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子育ては親だけですべき?難病と共に「就職・結婚・出産」を叶えた今、私が描く未来

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国が定めた指定難病のひとつ、「筋ジストロフィー」をご存じだろうか。

「全身の筋肉が衰えていく、治療法のない病気です」と語るのは、20歳で筋ジストロフィー(※)を診断された小澤綾子さん。

現在は仕事や育児の傍ら、車いすチャレンジユニット Beyond Girls のリーダーとしても活動しており、2021年には東京パラリンピックの閉会式に出演した。

カラッとした明るい笑顔が印象的な小澤さんに、難病と生きてきた人生の軌跡や現在地、そして見つめる未来を聞いた。

(※日本筋ジストロフィー協会によると「身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称。2015年7月から指定難病)

病気の診断よりも辛かったこと

━━ 早速ですが、筋ジストロフィーと診断された時期や、当時の心境を伺ってもよいでしょうか。

診断されたのは20歳の頃です。しかし、小学校4年生頃から違和感は感じていました。友達は成長につれて足が速くなっていくのに、私はどんどん遅くなっていったんです。中学校では長距離走が困難になり、高校生になると階段を登ることも難しくなりました。

ずっと「何か変だな」と思っていたのですが、いくつか病院に行ってみても「特に大きな問題はない」と言われるばかり。そして、20歳のときに訪れた病院で初めて、筋ジストロフィーと診断されたんです。

先生から「治療法はありません。10年後には車椅子、その先は寝たきりになるでしょう」と言われてショックを受けた反面、「やっぱり病気だったんだ。私が悪いんじゃないんだ」とホッとしたのを覚えています。学校の先生に「ちゃんと走れ」と言われたり、友達からからかわれたり、ずっと「誰も私をわかってくれない」という気持ちを抱えていたんです。

筋ジストロフィーと診断されたとき、私は「就職・結婚・出産」の3つを諦めました。周囲に車椅子の人や難病と生きている人がいなかったので、イメージが先行していた部分はあったのですが、「私は普通には生きられないんだ」と思っていました。

━━ 今はそのすべてを実現されていますね。

自分でもびっくりです(笑)。大変なことは数えきれないほどありましたが、やってみるもんですね。

最初に社会の壁にぶち当たったのは、就職活動。私は大学での勉強も頑張っていましたし、面接での受け答えにも自信を持って臨んでいましたが、面接で聞かれるのは「いつまで働けるの?」「何ができないの?」といったネガティブな内容ばかりで、私のやりたいことや得意なことは聞いてもらえませんでした。そのときに「病気のことしか見てもらえない」「同じ土俵にも立たせてもらえない」と痛感したんです。そこから「誰かの手を借りないと生きていけない」「生きてる意味あるのかな」と考えるようにもなってしまい、その頃は筋ジストロフィーと診断されたときか、それ以上に辛かったです。

そんな中で、今勤めている企業の採用ブースでお話を聞いていたら「小澤さんはこの企業に入ったら何がしたい?」とはじめて聞かれたんです。すごく多様な人たちが働いている企業で、私と同じ病気を抱えている人も働いていると聞いて驚きました。そこで「ここなら働けるかも」と面接を受けて、新卒で就職できました。

今は育休中なのですが、仕事があまりに楽しくて、つい進んで残業もしちゃうことも多々あります(笑)。社会に役割がある、社会に参加できることはすごく嬉しいことですね。

「難病があるから」「子育ては親だけがするもの」…。数々の偏見を乗り越えて“今”がある

━━ 諦めていた結婚と子育ても、小澤さんは実現していますね。

実は夫が「結婚しよう」って言ってくれた後、しばらく返事ができませんでした。「この人を幸せにできるのか?」「迷惑ばかりなんじゃないか」と思うと、なかなか答えが出せなかったんです。それでも、彼が無邪気に「返事はまだ?」と聞いてくれたので「この人は私のすべてを受け入れるつもりなんだ」と感じて、首を縦に振りました。

私の障がいを「深く考えていない」といったら語弊があるかもしれませんが、とにかく対等で、他の多くの夫婦と何ら変わりない普通の夫婦なんです。対等に喧嘩もしますし、私が「できないことがいっぱいでごめんね」という態度で接すると、夫は「俺にできないこともたくさんあるし、互いに補ってるだけじゃん」と言ってくれる”超バリアフリーな人間”なんです(笑)。私はそんな彼の姿を見て「難病があるから迷惑をかけてばかりになる」と自分自身に偏見を持っていたと気付かされました。

━━ 病気の有無は関係なく、個人として対等に支え合っている。とても素敵な関係ですね。おふたりは初めから子育てを考えていたのですか?

