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近年、若者を中心に、気候変動による生活や将来への影響を不安に思い、無力感などを抱く「気候不安症」が増加している。
そんな中、希望を抱き、行動し続ける人がニュージーランドにいる。環境活動家で、ニュージーランド史上最年少の18歳で地方議員になったソフィー・ハンドフォードさんだ。
どうすれば絶望せずに、気候変動を止めるために行動し成果を出していけるのか。ハンドフォードさんのライフストーリーに迫った。
12歳の時、「気候変動で家がなくなるかもしれない」と手紙が来た
人口約1700人の小さな海辺の村で生まれ育ったハンドフォードさん。当時12歳だったある日、両親と一緒にテーブルに座って、一通の手紙を読んでいた。
地方議会から届いたその手紙に書かれていたのは、「気候変動による海面上昇と海岸浸食の影響で、ハンドフォードさんの家が危険にさらされる可能性がある」という内容だった。
「両親はこの手紙を読んで、お互いを見つめ合い、とても心配そうにしていたのを覚えています。なぜなら、私たちにとって家は資産でもあり、多くの思い出が詰まったとても大切な場所でもあるからです」
怖くなったハンドフォードさんは両親や周囲の大人たちに「これは一体どういうことなの?気候変動って何?」と尋ねた。地元の国会議員を学校のクラスに招いて質問したこともあったが、誰も気候変動の影響について話さなかったそうだ。
「ほとんどの人が気候変動について話さなかったのは、気候変動は『将来的に取り組むべき課題』だと感じていたからだと思います。もしくは、あまりにも大きな問題で、対処するのが難しすぎると考えてたのでしょう。私たちが住んでいる地区の海岸への気候変動の影響について話すことは、一部の住宅を物理的に海から後退させなければならないという難しい問題と向き合うとことでしたから」
大人たちだけでなく、周りの友だちにも理解してもらえなかった、と振り返るハンドフォードさん。いら立ちを感じ、次世代の未来を守るためにできる限りのことをしようと決意したという。
17万人を動員した「気候のための学校ストライキ(School Strike 4 Climate)」を主導
ハンドフォードさんが高校生だった2019年、グレタ・トゥーンベリさんが始めた気候危機に声を上げるムーブメントに触発され、「直面している差し迫った気候変動の問題について、今すぐにでも『何かできる』と感じられるような運動の一員になりたいと思った」という。
早速ソーシャルメディアでニュージーランドの若者たちに活動への参加を呼びかけると、1週間で40人の若者が「助けになりたい」と連絡をくれた。
「私たちはすぐに緊密なチームへと成長し、毎週ミーティングを開き、政治家への働きかけなどを始めました」
そのわずか3週間後、ニュージーランドのアーダーン首相から電話があり、「生中継で質疑応答をしたいので会いたい」と言われたそうだ。
「実際に首相と質疑応答をした後、3回に渡って大きなストライキを実施しました。回を重ねるにつれ、学生だけの運動から世代を超えた運動へと発展していきました」
ハンドフォードさんたちは290の企業と提携したが、その中心は変わらず若者たちだったという。全てのストライキは12歳から21歳の若者たちが率いた。
「気候変動の問題を解決するには、若者だけではできないことも分かっています。私たちだけが声を上げるのではなく、あらゆる世代と力を合わせて取り組む必要がありました」
中には「無駄だ」「何も変わらない」と言う人もいた。「あなたがやっていることは違法のような気がする」といった反応もあったという。
「私たちがしていることは、決して違法なことではありませんと説明し続けました。人々は民主主義の中で自分たちの権利を行使し、自分たちの声を届けることができますが、多くの若者は、例えば投票するには若すぎるなど、自分の声を届ける手段を持っていません。だからこそ私たちは、物事が変わることを信じてストライキを実行したのです」
ストライキには、人口の3.5%にあたる17万人がニュージーランド全土から参加した。なぜここまで多くの人と連帯することができたのか。ハンドフォードさんは、「メッセージが明確だったからだと思います」と話す。
