関連記事>>性同一性障害職員の女性トイレ制限は「違法」。最高裁が逆転判決、性的マイノリティの職場対応で初判断
戸籍上の性別を変更していない性同一性障害職員の女性トイレ使用を経済産業省が制限した問題で、最高裁の第三小法廷(今崎幸彦裁判長)は7月11日、使用制限は「違法」とする判決を言い渡した。
最高裁はどんな理由で、女性に自認するトイレの使用を認めるべきと判断したのか。
判決全文は以下の通り。(個人の特定につながる部分は「●」で表示しています)
令和3年(行) 第285号
判決
上記当事者間の東京高等裁判所令和2年(行コ)第45号行政措置要求判定取消、国家賠償請求事件について、同裁判所が令和3年5月27日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
1 原判決中、 人事院がした判定のうちトイレの使用に係る部分の取消請求に関する部分を破棄し、同部分につき被上告人の控訴を棄却する。
2 上告人のその余の上告を棄却する。
3 訴訟の総費用は、これを10分し、その1を被上告人の負担とし、その余を上告人の負担とする。
理由
上告代理人山下敏雅ほかの上告受理申立て理由 (ただし、排除された部分を除く。)について
1 本件は、一般職の国家公務員であり、性同一性障害である旨の医師の診断を 受けている上告人が、国家公務員法86条の規定により、人事院に対し、職場のトイレの使用等に係る行政措置の要求をしたところ、いずれの要求も認められない旨の判定(以下「本件判定」という。)を受けたことから、被上告人を相手に、本件判定の取消し等を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 国家公務員法86条は、職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関 し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる旨を規定し、同法87条は、上記の要求のあったときは、人事院は、必要と認める調査、口頭審理その他の事実審査を行い、一般国民及び関係者に公平なように、かつ、職員の能率を発揮し、及び増進する見地において、事案を判定しなければならない旨を規定する。
(2)ア 上告人 (昭和●年生まれ)は、平成●年4月、●●●として採用され、同16年5月以降、経済産業省の同一の部署で執務している。上記部署の執務室がある庁舎(以下「本件庁舎」という。)には、男女別のトイレが各階に3か所ずつ設置されている。なお、男女共用の多目的トイレは、上記執務室がある階(以下「本件執務階」という。)には設置されていないが、●●●複数の階に設置されている。
イ 上告人は、生物学的な性別は男性であるが、幼少の頃からこのことに強い違 和感を抱いていた。上告人は、平成10年頃から女性ホルモンの投与を受けるようになり、同11年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受けた。そして、上告人は、平成18年頃までに、●●●を受けるなどし、 同20年頃から女性として私生活を送るようになった。
また、上告人は、平成22年3月頃までには、血液中における男性ホルモンの量 が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていた。なお、上告人は、健康上の 理由から性別適合手術を受けていない。
(3) ア 上告人は、 平成21年7月、上司に対し、自らの性同一性障害について伝 え、同年10月、経済産業省の担当職員に対し、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等についての要望を伝えた。これらを受け、平成22年7月14日経済産業省において、上告人の了承を得て、上告人が執務する部署の職員に対し、上告人の性同一性障害について説明する会(以下「本件説明会」という。)が開かれた。担当職員は、本件説明会において、上告人が退席した後、上告人が本件庁舎の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、本件執務階の女性トイレを使用することについては、数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えた。そこで、担当職員は、上告人が本件執務階の一つ上の階の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、女性職員1名が日常的に当該女性トイレも使用している旨を述べた。
イ本件説明会におけるやり取りを踏まえ、経済産業省において、上告人に対 し、本件庁舎のうち本件執務階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇 (以下「本件処遇」という。)を実施することとされた。
上告人は、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務し、主に本件執務階から2 階離れた階の女性トイレを使用するようになったが、それにより他の職員との間でトラブルが生じたことはない。
また、上告人は、平成23年●月、家庭裁判所の許可を得て名を現在のものに変更し、同年6月からは、職場においてその名を使用するようになった。
(4) 上告人は、平成25年12月27日付けで、国家公務員法86条の規定により、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求をしたところ、人事院は、同27 年5月29日付けで、いずれの要求も認められない旨の判定 (本件判定。以下、本件判定のうち上記のトイレの使用に係る要求に関する部分を「本件判定部分」という。)をした。