実はそうでもないんです。この病気は遺伝性のものもあるのですが、私の場合は夫が健康なら遺伝しないとわかっていました。しかし、子どもが何かしらの病気や障がいを持って生まれてくる確率もゼロではありません。もしそうなったら「夫が潰れちゃうんじゃないか」と思い、なかなか踏み出せずにいたんです。しかし、コロナ禍でそれまで以上にふたりで会話をする時間が増えたことで「やっぱり子どもがいたらいいね」と答えを出しました。

我が子の誕生は、人生で一番嬉しかったことです。しかし、赤ちゃんを抱き上げたり、おむつを変えたり、悔しいですが私には一人でできないことがあるのも事実。妊娠を発表したときは「自分の面倒も自分でみれないのに」「子どもの気持ちを考えろ」と心無い言葉も聞こえてきました。

しかし、私たちは難病や障がいの有無に関係なく「子育ては親だけですべきもの」とは思わないようにしています。子育てを決めたときから「いろんな人の手を借りて子育てしていこう」と決めていました。東京から地元へと引っ越しをして、友達や家族、国や自治体の制度など、サポートしてくれる人やものには素直に頼ることにしたんです。夫も勤めている会社で初となる育休を取得して、一緒に子育てをしています。

もちろん親としてできることは精一杯していますし、色々な人の優しさや愛情のもとで一緒に育てていくことも、ひとつの家族の形だと思っています。自治体の許可を得るのが大変なのですが、我が家のように、障がいや難病を抱えている人がヘルパーさんに手伝ってもらいながら育児をする場合も増えています。

難病や障がいがある人も、もっと当たり前に「子どもを持つ」という選択肢を選べる社会になってほしいですね。

ステージみたいな社会を共創したい。だから、まずは「友達になりましょ?」

━━ 仕事や育児の傍ら、Beyond Girls をはじめとした啓発活動にも注力しています。Beyond Girls の活動の根幹にはどんなメッセージがあるのでしょうか?

Beyond Girlsのメンバー。梅津絵里さん(左)小澤綾子さん(中央)中嶋涼子さん(右)Beyond Girlsのメンバー。梅津絵里さん(左)小澤綾子さん(中央)中嶋涼子さん(右)

車椅子に乗った女性ユニットの Beyond Girls では、歌のパフォーマンスや講演会での登壇のほかに、色々なことに挑戦する様子を元気に楽しく発信しています。

メンバーふたりは、私が車椅子に乗るきっかけをくれた人たちでもあります。わたしは元々、歌や講演活動を通して病気や障がいについて知ってもらう活動を1人でしていたのですが、あるタイミングでお医者さんから「車椅子に乗った方がいいよ」と言われて、戸惑っていました。「車椅子になってしまったら、出来ないことが増えそうで嫌だな」と漠然と感じていたんです。

そんなときに、車椅子に乗って元気いっぱいに好きなことをやっているふたりに出会いました。その姿を見て「車椅子に乗ってるかどうかなんて関係ないんだ」と思い、そこで初めて車椅子に乗ってみたんです。それから「車椅子のイメージを変えられるような活動ができたら面白いな」と思って、ふたりに声かけたら賛同してくれて、2017年に Beyond Girls が結成されました。英語で「超える」を意味する「Beyond」には、障がいや自分の可能性、自分の「できない」を超えようというメッセージが込められています。

━━ Beyond Girls の合言葉は「違いを楽しもう」ですね。

はい。昔は周囲と違うことが恥ずかしかったのですが、色々な人と出会う中で、病気に関わらず、その人のマイノリティ性や違いのおかげで社会が豊かになっているんだと思えるようになりました。例えばメガネだって「目が見えにくい」という視力の違いから生まれて当たり前になった道具ですし、違いに身構える必要はないんです。

活動をしていく中でも「車椅子の人にどう接したらいいの?」と聞かれることがあるのですが、「普通でいいんですよ」というのが私たちの答えです。「好き嫌いだってあるし、同じ人間だから怖くないですよ(笑)」と伝えています。

パラリンピックの閉会式に参加したときも、パフォーマンスの舞台には色々な人がいました。障がいがある人も、そうでない人も、みんな違うのに、混ざり合っていて、楽しそうで、何よりかっこよかった。それを見て「社会もこうあってほしい」「この先の未来をこんなふうに作っていきたい」と強く思ったのを覚えています。

単純に聞こえるかもしれませんが、社会にマニュアルはありませんし、誰もがより生きやすい社会を共創するために大切なのは、違いを学び合うための会話です。なので、私はとにかく「しゃべりましょ」「友達になりましょ」という気持ちを大切しています。この記事を読んでくださった方々にとっても、そんな会話を生むきっかけになれたら嬉しいです。

<取材・執筆=林慶(@kei_so_far)>

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