💬 男の子と同じ格好ができるから始めた野球。「女の子らしくしなさい」と言われなくて、一番楽しかったこと。
💬 野球は唯一の居場所だったけれど、「女のくせに」といじめられたこと。
💬 「生きてていいのかな、生まれてこなければよかったのかな」と悩んだこと。
関西を拠点に「オニイタレント」として活動するトランスジェンダー男性の竹紫春翔(ちくし・はると)さんは、女性として生まれ育った半生で感じてきたことを、絵本『せかいにひとりだけのぼく』にまとめ、5月に出版した。
なぜ絵本を作ろうと思ったのか。それは、死のうと思ったこともあったけれど、今はたくさんの仲間に囲まれすごく幸せだから。そして、頑張って生きてくれた過去の自分に感謝しているから。
竹紫さんは「たくさんつらいこともあったけれど、今は心から、生きていて良かったって思うんです。昔の自分のように、セクシュアリティで悩む子どもたちに、大丈夫だよと生きる希望を届けたい。だから自分が、絵本になりました」 とほほえむ。
◆男子と同じ格好が良かった。だから野球を始めた
沖縄県で女性として生まれた竹紫さんは、スカートなど「女性らしい」格好をさせられるのが嫌だった。小学校入学にあたり、母親が真っ赤なランドセルを買ってくれたことを強く覚えている。女の子に、赤いランドセル。よくある光景かもしれない。だけど本当は、5歳上のお兄ちゃんと同じ黒色が良かった。けれど親を悲しませたくなくて、その気持ちは言えなかった。
小学3年生になり、野球チームに入った。男子と同じ格好でいたかったから。野球をしているときは、「女の子らしくしなさい」と言われない。だから一番楽しかった。
高学年になったとき、まわりの女の子の恋バナはいつも、男の子が恋愛対象だった。でも自分は、女性の先生を好きになった。先生と話すと気持ちがウキウキする。だけれど、「女の人が好きと言ったら、どうなるんだろう。気持ち悪いって言われるかな…」と思うと、誰にも言えなくてまわりに話を合わせた。
中学生になり、お母さんから水色のセーラー服を渡された。「うわ、気持ち悪い。最悪…」と思った。高校を卒業するまで、制服を着て鏡を見ることはできなかった。初めて生理が来た時は、自分が女の子だと認めざるを得なくて、泣いてしまった。
野球だけが、自分でいられる場だった。でも男子の中に女子は自分だけ。目立ってしまい、メディアの取材も相次いだ。まわりには「女のくせに」「先輩や監督は、あいつにだけ優しい」と言われ、いじめられた。
「男として産んでくれたら、こんなことにはならなかったのに」
親を憎むこともあった。死にたくて、屋上から飛び降りようとした。 自分に包丁を向けることもあった。でも怖くて、死ねなかった。
それでも野球を続けた。野球をとったら、自分はいなくなると思ったから。野球は好きではないけれど、自分を輝かせてくれる場所だった。意地でも強くなって、女子プロ野球選手になろうと努力し、最終選考まで進んだが、あと少しのところで届かなかった。それでもやりきったと思えた。だから20代半ばで、やめることにした。
◆「オネエタレント」に支えられ、「オニイタレント」に
小さい頃から、違和感を抱えてきた竹紫さん。ずっと、嘘をついて生きている感覚だった。「一生このままで良いのかな」と悩んでいたときに、テレビで、トランスジェンダー女性のタレント・はるな愛さんを見たことが転機になった。笑顔でモノマネを披露する姿がすごく前向きにうつり、元気をもらえたからだ。
「そっか。自分はトランスジェンダーっていうんだ」。そう思うと、気持ちがすーっと楽になった。そして、「もう嘘をつくのはやめよう。自分もはるなさんのように、笑顔で生きていこう」と思った。
小さいころから大きな愛情をもらい、一番信頼している母親に、カミングアウトすることを決めた。二人きりのリビングで「お母さんは女として産んでくれたけど、自分は男なんです」と伝えると、母親は驚いた様子を見せず、こう言ってくれた。
「やっぱり、そうだったんだね。なんとなく知っていたけれど、確信に変わった。ごめんね、ちっちゃいころは分からなくて。もっと早く気づけばよかった。あなたの人生なんだから、お母さんのためじゃなく、あなたらしく生きなさい」
親に捨てられるかもしれないと思い、家を出ていく覚悟の上でのカミングアウトだったから、受け入れられて涙がぽろぽろと止まらなかった。
「あなたらしく」。母にかけてもらったこの言葉は、生きていく上で大切にしていることの1つだ。今はセクシュアリティを明かした上で、ずっとやりたいと思っていた講演やテレビ出演、ショーモデルなどの活動に勤しんでいる。
活動の中で、こだわっていることがある。それは「オニイタレント」を名乗ることだ。「オネエ」「オニイ」といった言葉は侮蔑的に使われることもある。だが竹紫さんは「僕が『オネエタレント』と呼ばれるはるな愛さんに支えられたように、『オニイタレント』に救われる人もいるかもしれないと思うんです。そんな人の光になれたらなって、思いを込めています」と笑顔を見せる。
◆死にたいと思う子にも、生きる希望を
全ての活動の原点にあるのは、「個性を大切にしてほしい」「僕自身の姿が、こんな生き方も良いなという希望につながれば」との思いだ。
だから、昨年には自分が絵本になることを決めた。「自分のように悩んでいる人に、希望を届けたい」「絵本なら、小さい子にも、親やおじいちゃん、おばあちゃん世代にも手にとってもらえる」と思ったから。
クラウドファンディングで支援を募ると、183人から136万円の寄付が集まった。『せかいにひとりだけのぼく』というタイトルをつけ、5月に出版。現在は関西や東京、山口や沖縄の書店のほか、Amazonなどでも購入することができる。
イラストを担当したのは、絵本作家のHaijiさん。竹紫さんは「僕の『みんなが自分の色で生きてほしい』という願いを受け止めてくれ、柔らかなタッチで、カラフルに仕上げてくれました」と語る。
絵本は、竹紫さんの実体験を基にしたストーリー。幼い頃から、周りと少し違っていたこと、自分が何者か分からず死のうと思ったことなど、少し読むのがつらいであろう過去も、丁寧に落とし込んだ。最後には「生きていて良かった」と思えたから。
また絵本とは別に大阪市の『劇団WAO!』が、竹紫さんの人生を基にしたミュージカルをやりたいと言ってくれた。6月に「生まれた時から噓つきで」のタイトルで行われた公演には300人が来てくれ、「最後には希望があって元気が出た」といった感想が寄せられた。
絵本もミュージカルも、いろんな活動も、支えてくれる人がいるからこそやれたという竹紫さん。
「LGBTQ当事者の自殺率は、高いと指摘されています。僕自身も生きていて良いのかなと、ずっと悩んででいました。でも今こうやって、みんなのおかげで、自分らしく生きられています。僕が大丈夫だったからといって、みんなに大丈夫だよと簡単には言えないかもしれません。ですが今苦しんでいる子にも、きっと近くに、支えてくれる人がいると思うんです。そんな希望を伝えたい」
竹紫さんには、タレントとしての夢がある。それは大好きな『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出演することだ。今度は自分が多くの人を笑顔にしたい。そして、死なずにがんばってきた自分に「生きていてくれてありがとう」と、お礼を伝えたい。
<取材・文=佐藤雄(@takeruc10)/ハフポスト日本版>
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鏡に映るセーラー服の自分を見られなかった。“オニイタレント”が苦悩の先に見つけた光