3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、本件判定部分の取消請求を棄却した。
経済産業省において、本件処遇を実施し、それを維持していたことは、上告人を 含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を果たすための対応であったというべきであるから、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえず、違法であるということはできない。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては、広範にわたる職員の勤務条件について、一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から、人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり (同法71条、87条)、その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。したがって、上記判定は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に違法となると解するのが相当である。
(2)これを本件についてみると、本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、上告人を含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。
そして、上告人は、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているということができる。
一方、上告人は、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与や●●●を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に、上告人が本件説明会の後、女 性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また、本件説明会においては、上告人が本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、上告人による本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
以上によれば、遅くとも本件判定時においては、上告人が本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、上告人に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。
(3) したがって、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるというべきである。
5 以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違 反がある。論旨は理由があり、原判決中、本件判定部分の取消請求に関する部分は破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、上記請求は理由があり、これを認容した第1審判決は正当であるから、上記部分につき被上告人の控訴を棄却すべきである。
なお、上告人のその余の上告については、上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので、棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官宇賀克也、同長嶺安政、同渡邉惠理子、同林道晴、同今崎幸彦の各補足意見がある。
裁判官宇賀克也の補足意見は次のとおりである。
1 本件で第1審と原審とで判断が分かれたのは、1上告人が女性ホルモンの投与や●●●等により女性として認識される度合いが高いことがうかがわれ、その名も女性に一般的なものに変更されたMtF (Male to Female)のトランスジェンダーであるものの、戸籍上はなお男性であるところ、このような状態にあるトランスジェンダーが自己の性自認に基づいて社会生活を送る利益をどの程度、重要な法的利益として位置付けるかについての認識の相違、及び2上告人がそのような状態にあるトランスジェンダーであることを知る同僚の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等をどの程度重視するかについての認識の相違によるのではないかと思われる。
2 本件を検討するに当たって、上告人が戸籍上はなお男性であることをどのように評価するかが問題になる。本件で、経済産業省は、上告人が戸籍上も女性になれば、トイレの使用についても他の女性職員と同じ扱いをするとの方針であったことがうかがわれるが、現行の性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の下では、上告人が戸籍上の性別を変更するためには、性別適合手術を行う必要がある。これに関する規定の合憲性について議論があることは周知のとおりであるが、その点は描くとして、性別適合手術は、身体への侵襲が避けられず、生命及び健康への危険を伴うものであり、経済的負担も大きく、また、体質等により受けることができない者もいるので、これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべきといえる。本件においても、上告人は、当面、性別適合手術を受けることができない健康上の理由があったというのであり、性別適合手術を受けておらず、戸籍上はなお男性であっても、経済産業省には、自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益をできる限り尊重した対応をとることが求められていたといえる。
