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※2022年にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:8月30日)
ほとんど10分置きに繰り返される、生理や不正出血のシーン。ベッドシーツや服、下着を汚した主人公は「またか」という顔で取り替えるーー。
映画『セイント・フランシス』では、約100分の上映時間で、何度も主人公の「血」が流れる。
主演兼脚本家のケリー・オサリヴァンは、「この血はショッキングに誇張したものではない」と話す。本作で、オサリヴァンは自身の中絶経験をもとに脚本を執筆した。
「自分が日常的に経験してきたことを、そのままカメラに映しただけ。中絶や生理など、女性の身体や性をめぐるスティグマから脱することに挑戦したかったんです」
多くの映画で、中絶は「トラウマ的に」描かれてきた。そしてそれを変えたかったーーオサリヴァンはそう訴える。
「妊娠した女性が悩んだ結果子どもを産む」ストーリーが賛美されがち
『セイント・フランシス』は、オサリヴァン自身が20代でナニー(代理育児)を、30代で中絶を経験したことをもとに、脚本を執筆した。
映画の主人公のブリジットは34歳の独身。黒人とヒスパニック系のレズビアンカップルのもとで、ナニーとして6歳のフランシス(ラモーナ・エディス・ウィリアムズ)の子守りを始める。これと同時期に、「カジュアルな関係」の年下のボーイフレンドとの妊娠が明らかになり、中絶を経験する。
ブリジットは大学を中退しレストランのウェイトレスとして働いていた。「35歳 何をするべきわからない」とググるくらいには、日々結婚や出産、キャリアをめぐるプレッシャーを感じている。それは、現在38歳のオサリヴァン自身の実感でもあるという。
生理や避妊、妊娠、産後うつ、中絶。女性が日常的に経験しているにもかかわらず、語ることが「恥」だとされ、フィクションの中でも忌避されてきたもの。『セイント・フランシス』は、それらを過度にドラマチックにしたり神秘的にしたりすることなく、当たり前にあるものとして描き出している。
中でも中絶は、「多くの映画でトラウマ的に描かれてきた」とオサリヴァンは指摘する。「こういう映画を撮りたい」ではなく、「こういう映画は撮りたくない」という「悪い例」がいくつもあったという。
「中絶を描いた映画で私が一番気に入らなかったのは、妊娠した女性がクリニックでの医師との面談で心変わりして、手術の直前に中絶をやめる、というストーリーです。
もちろん、そういう人たちを非難したいわけではありません。ですが、『妊娠した女性が悩んだ結果子どもを産む』というストーリーが描かれすぎで賛美されがち。
私はそうしたくはなかった。ブリジットは妊娠がわかると、100%の確信で中絶を決めます。その決断は揺るがず後悔もない。中絶に関して恥の意識も罪悪感も抱いていないし、むしろ安堵している。そういう女性の物語が必要です」
中絶の「その後」を描いた理由
本作で描かれる中絶は、ストーリーのクライマックスでも、ブリジットに劇的な何かをもたらす役割でもない。「中絶の描写は最初に片づけてしまおう。中絶の“その後”に時間をとるほうが大事」。オサリヴァンはそう考え脚本を書いた。
「現実には、中絶の処置が終わったら『はい、おしまい』ではない。私は体調不良が続いたし、適切なケアも必要です。体に色んなことが起きるのは、中絶のあと。それを見せたいと思いました」
劇中、生理の経血や中絶後の不正出血のシーンがおよそ10分置きに何度も繰り返される。それはあくまで「ちょっとしたトラブル」といった日常のワンシーンで、ブリジットが血のついたシーツや服を変えるところまで描かれる。
生理や不正出血の経験がある人にとっては「あるある」だと感じるシーンだろう。インタビューで「こんなにも日常的にやっているのに、なぜだか映画であまり見たことがなかった気がする」と伝えると、オサリヴァンは「本当にその通り」と言って、こう続けた。
「このシーンが好きだと言ってくれる人が多くて嬉しいです。性行為中に生理になるのも、中絶の処置後に数カ月出血が続いたのも、私が経験したこと。
血が染みてないか、ナプキンが見えてないかと背後をチェックするのは私たちにとって日常ですよね。誰かがさりげなく助けてくれることも。普段の自分の行動を思い出して、脚本にかなり事細かく書き込みました」
「Unborn Lives Matter」と「ネズミの糞みたい」
本作がアメリカで公開されたのは2019年。当時から、保守的とされる南部の州を中心に、中絶を制限・禁止する法律の成立が相次いでいた。
