「『在日』は日本と韓国の狭間で生き、時に忘れられる存在。でも、在日こそが自分のアイデンティティです」
俳優の朴昭熙(パクソヒ)さんは日本で生まれた在日コリアン3世、そしてアメリカを拠点に活動する俳優として、そう話す。
渡米から約10年。2022年、在日コリアン一族の4世代にわたるストーリーを描いた同名小説をドラマ化した『パチンコ』に出演し注目を集めた。
しかし、『パチンコ』に出会うまでは苦難が続いた。日本で生まれ育ち日本語が第一言語にもかかわらず、「朴昭熙」の名前では日本人役のオーディションを受けることさえできず、実績の積みようもなかった。新しい芸名を名乗ることを決めたが、心は揺らいだ。
自分自身を「俳優というより、アントレプレナー(起業家的精神)」だと評する朴さん。大切にするルーツや、アメリカでの挑戦の日々、そしてこれからの未来について話を聞いた。
アメリカでの10年「誰も在日のことを知らないんじゃないか」
Apple TV+で配信中のドラマ『パチンコ』は、韓国系アメリカ人の作家ミン・ジン・リーさんの同名小説が原作。リーさんは在日コリアンへの取材をもとに書き上げ、朴さんも33歳頃に取材を受けた一人だった。
「『パチンコ』の映像化を知ったのは、俳優としてのアイデンティティが混乱の極みに達していた頃。韓国や日本が描かれる作品が増えても、ハリウッドでは誰も在日のことを知らないんじゃないかと感じてきました。だからこそ『パチンコ』は、一生に一度の出会い。これに出られなかったら日本に帰るか役者をやめるかーーそれぐらいの覚悟でオーディションを受けました」
朴さんは、1975年に新潟県上越市で生まれた在日3世。祖父母は『パチンコ』の主人公と同じく、日本による植民地下の1930年代に朝鮮半島から日本に渡った。父は在日コリアン向けの新聞「統一日報」の記者で、人権運動にも参加していた。
朴さんが『パチンコ』で演じたモーザスは在日2世で、自身の親にあたる世代だ。
「2世は在日社会の基盤やダイナミズムを作り上げた世代。父は指紋押捺拒否運動(※)に参加していて、よく仲間と議論しているのを見て育ちました。同時に、2世は韓国生まれの親との違いもあり、言語や名前などでアイデンティティが脅かされる最初の世代です。僕は2世が本当の意味での“在日の始まり”だと考えています」
※指紋押捺拒否運動…外国人登録法に定められた指紋押捺義務は、外国人への人権侵害だとして、拒否することで制度撤廃を訴えた市民運動。在日コリアン1世の男性から全国に広がり、1980年代に活発化した。
「2世はレジェンド」身一つでできるビジネスとして選んだ俳優
朴さんにとって「2世はレジェンド」。在日コリアンであることを理由に就職差別に遭った人が多い世代で、生活を維持するためには、自ら事業を起こすことが限られた手段の一つだった。朴さんが俳優になったのも、2世に囲まれて育った影響があるという。
「子どもの頃から2世の人たちに混ざって、ちょこんとその場にいるのが好きでした。よく笑いよく怒りよく稼ぎよく食べ…僕にとって在日2世ほど面白い人たちはいないんです。
今振り返ると、2世のアントレプレナー(起業家精神)的な、『みんなが社長・実業家』という考えを受け継ぎ、自分の身一つでできるビジネスとして俳優を選んだんだと思います。
朴昭熙という名前で、日本の社会や学校で異質な存在ーー日本人じゃない、外国人だと言われながら生きてきた。だからこそ自然と外へと目が向き、世界を飛び回る仕事に興味を持って、早稲田大学の商学部で貿易を学びました」
俳優と貿易。一見遠く見える2つの職業だが、朴さんの中では繋がっている。
「アントレプレナーの視点では、役者としての自分自身が商品なんです。この10日間でも、撮影でトロント、ロサンゼルス、東京を行ったり来たりして、貿易をやっているなと思います」
大学卒業後から日本で演劇の舞台に立ち始めた。文学座の研究生だった頃に、アメリカの有名演出家ロバート・アラン・アッカーマンさんの目に留まり、デビュー作をはじめ数多くの作品に出演。同氏が監督を務める映画への出演が、アメリカで活動するきっかけになった。
移住を決めた2012年当時は、日本での活動に難しさを感じていた時期でもあった。
「日本は既得権益というか、映画やテレビにはいつも知ってる顔の人たちしか出ていなかった。オーディションがほとんどなく、力が発揮できず悔しかったです。
芸能事務所のシステムも合いませんでした。パワハラ的なことが日常茶飯事で、差別的な扱いをされてきた。在日のルーツを隠して活動している同業者から無視され、握手を断られたこともありました。今思うと、自分も在日だと知られるのを避けたかったのかもしれません。そんな環境でも負けずに自分からコミュニケーションをとっていましたが、全然話ができない。もうダメだと諦めの気持ちもありました」
行き詰まりを感じて飛び込んだ、ハリウッドの世界。しかしそこで、思いがけない壁が立ちはだかる。
「朴昭熙」から芸名を変える苦渋の決断
在日コリアンの中には、就職や住宅入居、日常生活など様々な面での差別を避けるための方法として日本式の通名を使う人もいるが、朴さんは本名の「朴昭熙」で生きてきた。在日であることに誇りを持って生きてほしい、という父のこだわりもあったという。
アメリカでもこの名前で活動を続けていくつもりだった。しかし、在日の存在や歴史の知られていないアメリカでは、「朴昭熙」と書いた書類審査で落とされ、門前払いされてきた。「あなたは『オーセンティックジャパニーズ(本物の日本人)』じゃないので、日本人役はできない」と一方的にオーディション参加を断られたこともあった。