3 経済産業省は、職員の能率が充分に発揮され、かつ、その増進が図られるように服務環境を整備する義務を負っているところ(国家公務員法71条1項)、庁舎内のトイレについて、上告人の自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益に配慮するとともに、同僚の職員の心情にも配慮する必要がある。本件で経済産業省が、女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等を重視してとった対応が上告人の自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益に対する制約として正当化できるかを検討すると、法廷意見が指摘するとおり、上告人が女性トイレを使用することにより、トラブルが生ずる具体的なおそれはなかったと認められる。
そして、本件判定が行われた平成27年5月29日の時点では、上告人が女性の 服装で勤務を開始してから4年10か月以上経過しており、上告人がその名を変更 し職場においてその名を使用するようになった平成23年6月からは約4年が経過 していた。したがって、本件判定時には、たとえ、上告人がMtFのトランスジェ ンダーで戸籍上はなお男性であることを認識している女性職員が、本件執務階とその上下の階の女性トイレを使用する可能性があったとしても、そのことによる支障を重視すべきではなく、上告人が自己の性自認に基づくトイレを他の女性職員と同じ条件で使用する利益を制約することを正当化することはできないと考えられる。
さらに、上告人が戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので、研修により、相当程度払拭できると考えられる。上告人からカミングアウトがあり、平成21年10月に女性トイレの使用を認める要望があった以上、本件説明会の後、当面の措置として上告人の女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかったとしても、経済産業省は、早期に研修を実施し、トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ、かかる制限を見直すことも可能であったと思われるにもかかわらず、かかる取組をしないまま、上告人に性別適合手術を受けるよう督促することを反復するのみで、約5年が経過している。この点については、多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえないように思われる。
4 結論として、本件判定部分は、本件の事実関係の下では、人事院の裁量権の 行使において、上告人がMtFのトランスジェンダーで戸籍上はなお男性であることを認識している女性職員が抱くかもしれない違和感羞恥心等を過大に評価し、上告人が自己の性自認に基づくトイレを他の女性職員と同じ条件で使用する利益を過少に評価しており、裁量権の逸脱があり違法として取消しを免れないと思われる。
裁判官長嶺安政の補足意見は次のとおりである。
私は、法廷意見に賛成であるが、さらに以下の点を敷衍しておきたい。
本件説明会において、担当職員が、数名の女性職員の態度から違和感を抱いていると見たことから、経済産業省としては、職員間の利益の調整を図ろうとして、本件処遇を導入したものと認められるところではあるが、トイレの使用への制約という面からすると、不利益を被ったのは上告人のみであったことから、調整の在り方としては、本件処遇は、均衡が取れていなかったといわざるを得ない。もっとも、上告人は、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務するようになったというのであるから、本件処遇は、急な状況の変化に伴う混乱等を避けるためのいわば激変緩和措置とみることができ、上告人が異を唱えなかったことも併せて考慮すれば、平成22年7月の時点において、一定の合理性があったと考えることは可能である。
しかし、本件判定時に至るまでの4年を超える間、上告人は、職場においても一貫して女性として生活を送っていたことを踏まえれば、経済産業省においては、本件説明会において担当職員に見えたとする女性職員が抱く違和感があったとしても、それが解消されたか否か等について調査を行い、上告人に一方的な制約を課していた本件処遇を維持することが正当化できるのかを検討し、必要に応じて見直しをすべき責務があったというべきである。そして、この間、上告人によるトイレ使用をめぐり、トラブルが生じることもなかったというのである。上記の経緯を勘案し、また、自認する性別に即して社会生活を送ることは、誰にとっても重要な利益であり、取り分けトランスジェンダーである者にとっては、切実な利益であること、そして、このような利益は法的に保護されるべきものと捉えられることに鑑みれば、法廷意見がいうように、人事院が上告人のトイレの使用に係る要求を認めないとした本件判定部分は、著しく妥当性を欠いたものであると考える次第である。