「もしあなたが良き祖先でありたいなら、もしあなたが地球のことを気にかけているなら、私たちが暮らしていくために必要なこのホームを愛しているのなら、立ち上がってください。自分の子どもや孫たちと同じように、地球のことを気にかけ、行動する必要があります、と呼びかけました」
ストライキの結果、気候変動についてメディアが報道する量が増え、社会的な関心が高まったという。国会議員と継続的に話し合いを続け、ゼロカーボン法制定、気候非常事態宣言発令、排出削減計画策定、炭素予算作成など政治も動き、「大きな成果を残せた」とハンドフォードさんは話す。
「気候ストライキを通じてシステムチェンジを実現できた唯一の理由は、人口の十分な割合が参加し、『私たちはこれを要求する』とはっきり述べたからです。一人一人の行動が確実にシステムチェンジを起こすことができると思っています」
「何かを変えたいなら…」18歳で地方議員へ
ストライキと同じ年の2019年、地方選挙があった。大きなうねりを見せたストライキと打って変わって、地方自治体にはそのエネルギーが全く反映されておらず、「私たちを代表しているはずの議員たちが気候変動を気にかけているとは思えなかった」とハンドフォードさんは言う。
草の根運動と政治のつながりをどう深めるか?何かを変えたいと思ったら、自分たちでやってみなければならないこともある。
そう思ったハンドフォードさんは、「とにかくやってみよう」と地元のカピティ海岸地区で立候補を決めた。
「それまで政治家になって公職につきたいと思ったことは一度もありませんでしたし、当選できるなんて思ってもみませんでした。でも、他の人に信じてもらいたいなら、まず自分が自分を信じなければなりません。少なくとも努力して何かを始めることは、『変化を起こせない』と感じているからといって同じ場所に留まるよりも良いと思っています」
ハンドフォードさんが議員になって、実際に政策に変化も起きた。例えばカピティ海岸地区の二酸化炭素排出量の56%は交通機関に起因している。そこで、公共交通機関を充実させ、住宅を適切な場所に配置するなど、地区計画を変えていったという。
他にも若者グループと提携して政策立案に若者の声を反映させる取り組みや、気候非常事態を宣言し、ニュージーランド全体の10年先を行く排出量ゼロ目標を掲げるなど、着実に成果を積み上げている。
なぜ絶望せずに活動し続けられるの?
気候変動の現状を知れば知るほど、行動すればするほど、絶望的な気分になる人も少なくないのではないだろうか。
なぜハンドフォードさんは希望を持って行動し続けられるのか。聞くと、「スマートフォンに保存している名言があるんです」と紹介してくれた。
ー楽観主義は、より良い未来を築くための戦略です。未来をより良くできると信じなければ、その実現のために自ら行動を起こし、責任を負うことは難しいでしょう。希望がないと決めつけてしまえば、希望は生まれないでしょう。自由を求める本能があり、物事を変える機会があると仮定すれば、より良い世界の実現に貢献できる可能性があります。選択はあなた次第です。
世界的な言語哲学者、ノーム・チョムスキー氏の言葉だ。
ハンドフォードさんにも、諦めたくなるほど落ち込む日もあるという。それでも、「世界は希望を与えてくれると信じている」と話す。
「私はこう考えています。今この瞬間、気候正義が実現し、人々が地球と調和して暮らす本当に美しい世界を創り出せたら、どんなにワクワクするだろうかと。悪いことが起きませんようにと願うのは嫌なんです。良いことが起きると期待したい」
日本の若い人たちへ伝えたいことを聞くと、「まず最初に、希望を見出してください」と話した。
「あなたが作り出したい変化に共感する世界中の人々と繋がり仲間を見つけること。そして年配の世代の中から味方を見つけることも非常に重要で、私たちが言いたいことを年配の世代が理解できる言葉に置き換える手助けをしてくれます。この2つを組み合わせ、自分に自信を持って、とにかく続けることが大切だと思います」
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気候変動に絶望しないための考え方とは?18歳でNZ地方議員になった環境活動家を支えた「名言」