「『在日』は日本と韓国の狭間で生き、時に忘れられる存在。でも、僕は在日こそが自分のアイデンティティです。『アジア系活躍』と言っても、アメリカではまだアジア人をちゃんと評価できていない。彼らが想像する『アジア人らしさ』にあてはまるバックグラウンドや容姿を持つ役者ばかりが選ばれているのが実態でしょう」
出演作が決まらず、俳優をやめる選択肢が頭に浮かんだこともあった。2016年、悩み抜いた末に朴さんは芸名を日本風の「ソウジ・アライ」に変える決断をした。
「本名に誇りを感じてきたので、名前を変えざるを得ないことには深い葛藤がありました。通名も在日の文化の一つーーというのは後付けで考えましたが、気づいたこともあります。
今になって『どっちも自分の名前』と言っていた在日の友人たちの気持ちがわかった気がします。通名を『負の遺産』のように思っていても前には進めない。どっちの名前も愛しているのだから、在日の文化として受け入れればいいと思うようになりました。
これからもソウジ・アライの名を使いながらも本名も名乗ります。本名を使い続けることは、日本でルーツを隠して活躍している在日の俳優たちに対しての働きかけのつもりでもあるんです。もちろん強制するつもりはないですが、『自由にしようよ』って。今の時代、マイノリティの葛藤や苦悩だけじゃなくて、面白さも感じながらやっていくのもありなのかなと思うんです。それが若い世代にもいい影響を与えるかもしれませんから」
日本での活動も再び。早速掴んだ役は
『パチンコ』との出会いは人生の転機になった。その後も、オスカー俳優のレイチェル・ワイズさんと共演した『戦慄の絆』や、アメリカのHBOと日本のWOWOWが共同制作した『TOKYO VICE』など出演作が次々と決まっている。
ハリウッドでさらなる活躍を目指していくーーのかと思いきや、今視野にあるのは日本での俳優活動だ。
「ハリウッドでアジア人のキャラクターが増えてきたといっても、奥行きのある人間として描かれる作品がまだまだ少ない。その役として人生を全うできるような作品に出会いたくて、これから日米の往来が増える予定です」
早速掴んだ役もある。『TOKYO VICE』では、人伝にキャスト未定の役があると聞き、自分から電話をかけた。
オーディションで役を勝ち取るも、実は『パチンコ』の契約期間中は他作品出演への制限があったため、『TOKYO VICE』に出るための交渉に4カ月かかったという。制作側はその間新たに人を呼びオーディションも実施したが、最終的に、朴さんからの連絡を待ち続けた。制作陣は、朴さんのどこに惹かれたのだろうか。
「自分だけが持ってるものを感じ取ってくれたのなら、嬉しいですね。海外で多人種・多民族・多文化の中で揉まれながら、なんとかのし上がっていかなきゃいけない場所で闘ってるから、役者としての存在感が変わってくるのかもしれません。
日本の学校では異質と言われ、親は活動家。小学生の時に家のドアを開けたら、サングラスを掛けた黒スーツの人たちがいた。大人になって、あれ公安だったんだ、みたいな(笑)。それが日常だったので、 元々培われてきたものが海外に行ってさらに広がったのかもしれませんね」
「これから作っていくキャリアのほうがもっと面白い」
朴さんが今情熱を持っているのは、俳優業だけではない。「いい作品、役に出会えるのを待つだけじゃつまらない」とも考え、プロデューサーとしても動き始めている。
「アリゾナで日本酒を作っている櫻井厚夫さんという醸造家がいて、彼の人生を映画にしたいと考えています。酒造りに到底向いていないアリゾナの砂漠で奮闘しながら酒造りを始めた方。会って話すと、自分の人生と共鳴する部分を感じました」
「在米の在日コリアン」として日韓米の言語や文化を知る朴さん。俳優としてもプロデューサーとしても、挑戦したいことはまだまだある。
前へ前へと突き進んでいくこの原動力はどこから生まれてくるものなのだろうか。そう尋ねると、朴さんは少し悩んでから、10年前のエピソードとともにこんなヒントを教えてくれた。
「渡米した時は、日本で10年以上舞台に立って、映画やドラマでこれから、というタイミングでした。今までやってきたキャリアを棒に振るなんてもったいない、バカじゃないのか、と言ってきた先輩もいましたが、自分には全く迷いはなかった。『なんでもったいないの? これから作っていくキャリアのほうがもっと面白いし、大きいものになっていくのに』と思っていました。突拍子もないことに進む時に、自分にブレーキを掛けないんですよね。その考えは今も変わりません」
♢
「アジア系活躍」。アメリカのハリウッドでは、この数年の間でアジアにルーツのある俳優や作品がアワードを盛り上げ、日本でもこうした取り上げ方が増えている。
しかし、その中で取りこぼされている人たちはいないだろうか。
後日公開のインタビュー後編では、朴さんに日本風に芸名を変えた詳しい経緯や、出演作『パチンコ』で感じた在日コリアンを描く上での課題について、話を聞いた。
(取材・文=若田悠希 @yukiwkt/ハフポスト日本版)
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「在日コリアンが本名で生きる」その壁と希望。朴昭熙さんが、日米で活躍する俳優になるまで