裁判官渡邉惠理子の補足意見は次のとおりである。
私は、その主文および理由ともに、法廷意見に賛同するものであるが、 トランスジェンダー (MtF) である上告人による本件庁舎内のトイレ利用の検討について補足意見を述べておきたい。
私は、経済産業省に施設管理権等に基づく一定の裁量が認められることを否定するものではないが、原判決も認めるとおり、性別は、社会生活や人間関係における個人の属性として、個人の人格的な生存と密接かつ不可分であり、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは重要な法益として、その判断においても十分に尊重されるべきものと考える。
もっとも、重要な法益であっても、他の利益と抵触するときは、合理的な制約に服すべきことはいうまでもなく、生物学的な区別を前提として男女別トイレを利用している職員に対する配慮も必要であり、したがって、本件についてみれば、トランスジェンダーである上告人と本件庁舎内のトイレを利用する女性職員ら(シスジェンダー)の利益が相反する場合には両者間の利益衡量・利害調整が必要となることを否定するものではない。
しかしながら、女性職員らの利益を軽視することはできないものの、上告人にとっては人として生きていく上で不可欠ともいうべき重要な法益であり、また、性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭することができない現状の下では、両者間の利益衡量・利害調整を、感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的な利益較量・利害調整が必要であると考えられる。本件についてみれば、上告人は、性別適合手術を受けていないものの、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務するようになり、社会生活を送るに当たって、行動様式や振る舞い、外見の点を含め、女性として認識される度合いが高いものであったということができたのであり、上告人による女性トイレの利用に当たっては、法廷意見や1審判決が判示するとおり、女性職員らの守られるべき利益(上告人の利用によって失われる女性職員らの利益)とは何かをまず真摯に検討することが必要であり、また、そのような女性職員らの利益が本当に侵害されるのか、侵害されるおそれがあったのかについて具体的かつ客観的に検討されるべきである。
そして、本件についてみれば、経済産業省は本件説明会において女性職員が違和感を抱いているように「見えた」ことを理由として、上告人に対しては執務する部署が存在する階のみならずその上下の階、あわせて3フロアの女性トイレの利用も禁止するという本件処遇を決定し、その後も、上告人が性別適合手術を受けず、戸籍上の記載が男性であることを理由にこれを見直すことなく約4年10か月にわたり本件処遇を維持してきたものであり、このような経済産業省の対応が合理性を欠くことは明らかであり、また、上告人に対してのみ一方的な制約を課すものとして公平性を欠くものといわざるを得ない。とりわけ、一般に、当初はトランスジェンダーによる自認する性別のトイレ利用に違和感を持ったとしても当該対象者の事情を認識し、理解することにより、時間の経過も相まって緩和・軽減することがあるとする指摘がなされており(一件記録によれば、このように考えていた女性職員らが存在したこともうかがわれる)、また、誤解に基づく不安などの解消のためトランスジェンダーの法益の尊重にも理解を求める方向で所要のプロセスを履践することも重要であるという指摘もなされている。そして、このような観点からは、仮に経済産業省が当初の女性職員らからの戸惑いに対応するため、激変緩和措置として、暫定的に、執務する部署が存在する階のみの利用を禁止する(その必要性には疑問が残るが、たとえ上下2フロアの女性トイレ利用まで禁止する)としても、徒らに性別適合手術の実施に固執することなく、施設管理者等として女性職員らの理解を得るための努力を行い、漸次その禁止を軽減・解除するなどの方法も十分にあり得たし、また、行うべきであった。
また、原審の認定事実によっても、本件説明会において女性職員らが異議を述べなかったことの理由は明らかではない。上告人が男性であると認識していたために、上告人が女性トイレの利用を希望することを知って戸惑う女性職員が存在することそれ自体は自然な流れであるとしても、本件説明会において女性職員らが異議を述べなかった理由は一義的ではなく複数あり得るものである。すなわち、女性職員らが、上告人にその自認する性別のトイレ利用を認めるべきであるとの認識の下で異議を述べなかったことも考えられる(一件記録によれば、このような女性職員の存在もうかがわれる)。また、女性職員らが、異議ある旨の意見を多数の前で述べることに気後れした可能性がないとは言い切れないものの、戸惑いながらも上告人の立場を配慮するとやむを得ないと考えた場合や反対することは適切ではないのではないかと考えた場合(一件記録によれば、このように考えた女性職員らの存在もうかがわれる)などの理由による場合も十分にあり得ると考えられる。
原判決が、こういった女性職員らの多様な反応があり得ることを考慮することなく、「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」という感覚的かつ抽象的な懸念を根拠に本件処遇および本件判定部分が合理的であると判断したとすると、多様な考え方の女性が存在することを看過することに繋がりかねないものと懸念する。
