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スティーブ・ジョブズは「iMac」「iPod」「iPhone」といった大ヒット製品を生み出し、世間では「天才」と評されるカリスマ的存在でした。一方、ティム・クックはジョブズとは正反対で、物静かで控えめな性格で知られています。
その為、Appleの経営陣の中でも、スター的な存在ではありませんでした。そんなティム・クックがCEOになった経緯について、Appleに詳しいYouTubeチャンネル「Apple Explained」が解説しています。
*Category:テクノロジー Technology|*Source:Apple Explained,wikipedia(1),(2)
Apple創業者スティーブ・ジョブズが見出したティム・クックの資質とは?
Appleは1976年に設立され、クックは1998年に入社しました。しかし、クックの資質を本当に理解するためには、Apple入社よりさらに遡る必要があります。
1982年、IBMのパーソナルコンピューター部門に入社したのが、彼のキャリアの始まりです。彼のIBMでの成功がインテリジェント・エレクトロニクス社の目にとまり、クックはコンピュータ再販部門の最高執行責任者に任じられました。
そこでクックは、ジャスト・イン・タイム生産方式と呼ばれる方法を導入し、製品が生産されるまでの時間、倉庫に置かれる時間をできる限り短くすることに成功します。その結果、製造における大きなコスト削減を実現し、納期の短縮にもつながりました。
クックは、コンピュータ業界では有名なロジスティクスの人物となり、やがてコンパック社の資材担当副社長として重役のオファーを受けることになります。
対して1996年、Appleに戻ったジョブズは、生産の見直しが必要であると考えました。HP社のような当時の競合他社は、すでにコンピュータのオンライン販売でeコマースの分野に参入し、統合された生産体制で成功を収めていたからです。
そこでジョブズはAppleで同じ事ができる人材を外部から探しました。そして選ばれたのがティム・クックだったのです。
ジョブズはクックをAppleに招き、面接を行いました。しかし、クックは当時世界で最も成功していたコンパック社の役員を辞めるつもりは無く、ただ単にスティーブ・ジョブズという人物に会ってみたいと思っていただけでした。
当時のAppleは何年も資金を流出させ、次々と失敗作を発表し、CEOは何度も交代し、倒産まであと90日というところまで来ていた企業です。クックはジョブズでさえも会社を立て直すことができるかどうか確信が持てなかったのです。ところが、ジョブズに実際に出会ったクックが感じたのは、Appleで働きたいという気持ちと興奮でした。
実際にクックが面接している時点では、Appleの回復の兆しは全くありませんでした。Appleが生き残れるかどうかは、次の製品の「iMac」の成功に完全に依存していたのです。
しかし、クックは華麗な経歴を捨ててAppleに入社する事を選びます。半年前に入社した世界で最も人気のあるコンピューター会社から、沈没寸前のAppleに飛び込むという決断は非常識としか言いようがありませんでした。
この決断は、当然クックの家族や、同僚が驚くほど理屈に合わない決断でした。しかし、クックの決断を導いたのは論理的な判断では無く、直感だったのです。また、ジョブズもよく「知性よりも直感が大切だ」と語っていました。
そして、ジョブズがクックと共通しているのは、直感を大切にするということ以外にも、自分のキャリアを賭ける度量があるという点でした。2人は恐らく、同じような個人的、職業的な哲学に導かれ、深いレベルで互いに共感し合っていたのでしょう。
クックはAppleに入社して、ワールドワイドオペレーション担当の上級副社長として活躍しました。そこで彼は、工場や倉庫を閉鎖し、委託生産に切り替えました。これによって、アップルは手元に置くべき在庫の量を数カ月分から数日分に劇的に減らすことができたのです。
また、クックはフラッシュメモリーが主流になる前の2005年にフラッシュメモリーカードのサプライヤーと長期契約を結ぶなどをして次期製品に必要な重要部品の確保もおこないました。
この契約によって、Appleは2005年の「iPod nano」、2007年の「iPhone」、2010年の「iPad」と、わずか5年で3つの製品で大量生産する事ができ、iPadの競合製品である「HP TouchPad」などの製品より効率的に販売する事が出来たのです。また、製造に関するコストも大きく削減する事も出来ました。
オリジナルサイトで読む : AppBank
なぜジョブズはティム・クックを次のApple CEOに選んだのか?