体操の内村航平選手が3月12日、引退試合「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」に臨む。
引退試合には、昨夏の東京オリンピックと2016年リオオリンピックで、内村選手とともに代表を背負ったメンバーが参加する。
彼らにとって、内村選手はどんな影響を与えてくれた存在なのか。
前日11日の公開練習に参加した8人は、記者会見で内村選手との思い出深いエピソードやかけられた言葉を尋ねられた。
白井健三さんは「僕がオリンピックに行くということを誰よりも先に見抜いていた」と内村選手とのやりとりを紹介。萱和磨さんは「『練習では失敗していい』と言われて、少し気持ちが楽になった」と明かした。
8人の回答を紹介する。(橋本大輝さんは前日練習は不参加)
▽加藤凌平さん
個人的にも体操界にも、航平さんという存在がいたからこそレベルアップできました。何よりも、団体で優勝し、個人優勝を何回も続けているというモチベーションを尊敬していて。(思い出の)出来事としては、2015年世界選手権で、その前のインカレで足首をけがして出るかどうか悩んでいたところ、相談したら航平さんは「俺なら痛くても出るよ」という言葉。そこで出場して団体で金メダルを取れたからこそ、次のリオ五輪で金メダルにつながったと本当に思っているので、そういうエピソードが心に残っています。
▽白井健三さん
リオ五輪の時に特に感じたのは、あれだけ結果を残している選手でも「俺について来い」という一点張りではなくて、しっかり周りのことを見て、一緒に頑張ろうという風に雰囲気を作ってくださったりして、本当にチームワークが生んだ団体優勝だったなというイメージ。航平さんがキャプテンをやってくださったからこそできたチームの雰囲気だったなと思います。そういう力がある、選手ではなく人間だなと思います。
声をかけてくださったエピソードとしては本当にたくさんあるのですが、僕が10歳の時、航平さんが大学1年の時に、本当に全然ひねっていただけの少年に「リオの時19歳か、いけるな」と言われたんですね。それだけ先のことまでしっかり見えている人だなという風に後々思いましたし、きっと僕がオリンピックに行くということを誰よりも先に見抜いていた人間だなと思います。先を見据える力がずば抜けているなと思います。
▽田中佑典さん
体操界のレベルをぐっと上げてくれた存在です。追いかけるしかなかったのですが、その中で一緒に段階を踏んで、一つのチームとしてみんなで世界で戦って、その中でまた成長して、この日本の体操界を引っ張ってくれた存在だなと思います。
個人的は、世界大会でうまくいかず打ちひしがれていた時に、そこで頑張ろうと思えた一言。本当に色々あるのですが、一緒にナショナルチームに入った時の練習のアドバイスだったり、いつも前向きな勇気をくれる言葉だったり。存在自体、見ているだけでも勇気をもらえる存在。姿勢からだったり、そういうところから影響をいただきました。
▽山室光史さん
<img src="https://img.huffingtonpost.com/asset/622bdda021000001855038eb.jpeg?ops=scalefit_630_noupscale" alt="山室光史さん(2016年リオ五輪)” data-caption=”山室光史さん(2016年リオ五輪)” data-rich-caption=”山室光史さん(2016年リオ五輪)” data-credit=”via Associated Press” data-credit-link-back=”” />
ちょっと長すぎるので僕の場合は。高校2年で初めて会って、そこからずっとライバルとして競いながらも、大学・社会人と同じところに行こうねと一緒に進んできて。航平の方が先に代表になって、負けたくないという気持ちで追いかけながらずっと共に進んできた。
彼はずっと世界チャンピオンとして走っていて、それを僕は追いかける形で、ずっと目指しながらやってきて、ロンドンに一緒にオリンピックに出ることができた。僕自身はケガをしてしまいすごく苦い思い出になった大会なのですが、けがした夜に「4年後に一緒に戻ってこよう」という話をして、それだけを思い求めてリオまで走ったのが、僕のリオまでの代表人生だったのかなと思います。
ライバルというのを自分の中では思い続けてやってきました。体操においてはすごく尊敬できる面が航平に対しては強い。ライバルであり尊敬する人という不思議な。それはずっと変わらないのかなと思います。今回引退というのもすごく寂しい部分もあるが、彼自身が決めたことですし、選手を引退したからといって、体操やめるということにはつながらない。僕自身も皆さんにもこれからも大きな影響を与えてくれると思っているので、これから先も内村航平というブランドを皆さんに発信してもらいたいです。
▽亀山耕平さん
航平と僕が知り合ったのは高校2年生の時で、15年前ぐらい。本当に衝撃的で「こんなやつが出てきた」「こいつには勝てない」と思って、6種目やることを諦めた方がいいかなとその時に思いました。高校生なので「次は勝つから」と言っていたのですが、とんとん拍子でユニバーシアードに出て、オリンピック代表になって、とんとんとスーパースターに駆け上がっていった。間近ですごい歴史的な瞬間を見させてもらったのが印象に残っています。体操人生の中で、彼と一緒に体操ができたことが、自分にとっての自慢や誇りになると思ってます。
▽萱和磨さん
僕は航平さんと初めて合宿したのが初代表の時。航平さんがキャプテンでした。その時(自分は)大学1年で、右も左も何もわからず、勢いだけで代表入ったのですが、やはり背中で引っ張ってくれて。僕が一番若かったので、和磨らしく頑張れるような環境にしていただいたのを今でも感謝しています。あの時にキャプテンという立場を学ばせてもらって、今は上の年齢になることが多いので、自分だけじゃなく周りのことも学んだおかげで少しはできるようになった。
言葉としては、僕自身、失敗しない男と言われているのですが、「練習では失敗していいんだよ」と航平さんから言われた時に、少し気持ちが楽になったというか。練習でもミスをしたくないと強く思っていて、やはり練習でミスが出るのですが、「ダメだ、悪だ」と思っていた。その言葉を聞いてからは、練習で(ミスが)出たからこそ、そこから学びがあると思う。それを試合で出さないために、その失敗が自分の財産になるという言葉をかけてもらった。今は練習では失敗することはたくさんありますが、試合でいい演技が出せるように日々頑張っています。
▽北園丈琉さん
体操を始めて、真剣に試合に出だした時には、航平さんが世界のトップにいました。あんな選手になりたいという思いを小さい頃に持ってから、今まで航平さんを目標にやってきたというのがあって。本当にそこだけを見て今までやってきたので、まだまだ全然ですけど、少しでも追いつけるように頑張っていきたいという思いは変わっていません。
▽谷川航さん
航平さん本人が後ろにいるので言いづらいのですけど(内村選手が会見場に登場)、本当に航平さんって、日本だけでなく世界の体操の人がこの選手を目標に頑張っていこうと思う存在です。よく質問やアンケートで、目指す人・尊敬する人は内村航平と書きたいんですが、それでは普通すぎてつまらないよなと思うぐらい内村航平と書くのが当たり前。本当にすごい選手だと思うし、目指すべき光みたいに思っていた。尊敬してますし、これからも頑張ってほしいなと思います。印象に残っているのは、体操のアドバイスが的確で、ああ分かっているなと思うようなことを言ってくれる。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
内村航平とはどんな存在か。歴代オリンピックで共に戦った8人の仲間たちが答えた