AppleはiPhone、iPad、Macなどで有名なテック企業です。しかし、Appleはそれ以外にも、ゲームとも深い繋がりがあります。
Appleとゲームの関係について、Appleに詳しいYouTubeチャンネル「Apple Explained」が解説しています。
*Category:テクノロジー Technology|*Source:Apple Explained,wikipedia
Appleとゲームの深い繋がりとは?
1974年、スティーブ・ジョブズはアタリ社で夜勤のエンジニアとして働いていたとき「ブレイクアウト」というゲームを作るのを手伝ってほしいと頼まれました。そして、友人のスティーブ・ウォズニアックの協力を得て、ゲームを完成させます。
ここからAppleが誕生します。2人はその後、Apple I コンピュータのプロトタイプを開発し、1976年にAppleコンピュータを設立しました。
そして、ジョブズのVWマイクロバスとウォズの電卓HP-65の売却益を主な資金源として、1976年7月にApple I コンピュータは発売されました。
このコンピューターは、組み立て式のマザーボードで、テレビにも対応しています。この仕様は、当時としては斬新なコンセプトでした。
その1年後、ジョブズとウォズはApple I用にカセットを使ったゲームをいくつか発売しました。Apple Iは家庭用コンピューターとコンピューターゲームとして重要な一歩となりました。
ジョブズはアタリ社で働きながらAppleを立ち上げています。そのため、ゲームの影響を大きく受けていたはずです。
1977年、Apple IIが発売され、世界中に衝撃を与えました。Apple IIは、仕事に使えるだけではなく「すぐに遊べる」家庭用コンピューターとして売り出されました。
Apple IIでは「ブレイクアウト」をプレイすることが可能です。さらに、カラーグラフィックやスピーカー、パドルコントローラーの回路まで搭載されていました。これは、パーソナルゲームにとって大きな一歩であり、世界中のゲームデザイナーが注目し始めました。
やがて、Apple II、Apple II Plus、Apple IIe、Apple IIcの各コンピュータ用に、ゲームやアクセサリー、ストレージ技術のアップグレードなどが開発されるようになります。
その後10年間のゲームには「ミステリーハウス」のようなテキストとグラフィックによるアドベンチャー、「キャッスル・ウルフェンシュタイン」や「ウルティマ」のようなRPG、「ジョン・マデンフットボール」のようなスポーツゲームなどが登場しました。
1986年に発売されたApple IIGSは、強力な16ビットマイクロプロセッサを搭載し、アタリ社やコモドール社などのグラフィックやオーディオの競合を一掃するようになります。
この時点では、Apple IIの伝統である「仕事にも遊びにも使える」コンピュータを作ることが、会社の中心であり続けるかのように思われました。しかし、まもなくAppleはAppleシリーズからMacintoshに目を向け、ゲームへのアプローチを一転させます。
コンピュータゲームが普及すると同時に、クロスプラットフォームのソフトウエアの互換性に問題が出始めました。
1990年代に入ってからも、ゲームソフト市場ではWindowsのシェアが大きいため、Macのゲームソフトは店頭に並べにくいという問題がありました。
1993年に発売された「Myst」のような大人気ゲームは、Macintoshが独占的なプラットフォームでしたが、すぐにWindows版が出て、Appleブランドとは無縁のものとなってしまいました。
Appleは、競合他社に遅れを取らないために、ゲームに対する新しいアプローチを必要としていました。
そこで、1996年にバンダイ・デジタル・エンタテイメントとAppleが共同開発したゲーム機であるピピンアットマークが発売されます。
このゲーム機はCDで動作し、ワイヤレスコントローラーとインターネット接続機能を備え、当時としてはかなり印象的なものでした。
発売当時は「ガンダムタクティクス」「Mr.ポテトヘッドがベジ谷を救う」「Compton’s Interactive Encyclopedia」など、18本のゲームが発売されました。
しかし、ピピンアットマークは、そのユニークな機能の割には、まったくダメな製品でした。ピピンアットマークの欠点は価格です。なんと、値段が600ドル(約86,000円)もします。
さらに、処理能力が当時の他のゲーム機の約半分であり、オンラインでもオフラインでも動作が遅かったのです。
Appleは当初10万台を生産しましたが、そのうち4万2千台しか売れずに生産中止となりました。有り体に言えば、ピピンアットマークはAppleにとって失敗作でした。
Appleはこの教訓を生かし、再びゲームとの関係を考え直すようになります。
そして、iPodのリリースで状況は大きく好転します。iPodユーザーは当初、Music Quiz、Solitaire、Brickなどのゲームをプレイすることができました。
2006年、iTunes 7のリリースに伴い、第5世代iPodのユーザーは、自分のデバイス用に9つのゲームを購入できるようになりました。当初、これらのゲームはiPodのクリックホイールインターフェースを使ってプレイするシンプルなモノだったため「クリックホイールゲーム」と呼ばれました。
そして、iPodがタッチスクリーン技術を搭載し、グラフィックスが向上したことにより、さらに多くのゲームオプションが利用できるようになります。テトリス、ビジュエルド、Zuma、麻雀など、これらの初期のiPodゲームは、ゲーム界でAppleが最も市場価値のある経験をするきっかけとなったモノといわれています。
iPodが発展するにつれ、ゲームも発展し、EAやセガといったサードパーティのデベロッパーもすぐにユーザーが夢中になるような新しいソフトを作り始めました。当時のジョブズは気がついていませんでしたが、これはゲーム業界における新しい時代の幕開けであり「カジュアルゲーム」の台頭だったのです。
多くのゲーム企業は、高度な処理能力、高品質のグラフィックカード、優れたサウンドを備えたゲーマー向けのコンピュータやコンソールを製造しています。一方、Apple製品のユーザーにいくつかのゲームを提供するというAppleの戦略は、他の多くの企業とは大きく異なるモデルだったのです。
2008年、AppleはApp Storeのリリースを発表し、事態は本格的に動き出します。
当初、App Storeで提供されていたアプリは500本で、そのうち4分の1程度が無料でダウンロードできるものでした。当然ながら、アプリの多くはクラシックなiPodのようなスタイルで、シンプルで簡単、かつ競争力の低いゲームでした。
ゲームアプリは瞬く間にチャートの上位にランクインし、カジュアルゲームの時代が正式に幕を開けます。App StoreはAppleと人々のゲームとの関係を変えました。
2017年、App Storeには約220万種類のアプリがあり、ダウンロード数は1,300億を超えていました。この市場はiPod、そして後にiPhoneに引き継がれます。Appleはこれにより、ゲーム機もゲームも作っていないにも関わらず、巨大な利益を得ることができるようになったのです。
Appleは独自のゲーム機では失敗しましたが、最終的にみれば、これはAppleにとって良いことだったのかもしれません。もしもAppleのゲーム機が成功し、スティーブ・ジョブズがそちらの路線に進んでいれば、iPhoneは存在しなかったかもしれません。Appleの今の成功は、数多くの失敗から成り立っているのです。
オリジナルサイトで読む : AppBank
Appleのゲーム機が「失敗してよかった」といえるワケ