そして日本公開を控えた2022年の6月、アメリカ連邦最高裁が、人工妊娠中絶を憲法上の権利と認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を覆す事態になった。憲法で保障されていた中絶の権利が否定され、各州で中絶手術を行ってきたクリニックの閉鎖も始まり、安全な中絶手段が奪われている。
オサリヴァンは今のアメリカの状況は「悪夢のようだ」と憤りを口にする。
「(アメリカで映画が公開された)2019年当時、まさかロー対ウェイド判決が覆るとは思ってもいませんでした。この判断は人権侵害で、社会的弱者の命を脅かす危険なものです。中絶手術を受けるために州外へ移動するのは、経済的に余裕がある人だけが選べる手段です。とにかく多くの人が声を上げ、闘っていくしかありません」
映画でも、中絶反対派の存在をほのめかすシーンがある。大学時代の同級生と再会した時、彼女の家に行ったブリジットは、冷蔵庫に「Unborn Lives Matter」と書かれたステッカーが貼られているのを目撃する。
オサリヴァンは、「中絶を選んだ人を苦しめる“小さなサイン”は、日常に数多く潜んでいる」と話す。
「生活していると、周囲の環境が様々なメッセージを発してくる。私も車を運転したら、前の車に(中絶反対派の)アンチチョイスのステッカーが貼られていた。『中絶は赤ちゃんを殺している』という主張は間違っている。でも、実際にこういうのに遭遇すると、不意に平手打ちを食らわせられた気分になります」
映画では、こうした“小さなサイン”に対抗する、印象的な会話がある。
自宅で経口中絶薬を服用したブリジットが、胎のうであろう血の塊を、年下のボーイフレンドのジェイス(マックス・リプシッツ)に見せると、ジェイスはそれを「ネズミの糞みたい」と言う。
「妊娠すると、お腹の中の赤ちゃんの大きさを、果物などの可愛らしいものに例える言い方がありますよね。でも、このシーンでジェイスが『ネズミの糞』だと言うことで、中絶を選んでも罪悪感を覚える必要はない、というメッセージを伝えたかった。
本当に可愛いものに例える必要はあるのでしょうか。当たり前とされていることを問い直したかったんです」
このシーンは、一部の投資家から「過激すぎる」と反対する声もあったという。しかしオサリヴァンはそれを押し切ってでも必要なシーンだと考えた。本作のメガホンをとったアレックス・トンプソン監督は、オサリヴァンの実生活のパートナーでもあるが、彼も同じ判断だったという。
「そばにいてくれたけど、体を張ってないよね?」
26歳のミレニアル世代であるジェイスは、妊娠がわかると当初は感情を整理できないと狼狽えるが、ブリジットが中絶を決めるとその選択を尊重する。
「ジェイスはやるべきことをやってくれるパートナー」だとオサリヴァンは説明するが、一方で、明確に示しておきたいこともあった。
「男性=悪者という描き方はしたくありませんでした。けれど同時に、『そばにいてくれたけど、体を張ってないよね?』ということは、映画の中でちゃんと示しておきたかった。これは私のステートメントでもあります。
妊娠・中絶には2人が関わっているけれど、身体的負担を負うのは1人。この必ず起きてしまう不公平感、道徳的なジレンマに、私はずっと『やってられないよ!』と思ってきた。それを叫びにして、人と共有したかったんです」
「語ることが安全だと感じられる環境が大事」
中絶をはじめ、女性の身体や性をめぐるスティグマはいまだ根強い。中絶を経験したオサリヴァン自身も、オープンに話せる環境がある一方で、外からの抑圧で「一人で耐え忍ぶものだと思い込ませられている」と感じることもあるという。
どうすればこのタブーを打ち破り、望む人が安心して悩みや不安を共有できる環境を作れるのだろうか。オサリヴァンに最後にそう尋ねると、こんなアドバイスをくれた。
「語ることが安全だと感じられる環境が大事ですよね。もちろん、誰もがオープンに語るべきとも思いません。
私は中絶を経験したあと、友人との会話を通じて自分自身を真に受け入れられたと感じた。この映画を観たあとに初めて中絶の経験を人に話したという方にも出会いました。会話の輪が少しずつ広がることで孤独から救われることがあると思います」
(取材・文=若田悠希 @yukiwkt /ハフポスト日本版)
▼作品情報
『セイント・フランシス』
公開中
監督:アレックス・トンプソン 脚本:ケリー・オサリヴァン
出演:ケリー・オサリヴァン、ラモーナ・エディス・ウィリアムズ、チャーリン・アルヴァレス、マックス・リプシッツ、リリー・モジェク
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