以上のとおり、トイレの利用に関する利益衡量・利害調整については、確かに社会においてこれまで長年にわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がなされてきたことやそのような区別を前提としたトイレを利用してきた職員に対する配慮は不可欠であり、また、性的マイノリティである職員に係る個々の事情や、例えば、職場のトイレであっても外部の者による利用も考えられる場合には不審者の排除などのトイレの安全な利用等も考慮する必要が生じるといった施設の状況等に応じて変わり得るものである。したがって、取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になることは間違いない。
しかしながら、いずれにしても、施設管理者等が、女性職員らが一様に性的不安を持ち、そのためトランスジェンダー (MtF)の女性トイレの利用に反対するという前提に立つことなく、可能な限り両者の共棲を目指して、職員に対しても性的マイノリティの法益の尊重に理解を求める方向での対応と教育等を通じたそのプロセスを履践していくことを強く期待したい。
裁判官林道晴は、裁判官渡邉恵理子の補足意見に同調する。
裁判官今崎幸彦の補足意見は次のとおりである。
トランスジェンダーの人々が、社会生活の様々な場面において自認する性にふさ
わしい扱いを求めることは、ごく自然かつ切実な欲求であり、それをどのように実現させていくかは、今や社会全体で議論されるべき課題といってよい。トイレの使用はその一例にすぎないが、取組の必要性は、例えばMtF(Male to Female) のトランスジェンダーが意に反して男性トイレを使用せざるを得ないとした場合の精神的苦痛を想像すれば明らかであろう。
本件説明会において、上告人は、女性職員を前に自らがトランスジェンダーであることを明らかにしているが、引き続き行われた意見聴取の際には女性職員から表立っての異論は出されていない。その後上告人は本件処遇に従い使用を許された階の女性トイレを使用しているところ、その期間は本件判定の時点で約4年10か月(休職期間を除いても約3年8か月)にわたっているが、その間何らの問題も生じていない。加えて、原審の認定事実によれば、本件説明会に先立ち、上告人は、平成10年頃から継続的に女性ホルモンの投与を受け、平成20年頃からは私的な時間の全てを女性として過ごすようになっており、そのことを原因として問題が生じたことはなかったというのである。
法廷意見は、こうした事案において、直接には上告人の行政措置要求に対する人事院の本件判定部分の当否を判断の対象としているが、実質においては上告人に対する経済産業省当局の一連の対応の評価が核心であったことはいうまでもない。その観点から得るべき教訓を挙げるとすれば、この種の問題に直面することとなった職場における施設の管理者、人事担当者等の採るべき姿勢であり、トランスジェンダーの人々の置かれた立場に十分に配慮し、真摯に調整を尽くすべき責務があることが浮き彫りになったということであろう。
課題はその先にある。例えば本件のような事例で、同じトイレを使用する他の職員への説明(情報提供) やその理解(納得)のないまま自由にトイレの使用を許容すべきかというと、現状でそれを無条件に受け入れるというコンセンサスが社会にあるとはいえないであろう。そこで理解・納得を得るため、本件のような説明会を開催したり話合いの機会を設けたりすることになるが、その結果消極意見や抵抗感、不安感等が述べられる可能性は否定できず、そうした中で真摯な姿勢で調整を尽くしてもなお関係者の納得が得られないという事態はどうしても残るように思われる(杞憂であることを望むが)。情報提供についても、どのような場合に、どの範囲の職員を対象に、いかなる形で、どの程度の内容を伝えるのか(特に、本人がトランスジェンダーであるという事実を伝えるか否かは場合によっては深刻な問題になる。もとより、本人の意思に反してはならないことはいうまでもない。)といった具体論になると、プライバシーの保護と関係者への情報提供の必要性との慎重な較量が求められ、事案によって難しい判断を求められることになろう。
こうした種々の課題について、よるべき指針や基準といったものが求められることになるが、職場の組織、規模、施設の構造その他職場を取りまく環境、職種、関係する職員の人数や人間関係、当該トランスジェンダーの職場での執務状況など事情は様々であり、一律の解決策になじむものではないであろう。現時点では、トランスジェンダー本人の要望・意向と他の職員の意見・反応の双方をよく聴取した上で、職場の環境維持、安全管理の観点等から最適な解決策を探っていくという以外にない。今後この種の事例は社会の様々な場面で生起していくことが予想され、それにつれて頭を悩ませる職場や施設の管理者、人事担当者、経営者も増えていくものと思われる。既に民間企業の一部に事例があるようであるが、今後事案の更なる積み重ねを通じて、標準的な扱いや指針、基準が形作られていくことに期待したい。併せて、何よりこの種の問題は、多くの人々の理解抜きには落ち着きの良い解決は望めないのであり、社会全体で議論され、コンセンサスが形成されていくことが望まれる。
なお、本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである。
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 今崎 幸彦
裁判官 宇賀 克也
裁判官 林 道晴
裁判官 長嶺 安政
裁判官 渡邉 惠理子
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
【判決全文】最高裁はなぜ、性同一性障害職員の女性用トイレ使用制限を違法としたのか