「世界希少・難治性疾患の日(Rare Disease Day:以下RDD)」をご存じだろうか?
2008年にスウェーデンから始まったRDDは、より良い診断や治療によって希少・難治性疾患の患者の生活の質の向上を目指すイベントだ。2010年2月から日本でも活動が始まっており、その規模は徐々に拡大している。
希少・難治性疾患と聞くと、漠然と後ろ向きなイメージが先行したり、遠い存在のように思えてしまうが、RDDの規模拡大の背景には、そんな価値観をひっくり返すようなパワーがあるという。
今回、RDD日本開催事務局でもある NPO法人ASrid 理事長の西村由希子さんと、江本駿さんに話を聞いた。
外国語に訳せない「難病」という言葉
ーー早速ですが、そもそも難病と希少・治性疾患にはどのような違いがあるのでしょうか?
希少・難治性疾患は難病という大きな言葉の中に含まれるもののひとつです。今日の難病の定義に含まれるのは、患者数が少ない希少疾患(Rare Disease)と、完治が難しい難治性疾患、そして長期的な治療が必要な長期慢性疾患の3つ。ASridが焦点を当てて活動しているのは希少・難治性疾患です。
難病という言葉自体は1950年代から使われているのですが、その定義は時代と共に変化してきました。例えば1972年に厚生省から難病対策要項が発出されたとき、そこで難病とされていたのは8種類の疾患のみで、今日でいう希少疾患の一部に限られていたんです。
そこから医療の発展で「かつては希少だったものが、今は希少ではなくなった」ということも起きたり、ふわっと使われていた難病という言葉の中でそれぞれの病気の立ち位置が変わることもありました。
2014年に「難病法」という法律ができたことで、改めて言葉の定義が定められたのですが、長きにわたって使われてきた言葉に後付けをしたものなので、今でも輪郭が鮮明とは言えないのが現状です。日本の歴史を反映した言葉である「難病」は直訳ができないため、私たちは海外でも“NANBYO”を使い、今お話したような背景も説明しています。
多様なステークホルダーを繋ぐ「横串」
ーーASrid創立の背景には、どのようなものがあったのでしょうか。
大きな転機となったのは2008年。世界中の希少・難治性疾患関係者が集う国際会議 International Collaboration on Rare Diseases and Orphan Drugs への参加でした。
私は2007年頃から研究者としてこの領域に入ったのですが、希少・難治性疾患は、他の分野と比べても研究が進んでいないことばかりで、課題を感じていました。
しかし、その国際会議で「これがあれば前に進めるかも」という光景に出会いました。会議では、医療関係者や当事者(患者)、研究者などが上下関係やパワーバランスの偏りなくディスカッションをしていて、それが日本では見たことのない光景だったんです。多様なステークホルダー同士がフラットに繋がり、多角的な視点やデータを持ち寄って、分業して、未知の分野を開拓していく。「こんな世界があるのか」と衝撃を受けたのを覚えています。
そこで「ステークホルダー同士を繋ぐ横串があると良いのでは」と思い、2014年に「希少性疾患・難治性疾患に特化した中間機関(利害関係者ではない立ち位置)」としてASridを創立しました。研究領域に入った2007年から、大学の人や会社員の人などと活動していたので、ASridはその延長線にあるイメージです。
ーー利害関係の外側にいる「中立機関」ですか。
はい。簡単に言えば、私たちはどこにも属さない「調査研究屋さん」なんです。
どこかに属することは、そのステークホルダーの視点からしか意見が言えなくなることでもあるので、私たちは公平な俯瞰者でいることを大切にしています。
利害関係の外側にいることで「これに関しては当事者サイドが正しいけれど、こっちの問題に関しては医者の意見が正しいね」とエビデンスを元に公平な意見を言ったり、クライアントが踏むべき次のステップを提案したりできます。目的や優先順位に応じて、中間機関として当事者サイドと組むこともあれば、当事者サイドのために企業や行政と組むこともあります。小回りも効きますし、スピード感があるのも中立機関の特徴ですね。
急速に拡大するRare Disease Day
ーーASridは世界希少・難治性疾患の日(Rare Disease Day:以下RDD)の日本開催事務局でもありますね。
はい。2008年の国際会議で「RDD(のイベント)やった?」とヨーロッパからの参加者の方々がお話ししているのを聞いて、存在を知ったのがはじまりです。
当時はイベントを開催した経験もなかったのですが、有難いことに3つの企業が協賛してくださり、2009年度(10年2月)に第1回目を開催をしました。2023年現在の協賛は54社にまで増え、開催箇所も64場所まで拡大しています。はじめは当事者だけだった主催者も、今では大学の関係者、図書館、商店街、高校生など、いろいろな人が名乗りをあげて、いろいろな形でRDDを開催しています。
ーー医療関係者や患者ではない人も、RDDを開催しているんですね。
