ここ数年で広く知られるようになってきた「HSP」(Highly Sensitive Person とても敏感な人)。HSP専門カウンセラーの武田友紀さんは、親しみを込めてHSPを「繊細さん」と呼びます。武田さんの繊細さんへの思いや、繊細さんが生きやすくなるためのヒントなどを、子ども若者編集部のメンバーがうかがいました。
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――武田さんが「繊細さん」という言葉をもちいるのには、どのような思いが込められているのでしょうか。
HSPはアメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が提唱した概念です。アーロン博士の調査により、「生まれつき繊細な人」が約5人に1人の割合で存在することがわかりました。近年、日本でもこの概念が浸透し、関連書では「敏感すぎる人」などと訳されてきましたが、私は「すぎる」という表現には「不適切だ」というニュアンスが入ると考えました。
「繊細さん」は生まれ持った気質であり、病気ではありません。背の高い・低いがあるのと同じように、本人の資質であり、個性です。自身もHSPである私は、誤解をまねかない表現として「繊細さん」をもちいることにしました。「繊細さん」という言葉には、「繊細さはいいものだ」という思いもこめています。繊細な気質を持った方は、ほかの人が気づかない小さなことにもよくに気づくのでストレスを感じやすいです。
そのためいろいろな悩みからネットで検索したのがHSPの存在を知るきっかけ、という方も多くいます。「生きづらい」というイメージが付きがちなHSPですが、決してそうではないんです。
外が晴れているだけでうれしくなったり、カフェの店員さんのちょっとした優しさに気づいて、じーんと感動したり。繊細だからこそ、毎日の小さな「いいこと」をキャッチでき、深く味わうことができます。「繊細さん」の繊細さは、めいっぱい幸せを味わうためのとても素敵なものです。
働けなくて自分を責めた私
私自身、繊細さを長所と捉えたことで肩の力が抜け、幸せをたくさん感じられるようになりました。
以前、メーカーに勤めていた私は、会社でストレスが積み重なり休職していたことがあります。忙しくてもタフに働く同僚と自分をくらべ、「働けなくなった私がいけないんだ」と自分を責めてばかりいましたが、アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』を読み、まわりの人と自分では感じている量も強さもちがうことにはじめて気づき、「私が弱いから」という考えから抜け出すことができました。
そして繊細さを大事にして自分らしく生きたいと思い、繊細さんの心の仕組みを研究し始めました。感じる量が多い分、やはり疲れやすく、繊細なままで生きていけるのか、と葛藤もありましたが、繊細な感性はとことん大切にした方が生きやすくなることを実感しました。またカウンセラーとして700名を超える繊細さんと接してきましたが、繊細さんは、生まれ持った繊細さを大切にすることで元気になり、自分らしい人生を歩みやすくなります。繊細さを克服すべき課題ととらえるのではなく、いいものとしてとらえる。それが出発点なんです。
いっそ鈍感に?
繊細さんにとって繊細さは自分を構成する大切な一部分。「いっそ鈍感になれたらいいのに」と思うかもしれませんが、無理に鈍感になろうとすることは、背の高い人が身長を縮めようとするようなもので、かえって自信を失います。持って生まれた感性は封じ込めるのではなく、解放した方がラクになります。繊細さんは、繊細さを含めて自分を大切にすることで、人生を豊かにしていくことができるんです。
――繊細さんと非・繊細さんは、どのように向き合っていけばよいでしょうか。両者の関係は不登校の子どもと親との関係に通ずるように思います。ためらいなく学校生活を送ってきた親御さんは、子どもの不登校をなかなか受けいれられないというケースが少なくありません。
たしかに繊細さんは非・繊細さんとのコミュニケーションにおいて、「自分の感覚や気持ちをわかってもらえない」と苦労することがあります。そこで非・繊細さんには、感じ方のちがいを受けとめてもらえたらと思います。
共感や同意までいかなくてもいいんです。「そのくらいのことで大げさだ」などと否定せず、「私にはその感覚はないけど、あなたはそう感じるんだね」と、受けとめてあげてください。一方で、繊細さんにも心に留めておいてもらいたいことがあります。非・繊細さんにとって、繊細さんの訴えは「背中の羽根が痛い」と言っているようなものだ、ということです。
自分と同じでなくても
非・繊細さんは、繊細さんが感じているのと同じようには、感じていないことがあるのです。まさに「背中の羽根」のように自分にはない感覚を「わかって」と言われても、共感することは難しいのです。
