[本の香気] ◇食卓上の日本史/ミヤザキ マサカツ著、リュ・スンミ訳/264ページ 1万7000ウォン
昔、日本ではテンジャンをコリョジャン(高麗醤)と呼んだ。テンジャンを指す日本語の「ミソ(味噌)」が韓国語から由来したという説もある。660年、羅唐連合軍の侵入を受けて百済が滅亡すると、多くの百済人が日本列島に移住したが、移住者の中でテンジャンを漬ける職人がたくさんいたのではないかと推測される。韓半島の政治的激変が日本の食文化に影響を与えたわけだ。日本でテンジャンは最初は食べ物に塗って食べた。室町時代になってミソテンジャン汁が登場し、江戸時代に入って庶民にも普及化した。
「日本書紀」によると610年、高句麗僧侶ダムジン(曇徴)が日本に臼を持ち込み、穀類から作る粉食を教えたという。それ以前まで日本では、米のような穀物は全て挽かずに食べていた。
北海道教育大学教授を務めた歴史学者である著者が、日本の食文化史を整理した。寿司や天ぷら、カレーライスなど、私たちにも馴染みがある様々な日本食の歴史を読む楽しさがある。
寒い日に食べるうどんは、日本と唐の交流過程で出現した。日本は630~894年、190回ほどにわたって、外交使節である遣唐使を派遣した。うどんは元来遣唐使が持ち込んだ「混沌」という中国式マンドゥクッ(※餃子汁)だったという。小麦粉団子に豆や餡を入れて煮込んだもので、沸騰する団子がくるくる回りながら忙しいとして、付けられた名前だという。食べ物なので、さんずいが食へんに変わり、「 餛飩」と呼ばれ、熱く食べるという意味で「溫飩」になり、再び今の「饂飩」に変わった。
旅館宿泊のもう一つの楽しみである懐石料理は、禅僧によって茶とともに日本に伝わったもので、元来は汁一つとおかず2,3で構成された素朴な料理だった。そうするうちに織田信長と豊臣秀吉が政権をとった安土桃山時代(1568~1603)に入って、豊かな食材料を惜しみなく用意した大名の料理に変わった。日本旅行前に読むと、食事の時に話題が盛り上がりそうだ。
チョ・ジョンヨプ記者
東亜日報(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/020/0003477635
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韓国「我が国が日本の食文化に与えた影響がデカすぎる。日本人が毎日朝から食べてるこれは韓国から伝わったもの」