はい。難病や希少・難治性疾患という言葉をネガティブに感じる人もいるかと思いますが、RDDにはお祭りのようなポジティブな響きがありますよね。そういった敷居の低さや、誰でも参加できる雰囲気も魅力だと思います。毎年「RDDを最近まで知りませんでした」という人にもたくさん会いますが、RDDには「全然大丈夫だよ。一緒に楽しもう」というフレンドリーさがあるんです。
私たちはあくまでも事務局なので、誰がどんなRDDをするのかは、それぞれの主催者が中心となって決めています。少人数で集まって労りあって涙を流すようなRDDでもいいし、笑いの絶えないアクティビティで盛り上がるRDDがあってもいい。そんな多様さも魅力ですね。
また、トークセッションをはじめ、“普通”の当事者が発信する場所であることにも、大きな意味があります。
メディアで光が当てられる当事者は、顔出しOKで、お話が上手で、受け手の心に何か訴えかけるような辛い経験をしているなど、かなり条件が限られてしまうんです。メディアの都合上、そういった「スターペイシェンツ」に機会が集中するのは理解できますし、そういった人たちだからこそ語れることもたくさんあります。しかし一方で、“スター”じゃない当事者たち、もっと私たちに身近で“普通”の当事者たちが自分のことを語る場所があまりにも限られています。
そこでRDDという場所があれば「こういう症状があるけど、元気にモリモリご飯を食べてるよ」「家族の仲が良いから、症状があっても楽しく暮らしてるよ」と、患者としてではなく、個人としての側面にも光が当てることができます。特別な準備をせず、“普通”の人が“普通”の話をする。その姿を見て、他の当事者が「自分たちって引きこもってなくていいんだ」と思えるかもしれないし、病気を患っていない人も、希少・難治性疾患を身近に感じることができるかもしれません。
ーー第1回目の開催から15年。イベント自体の魅力に加え、急激な拡大の背景には何があるのでしょうか?
協賛企業の方との繋がりを大切にしていることも、大きな理由だと思います。
一度協賛を決めてくださった企業には「どんな少額でもいいから、今後もずっと続けてください」とお願いしています。「大きな金額ではなくても、細く長くをみんなでつくっていきましょう」というのが私たちのスタンスなんです。
RDDの予算は毎年、繰越金も作りません。秋の資金調達のシーズンになったら、協賛金額の大小を問わず、同じ熱量で同じだけ心を込めて全社に挨拶に行っています。企業の関係者が変わることもあるので、今年の勝負を一緒にする仲間たちと、直接に顔を合わせることを大切にしています。
熱量を持ってやっている以上、大変なこともありますが、大前提にイベントの楽しさがあるからこそ続けて来れたのも事実です。毎年2月になると、事務局として「素敵な機会をありがとう」「この日が来てよかった」と心から感じますね。
病人・患者ではなく、症状がある「個人」として生きられる社会へ
ーーASridとして、社会に向けての希望はありますか。
RDDにも通ずることですが、希少・難治性疾患の症状がある人も「個人」であるということを前提に据えた社会になれば嬉しいなと思います。
希少・難治性疾患と聞くと距離を感じる人も多いと思いますが、誰しもが病気になりえますし、誰しもがなんらかの症状とともに生きていく可能性があります。そういった人たちに「病人」というラベルを貼ることもできるかもしれませんが、それ以前に、そこには個人がいて、暮らしがあります。
今日のお話でもそうしているように、私たちは普段から「病人」ではなく「〜の症状がある人」、患者より当事者という言葉を主に使うことで、他の人と変わらない個人であることを大切にしています。また「当事者だけでなく、ご家族の意見も尊重され、意思決定の場にいることが大切」という価値観のもと、当事者サイドという言葉も頻繁に使っています。
ーー確かに難病や希少・難治性疾患の患者と聞くと、無意識に個人の他の側面を削ぎ落とすことになりかねませんね。
症状を持っている人でも、社会のあり方次第では活躍できます。例えばコロナ禍を機にオンラインでの仕事が一般化したことで、それまで「病気だから」と社会に平等にチャンスを得られなかった人たちが能力を生かしやすい社会になりました。
高齢化が進む日本では、フルタイムで働けない、なんらかの症状がありながら、その中で豊かに生きている高齢者も増えていきます。「高齢者でも働けるシステムを作ろう」という議論も進むと思いますが、そこで「そういった現状を加味して、どんなふうに働いてもらえばいいの?」という問いを考えるとき、もっと若い世代で、症状があって、フルタイムでは働けないけど能力がある人たちの現在の働き方が参考になるはずです。症状がある人でも働ける社会は、長期的に見てもメリットがたくさんあるんです。
「病気の人とそうじゃない人」という二分法を問い直し、社会が緩やかに連続しているという価値観を広げていくためには、気持ち(感情論)以外の視点から呼びかけることも大切です。
気持ちで理解する人もいれば、エビデンスやデータという数字で理解する人もいます。ASridは引き続き、前者にも後者にも寄り添える組織でありたいと思います。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「病気の人」と「そうじゃない人」の二分法を超える。NPO法人ASridが描く希少・難治性疾患の未来