ロシアによる軍事侵攻で始まったウクライナ戦争。連日、現地の様子を伝える報道が続く。爆撃を受けて焼け野原となった街、破壊された建物、家族や友人を失った人々の悲しみ、性的暴行に遭った女性の証言などが圧倒的な力強さで私たちに迫ってくる。衝撃的な現実に直面し、言葉を失うのは市民もジャーナリストも同様だ。
3月31日と4月1日、ベルリンで開催されたメディア会議の様子を伝えたい。
戦争時に何をやるべきなのか
侵攻開始の2月24日午前5時過ぎ、ウクライナの調査報道組織「SLIDSTVO・INFO」のアンナ・バビネッツ編集長は爆撃音で目が覚めた。隣にいた7歳の子供はまだ眠っていた。
早朝ではあったが、編集長は編集チームに次々と連絡を取り、それぞれの今後の身の振り方や編集体制について話し合った。
ひとしきり調整を終えた後、戦争という国の一大事が発生している時にSLIDSTVO・INFOがこれまでやってきたような政府高官らによる汚職事件やマネーロンダリングの調査報道をこれからも続けることに「果たして意味はあるのか」、と疑問が湧いた。最終的に「調査報道で培った能力を生かすジャーナリズム」を実践することを決めた。開戦以降は首都キエフ(キーウ)やウクライナ各地で発生する「戦争犯罪」を記録している。
「どんな状況でも調査報道を続けていきたい」。バビネッツ氏は会議「Uncovered」の初日となった3月31日、冒頭でこう語った。
Uncovered会議は欧州連合(EU)内の国境を超えた調査報道の実践を支援するファンド「IJ4EU(Investigative Journalism for Europe=欧州のための調査報道)」が毎年、開催している。
ファンド自体は2018年に試験的に始まり、20年から本格稼働。公益性が高いトピックについて調査報道を行うEU内のジャーナリストや報道機関に助成金を付与する。欧州委員会のほかに公的及び民間組織からの寄付が資金源だ。
会議の運営はドイツを拠点とする非営利組織「ヨーロピアン・センター・フォー・プレス・アンド・メディア・フリーダム(ECPMF)」が担当し、「国際新聞編集者協会(IPI)」(本部ウイーン)、「欧州ジャーナリズムセンター」(本部オランダ・マーストリヒト)が協力した。
初日最初のセッションのパネリストとなったサニタ・イェンバルガ氏(ラトビアの調査報道組織「Re:Baltica」編集長)は、ウクライナ侵攻直後、「泣いてばかりいた。どうしたらよいかわからなかった」という。しかし、「泣いて過ごした後は、これまでやってきた国境を超えた調査報道に専念する」ことにした。ロシア・プーチン政権同様に国際社会から制裁を受けているベラルーシの新興財閥が抜け道を使って巨額を得ている点に注目し、エストニア、リトアニア、ベラルーシのジャーナリストとの共同調査を行っている。
2つ目のセッションが取り上げたのは、「スラップ訴訟」への対抗策だ。スラップ(SLAPP)とは「Strategic Lawsuit Against Public Participation(市民参加を妨害するための戦略的訴訟)」の略で、富裕な個人や大企業などが学者やジャーナリスト、市民組織に対し、批判や反対運動を封じ込めるために起こす威圧的な訴訟を指す。大手法律事務所を通して名誉棄損などの理由で訴追する場合が多い。権力者の不正行為を明るみに出す調査報道を阻害する動きだ。
パネリストの一人でECPMFに所属するフルテュラ・クサリ氏は、「私たちにできることは多くはないが、どの法律事務所があるいはどんな人物がスラップ訴訟を起こしているのかを常に報道するようにしている」という。「名前を公表することで、恥をかかせたい」。
2日目のセッションではEUの移民受け入れ政策、イスラエルの監視ソフト「ペガサス」、フリーランスのジャーナリストの身の安全をどう守るかなどが取り上げられた。
監視ソフト「ペガサス」を調査する
初日のセッション終了後、特に優れた調査報道に与えられる「インパクト賞」の発表があった。最優秀賞が「ペガサス・プロジェクト」、優秀賞が欧州国境沿岸警備機関による不正行為を暴いた「フロンテックス・コンプリシット・イン・プッシュバックス」と欧州の難民収容所での過酷な体験記録「ログブック・オブ・モリア」。それぞれに賞金として5000ユーロ(約68万円)が与えられた。
「ペガサス・プロジェクト」は、2020年、フランスに拠点を置く非営利組織「フォービドン・ストリーズ」にリークされた5万件の携帯電話の番号が発端だ。
同組織の分析によると、世界のさまざまな国の野党政治家、人権活動家、ジャーナリストなどの電話番号であることが判明。人権擁護組織「アムネスティ―・インターナショナル」の協力で、イスラエルの企業NSOグループが開発したモバイル端末用スパイウェア「ペガサス」がリークされた電話番号の半数にアクセスした痕跡を見つけた。ペガサスは監視相手のスマートフォンからデータ、画像、会話内容、位置情報などを取得できる。
10か国17の報道機関に所属する80人を超える記者が参加する「ペガサス・プロジェクト」となり、2021年夏から英ガーディアン紙、仏ルモンド紙、南ドイツ新聞、米ワシントンポスト紙などが報道を開始した。
会議初日、このプロジェクトについてのセッションの中で南ドイツ新聞の記者フレデリック・オーベルマイアー氏は、プロジェクトに加わってから、「同僚と暗号化された通信をしている時も、固有名詞ではなく暗号名を使うようになった」と述べた。
「フロンテックス」の報道にはオランダの非営利組織ライトハウス・リポーツ、英調査組織べリングキャット、ドイツのシュピーゲル誌と公共放送ARD、日本のテレビ朝日が参加した。「ログブック」はギリシャの非営利組織「ソロモン」が担当した。
IJ4EUは2018年の試験的導入時、12の調査報道に35万ユーロ(約4773万円)の助成金を出した。20年には107万ユーロ(約1億4600万円)、21年には110万ユーロ(約1億5000万円)を拠出している。22年度は123万ユーロ(約1億6900万円)を予定している。
21年度分は従来の「調査支援」助成金に加え、前年度までの「出版支援」助成金を「フリーランス支援」助成金と名称を変え、組織の支援がない「フリーランスの特定のニーズにこたえる」形をとっている。詳細については、ウェブサイトを参照。
(2022年6月1日の小林恭子の英国メディア・ウオッチ掲載記事『欧州で国境を超えた調査報道 監視ソフト「ペガサス」の実態暴露に最優秀賞』より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
欧州で国境を超えた調査報道 。監視ソフト「ペガサス」の実態暴露に最優秀賞