私自身も親との関係で自分の感覚が伝わらない経験をしたことがあります。子どものころ私は、母が不機嫌なときのまな板をたたく包丁の音がいつもより強く聞こえて、イヤな気持ちになっていました。あるとき両親に「不機嫌なのがわかるから、包丁の音がイヤだ」と伝えたのですが、二人ともきょとんとしていました。父も母も、包丁の音で機嫌を感じとる私の感覚がわからないようでした。
家族が自分の感覚や気持ちを理解するすべを持っていないのはショックでしたが、それでも少しずつ感覚のちがいを受けとめることで、親との関係で悩むことは減っていきました。わかってもらえないのは悲しいことです。そしてちがいを受けとめるのは怖いことです。でも、わかってもらえないとき、かならずしも「わかろうとする気がない」わけではないんですね。「その感覚がないから、どうしてもわからない」ということがある。「自分の持つ感覚が相手にはないのでは」という視点も大切です。時間がかかっても少しずつ、ちがいを受けとめていけるといいのではないかと思います。
――どうしても自分の気持ちを「わかってほしい」と思ってしまうときは、どう気持ちを切り替えたらよいですか。
「わかってほしい」が勝っているときは、広い世界で、少しでも本音を話せる相手を探すといいですよ。なかなか理解が得られない人にアタックし続けることはおたがいにしんどいものです。SNSやHSP交流会の場などで、同じような感覚を持つ人や、仲よくなりたいと思える相手を探してみてください。たったひとりでもいいんです。
本音を話せる相手がひとり見つかると、「この世には私の気持ちをわかってくれる人がいるんだ」と、希望を持って世のなかを見ることができるようになり、2人、3人と本音を言える相手が増えていきます。最初にわかってほしいと思っていた人への執着も薄れていきますよ。
私は「家族でもわかりあえないことがある」という事実を受けとめるのに何年もかかりましたが、「仕方ない」と思えるようになったのは、自分の本音を大切にできるようになり、やりたいことをやって、共感できる仲間を見つけられたからです。
自分に合わない職場や学校にいる方は本当にたいへんだと思います。繊細さを封じて耐え続けるのではなく、どうか自分に合う環境を探してみてください。少しでも自分が安心できる、自分がすごしやすい場所へ移動することに、力を注いでほしいです。
仲間をたくさん見つけるコツ
――「わかってくれる人」はどのようにして見つけることができますか。
小さなことからでいいので、やりたいことをやるのがいいですよ。絵を描くといった趣味でもSNSでも、やりたいことをやっていると、自然と気の合う人と出会えるようになります。年齢や住んでいる場所がちがっても、似た経験をしていたり価値観が近かったりと、「人生の同期」といえるような相手に出会いやすくなるんです。
お店やイベントに興味を持ったら実際に行ってみるのもいいですね。積極的に話しにいけなくても大丈夫です。そこに集まった人たちを目にするだけで、雰囲気がわかると思います。いいなと思う場所には、自分と似た感性の人たちが集まっているものです。「この人といっしょにいると落ち着くなぁ」と思える相手を探してみてくださいね。
そして、自分のことを、まずは自分がわかってあげてください。理解された経験が少ないと、感覚や気持ちをわかってくれる人が現れたとき、「私のすべてをわかってほしい、受け入れてほしい」と、相手のなかに自分の居場所を求めてしまいます。
でも、自分の居場所は、まずは自分のなかにつくることが必要なんです。「こんな自分はダメだ」と自分を責めるのではなく、「これまでよくがんばってきたね」と自分で自分をいたわり、「まわりとちがう」と悩んできた自分の感性をいつくしんでください。
何度でも言いますが、あなたの繊細さはあなたに幸せを運んでくれるとても素敵なものです。のびのびと自分の感性を解放し「私らしい」人生を歩いていきましょう。
――ありがとうございました。(聞き手・瀧本裕喜/編集・本間友美)
【プロフィール】
武田友紀(たけだ・ゆき)
HSP専門カウンセラー。自身もHSPである。大手メーカーで研究開発に従事後、カウンセラーとして独立。HSPの心の仕組みを大切にしたカウンセリングとHSP向け適職診断が評判を呼び、全国から相談者が訪れる。著書に50万部を超えるベストセラーとなった『「繊細さん」の本』(飛鳥新社)、『「繊細さん」の幸せリスト』(ダイヤモンド社)などの“繊細さんシリーズ”がある。
(2021年04月28日の不登校新聞掲載記事『5人に1人は「とても繊細な人」繊細さは幸せにつながる素敵な感性』より転載)
Source: ハフィントンポスト
5人に1人は「HSP=とても繊細な人」繊細さは幸せにつながる素敵な感性