コッツァーさんにとって、アカデミー賞を受賞したことはどんな意味を持つのか。また、これまで、俳優としてどんな道を歩んできたのか。
アカデミー賞受賞直後、数々の映画賞のトロフィーが飾られた自宅からオンラインで、ハフポスト日本版の取材に答えた。
※この記事は、2022年5月に掲載した記事を再編集しています。
手話での拍手「素晴らしい瞬間でした」
ノミネート発表以降、コッツァーさんと『コーダ』は賞レースを賑わせ、アカデミー賞では、作品賞・脚色賞・助演男優賞と、ノミネートされた全部門で受賞することになった。
コッツァーさんにとっても特別な夜になった。助演男優賞の発表で名前が呼ばれた時のことをこう振り返る。
「最初に思ったのは妻のことでした。長年私のキャリアをサポートし、信じてくれた。食えない役者時代も含めて35年以上、苦労しながら結婚生活を続けるのは、なかなか大変なことで…わかるでしょう?(笑)
会場のみなさんが、手話での拍手でスタンディングオベーションしてくれたのも、本当に素晴らしい瞬間でした」
▼助演男優賞発表の瞬間。会場では参加者たちが、両手を挙げて手首をひらひらと回す、手話での拍手をコッツァーさんに贈った。
#Oscars | Troy Kotsur Makes Oscars History With ‘CODA’ Win, Dedicates Award To Deaf, Disabled Communities: “This Is Our Moment” https://t.co/UiF9RyDckBpic.twitter.com/FvIqUYvBaD
— Deadline Hollywood (@DEADLINE) March 28, 2022
これまでは映画のオーディションに参加しても断られることが多かったという。しかし、アカデミー賞受賞を経て、次々と出演作のオファーが届いている。
「『受賞したら人生が変わる』と多くの人に言われていたけれど、こんな変化は人生初めてです。人生の新しい一章が今始まったばかり。私もまだまだ学んでいる最中です」
53歳でオスカー俳優になったコッツァーさんは、「ろう者の俳優の道のりは過酷なもの」だと話す。
「ろう者の世界と聴者の世界をひとつに結んだ」監督への感謝
聴者の俳優がろう者役を演じた2014年のフランス映画『エール!』のリメイク作でもある『コーダ』。
主人公ルビーは、家族で唯一の「聴者」の高校生で、耳の聞こえない「ろう者」の両親と兄がいる。映画では、ルビーが音楽の夢と、家族の生活のサポートとの間で葛藤する姿を描く。タイトルの「コーダ/CODA(Children Of Deaf Adultの略)」とは、聞こえない親をもつ聞こえる子ども=主人公のことを指す。
コッツァーさん演じる父をはじめ、ろう者の家族役には、ろう者の俳優が起用された。これは、シアン・ヘダー監督の強い意志で実現した。ヘダー監督は、ハリウッドの大手の映画会社や出資者から、著名な聴者の俳優をキャスティングするよう求められたが、それを断り、インディペンデント映画として『コーダ』を制作した。
コッツァーさんは助演男優賞の受賞スピーチで、へダー監督に感謝を伝えた。スティーブン・スピルバーグ監督の本から「最高の監督の定義は、巧みなコミュニケーターである」という言葉を紹介し、こう続けた。
「へダー監督は、最高のコミュニケーターです。この映画で、ろう者の世界と聴者の世界をひとつに結んだ。あなたは架け橋であり、ここハリウッドに永遠に残るでしょう」
「ハリウッドが目覚めてくれたら」
ろう者の俳優の出演が重要と考え、大手資本を断って限られた予算で作られた『コーダ』。インディペンデント映画が集うサンダンス映画祭で、史上最高額の約26億円で配給権が落札され、さらに、アカデミー賞受賞という快挙まで果たした。
これからハリウッドは変わると思うか。インタビューでそう尋ねると、コッツァーさんは「私はそう望むよ」と真剣な眼差しでうなづいた。
そして、『コーダ』でともに夫婦役を演じ、1986年にろう者の俳優として初めてアカデミー賞の主演女優賞を受賞したマーリー・マトリンさんについて語り始めた。最初にキャストに決まり、へダー監督と共にろう者の俳優の起用を訴えたのが、マトリンさんだった。
「マーリーは長年ハリウッドに対し、ろう者の役はろう者の俳優が演じられるように提言し、行動してきた人です。きっと様々な苦労があったはず。『この業界で私はずっと孤独だった』とも話していました。
