人は見つからなかった。
ある深夜、1人の男性のウェブサイトに行き着いた。ここでは彼を「アントニオ」と呼ぼう。彼は誠実で、優しく、相手を尊重する人に思えた。私は日々彼のサイトを訪ね、いつしか彼を妄想するようになった。
そして、ついに連絡をとることにした。でも、依頼を断られるのではないか、話したら私の社交性の無さを怖がられるのではないか、と不安だった。メールになんて書いていいか分からず、ただ正直になることにした。
「私は中年の女性で、殆ど男性経験がなく、あってもそれは不快なものでした。人生の大きな喜びの1つを逃してしまっている気がしています。どうにかしたいのに、私は男性に臆病すぎて、そこまで辿り着けません。心の中では、まだ世間知らずな少女のような気持ちです。
魅力的で辛抱強く、繊細でプレッシャーをかけてこない男性と、一生に一度でいいから官能的な体験をしてみたいです。そんな男性に触れ、触れられたいんです。
あなたがその唯一のチャンスだと思っています。いろんな代理店や個人サイトを見たけど、結局いつもあなたのサイトに惹かれるんです」
数時間後、アントニオから返信があった。
「この妄想を現実にし、あなたにとってエキサイティングな冒険にできると信じています。あなたを甘やかし、キスし、これまであなたが得られなかった愛情や優しさを与えることができるでしょう」
彼に電話するよう言われたが、怖くてできなかった。代わりにほぼ毎日メールをするようになった。ほどなく私は自分についてほぼ全てを語り、彼は時間をかけてそれを整理し、私が自分を理解し許す術を教えてくれた。
そして彼が電話をくれた。彼の笑い声と楽しい話に魅了された。たとえ私がデートの予約をしなくても、電話で話し、サポートしてくれると言った。
1年間のやりとりを経て、アントニオに会いたくなった私は、家から近い街のホテルで会う約束をした。彼を待つ間に気が変わりそうになったけど、どうにか自分を説得した。
アントニオが到着し、緊張しドアを開けるのに苦労していた私を手伝ってくれた。彼にキスをされ、私がいつものように固まると、彼は「早すぎるかな」と言って、座って長い会話を楽しんだ。彼は私に、自分らしく、彼の目を気にせずいるよう促した。
話しているうちに、彼は私を少しづつ引き寄せた。私はそれが好きだった。彼に寄りかかり、肩の力を抜いた。彼は穏やかで優しい人だった。
その夜セックスには至らなかったけど、彼はマッサージをしてくれた。いつのまにか私は裸になっていて、生まれて初めて官能的な体験を楽しんだ。私たちは夜中まで語り合った。
2回目のデートには、週末に彼が私の家にやって来た。まだセックスの心構えができていない私に、彼は何のプレッシャーもかけなかった。
多くの人の想像とは裏腹に、男娼を雇うことは必ずしもセックスのためだけじゃない。成功している男娼は、理解力や適応力があり、利他的でなければならない。アントニオはその全ての資質を十分に兼ね備えている。
私たちは一緒に散歩や料理を楽しみ、映画を観たりスローダンスをして、何時間も話した。彼を絶対的に信頼し、男性と一緒にいてこれ以上の安心感を得ることはないだろうと思った。
ついに私は、彼を訪ねにロサンゼルスに行くことにした。飛行機が苦手だったけど、どうしても行きたかった。小さく混雑していない空港から出発し、機内では映画に集中してどうにかなったが、巨大なロサンゼルス空港の混雑は想像を超えていた。
タクシーでホテルに向かい、アントニオとそこで合流する予定だったが、あまりの人や音の多さに圧倒され、メンタルが崩壊しそうになった。何とかしようと、静かな一角を見つけ、深呼吸をしてアントニオに電話をした。彼は私を迎えに来て、抱きしめてくれた。
その後も可能な限り彼との週末デートを予約し、私の自宅やロサンゼルスで会い続けた。
ある夜、アントニオは私をゆっくりと、「いちゃつき」以上の世界へ導いてくれた。私は59歳でついに、バージンを「卒業」した。あの不健全な「関係」から20年以上が経っていた。そんな長い時間を経て手にしたこの体験は、まるで甘い夢のようだった。
アントニオはロサンゼルスの街を案内し、興味深い話を聞かせてくれる。レストランではゆっくり美味しい料理を食べる。隅っこや壁際を好む私にいつも応えてくれる。夜には抱き合い、深い話をする。
自閉症とも向き合っていかなければならないし、心筋症と生きる将来への不安は常に付きまとうけど、以前より今の方が自分の状況に平穏を感じている。
もしアントニオに出会っていなければ、ありのままの自分を受け入れてくれる忍耐力のある男性を見つけられていなかったかもしれない。求めていた愛情も経験できなかったかもしれないし、人生の重要な一部を逃してしまったとずっと後悔していたかもしれない。
私のような悩みを抱える女性にとって、男娼を雇うことをすぐに考える人はあまりいないと思う。でも、意外と良い選択かもしれない。候補者を徹底的に調べることは重要だけど、評判の良い男性はたくさんいる。
私のような特性を持っていたり、極度に内気な女性にとっては、ぎこちなさを克服し、一般的なデート環境に慣れるまでの第一歩になるかもしれない。また「普通」のデートについて回る様々な「期待」を気にしなくて良いことも、安心の要素になるはずだ。
アントニオとの関係について、私は何の幻想も抱いていない。実際、お金を払って彼の時間を買っているという事実が気に入ってる。そのおかげで、「普通」の関係ではできないような決断ができる。男娼と顧客の関係において、対等であると感じる。
恋愛や性的関係のために人を雇うことを、下品だとか間違ってると考える人も多い。でも、それ以外の方法ではそうした関係を築けない人もいる。これは、同意した大人2人の個人的な選択だと思う。
アントニオと会い始めて数年が経つが、私は以前よりずっと幸せな人間になっている。知人には「何をしたらそんな『キラキラ』輝けるの?」と聞かれた。教えなかったけど、アントニオのおかげだ。
もっと他の男性ともデートして、親密な関係を築くことにチャレンジするようアントニオには勧められている。後押しには感謝するけど、今後もそうしたことをしたいとは思わないだろう。現時点でわかっているのは、この素晴らしい男性のおかげで、私はもう壊れてはいない。彼の腕の中で寝ている時、私は十分満たされていると感じる。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
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59歳で初めてセックスをした私。男娼を雇って得た体験は、甘い夢のようだった。