元プロレスラーで政治家のアントニオ猪木氏が10月1日、79歳で亡くなった。
猪木氏の長いプロレスラーキャリアの中でも特に注目を集めたのが、1976年6月26日に開催された、モハメド・アリ氏との「格闘技世界一決定戦」だろう。
プロボクサーで当時世界ヘビー級チャンピオンだったアリ氏との異種格闘技戦は、ファイトマネーがアリ氏18億円、猪木氏6億円の「30億円興行」とも呼ばれ、組み合わせの異色さから「真剣勝負か、それとも単なるショーか」と大きな話題を呼んだ。
46年前の「世紀の一戦」で、どんな戦いが繰り広げられたのか。当時の写真と記事で振り返る。
攻撃は、リングに上がる前から始まった。
6月16日に来日したアリ氏は、宿泊していたホテルの記者会見でさっそく猪木氏を挑発。
「俺はご覧の通り、2人の専門家からプロレスとカラテの秘技を教えてもらった。これまでボクサーを倒してきたのと同じように、今度はプロレスラーを倒してみせる」と自信満々の様子を見せた(朝日新聞1976年6月17日付朝刊)。
さらに「イノーキがオレを尊敬しないのが気にくわん。今回はオヤジがこどもをしかりつけるようにしてこらしめてやる。オレは、試合前に必ず相手にあだ名をつけるが、イノーキはペリカンだ。あのアゴを狙えば間違いない」と話し、8回でのKOを予告した。
さらに18日、2人は東京の日本外国特派員協会で記者会見した。
この時も、アリ氏は「オレは世界一なんだ。イノーキ(猪木)なんて日本やアメリカの一部で少しは名前を知られていても、大したほどじゃない。しかし、今回、オレとやることで、世界中に名前が売れる」と“口撃”パンチを次々と繰り出した(朝日新聞6月19日付朝刊)。
これに対し、猪木氏は「俺はファイターなんだ。トーカー(しゃべり屋)なんかじゃない」と反撃。
「アリ、という名前が日本語じゃどんな意味か知ってるか。ちっちゃなアント(蟻)だぞ。踏みつぶしてやる」と応酬し、アリ氏に松葉杖をプレゼントした。
対戦前から大きな注目を集めた、猪木氏とアリ氏の「格闘技世界一決定戦」。
試合は「30万円の席に空席がないほど上々の入り」だったものの、「大きな見せ場もなく、引き分けた」という。
朝日新聞1976年6月26日付夕刊は、次のように報じている。
「猪木はパンチを避け、リング中央に寝転がって、かにばさみに出ると、いつもの半分という4オンスの軽いグローブをつけたアリは、左右のパンチならぬ〝足げり〟で応戦した。そして例によって口からアワをとばしてのヤジ攻撃。
13回、猪木のタックルが決まって組み付いたが、アリはロープに逃れた。14回、アリの左ストレートが初めてきれいに猪木の顔面をとらえたが、KOするまでにはいたらずじまい。見せ場といえばこの2回だけで、しょせんボクシングとレスリングは水と油。あっけにとられたファンを置き去りにして、2人は仲良く抱き合ってロッカールームへと消えた」
この時、猪木氏は所属事務所を通じコメントを発表。「かつてのライバルたちを見送ることは非常に辛いものです。あの戦いから今年で40年。6月26日が『世界格闘技の日』と制定された矢先の訃報でしたので残念です」と、偉大な対戦相手の死を悼んだ。
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アントニオ猪木vsアリの「伝説の一戦」。今もう一度、写真で振り返る