多くのろう者の役者は、これまでハリウッドから無視されてきた。そこにやってきたのが『コーダ』です。マーリーはチャンスだと捉え、舞台に立つ俳優だった私に声をかけてくれた」
ろうや難聴の学生が通うギャローデット大学で映画や演劇を学んだコッツァーさんは、ロサンゼルスの劇団「デフ・ウェスト・シアター」に所属し、手話演劇を中心に活躍してきた。映画やドラマにも出演しているが、単発でのオファーが多かったという。
「自分はハリウッドのアウトサイダー(部外者)だった」。そうコッツァーさんは言う。
「トロイ・コッツァーをキャスティングすると言っても、出資者からは制作費を回収できないんじゃないかと懸念を示された。私は『金銭的な価値』がないと思われていたんです。
マーリーと監督にとって、ろう者の役にろう者の俳優をキャスティングすることは闘いだった。私は2人が闘ってくれて本当に嬉しかった。
ハリウッドは色んなことを恐れているのだと思います。金銭面、投資家への配慮、Aリストの監督や俳優、プロデューサーを起用しなければならない…そういうくだらないことが、まだまだ残っているんでしょう。
きっと聴者の俳優が演じていたら、ろうコミュニティから抗議があったはず。ろう者の俳優を選んだのは正しい選択だった。これをきっかけにハリウッドが目覚めてくれたら」
手話のアドリブ。下品なスラングも「自分らしい表現」
コッツァーさんにとって、10代の時からマトリンさんは特別な存在だった。マトリンさん主演の『愛は静けさの中に』は、コッツァーさんが初めて見た、耳の聞こえない俳優が出演している映画だったという。
「マーリーがオスカーを受賞した時、私は17歳だった。彼女がろう者だと知り、信じられないほどのインスピレーションと希望をもらいました」
役者を夢見たきっかけは、幼い頃テレビで見ていた『トムとジェリー』だった。ろう学校に通うスクールバスの中で、その内容を同級生に再現して見せると、みんなの目が輝き始めた。忘れられない体験だった。
『コーダ』には、コッツァーさんのアイデアやアドリブが多く取り入れられた。実際のろう者による手話やろう文化の豊かさが、スクリーンからいきいきと伝わってくる。
「脚本を読んだ時、一部分は実際のろう文化にフィットしないだろうと感じ、解釈し直し、新しい表現やアドリブも加えていきました。
それは、今回の映画作りで最も楽しかったことです。多くの現場では、聴者に力があり、ろう者はその後についていかなければいけない。ろう者の俳優が参加すると、どう扱えばいいのかとナーバスな雰囲気になることもあります。
でも『コーダ』は全く違った。チームワークを発揮し互いを尊重しあった。オープンな姿勢で、自分たちに制限を設けなかった。
汚い言葉を使ったり言い争ったり、ろう文化のそういう側面も表現したい。下品なスラングも、自分の中に根付いた、自分らしい表現です。そうしてでき上がった映画がリアルだったから、観客もワクワクしてくれたんだと思います」
「ろう者の物語を、ろう者が語るチャンスが巡ってきた」
コッツァーさんは、アカデミー賞受賞を経て、世界中のろう者やCODAのコミュニティからの反響も実感しているという。『コーダ』では、そうした人々の世界を見せることが重要だったと話す。
「社会がろう文化を知らないが故に、フラストレーションを抱えたろう者やCODAの人が多くいたのだと思います。これをきっかけに、多くのサポートや、聴者とろう者、CODAのコラボレーションが増えたらいいですよね。だって、言語は関係ありませんから。重要なのは愛です」
ハリウッドに新しい歴史を刻んだ『コーダ』。そこで描かれたのは、ある一つのろう者とCODAの家族の物語でしかない。世界には、まだまだ語られるべきたくさんの物語がある。
コッツァーさんは、これが一過性のムーブメントになることなく、「聴者の方々には、ぜひ僕らの物語に耳を傾けてほしい」と呼びかける。
「この映画を通して、世界の物語の語り手や創作者たちを励まし、勇気を与えられていたら、とても嬉しいです。型通りの考えから脱却するチャンスだと思うんです。ろう者の物語を語る機会が、ろう者自身に与えられる。そういうチャンスが巡ってきた。
ろう者のコミュニティの歴史はとても深く、国や地域ごとに素晴らしい物語があります。重要なのは、そのストーリーテリングをこれからも実現していくことです」
(取材・文=若田悠希 @yukiwkt /ハフポスト日本版)
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トロイ・コッツァーさん、どんな人? 映画『コーダ』で父役「ろう者の役者、ハリウッドから無視されてきた」