2022年上半期にハフポスト日本版で反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:3月9日)
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「『出身どこなの?』
地元を出た瞬間、人と仲良くなる上で、ほぼ必ず聞かれるようになりました。福島出身の私はいつも、答えにためらってしまいます。
福島だと言うと、ほぼ必ず『地震、大丈夫だった?』と聞かれるからです。
僕の身の回りには幸いなことに、直接的な大きな被害は、何もありませんでした。
でも、『大丈夫だった』なんて、簡単には言えません。友人からは『いとこが死んじゃった』と聞きました。亡くなった子は、僕も何回か話したことがある人でした。
原発事故などによって地元を離れたり、命を落としたりした人がたくさんいることも知っています。
この11年、『大丈夫』って何なんだろうって、ずっと考えて生きてきました。
大きな被害に遭わなかったことは悪いことじゃないのに、どこか後ろめたさを感じている自分がいます」
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東日本大震災から11年。あの日から、東北3県は「被災地」と呼ばれるようになった。だが3県の中にも、大きな被害に遭っていない人もいる。
3.11で父を失った亜沙美さんに続き、今回は当時高校生だったという福島県内出身の会社員・明典さん(27)=仮名=に、この11年間感じてきたことを聞いた。
(※記事中には被害の描写が含まれています。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください)
◆テレビの中と、目の前の「福島」は別世界だった
福島県内で生まれ育った明典さん。自身の子ども時代を「野球とか漫画が好きで、どこにでもいるような、あまり特徴がない子だったと思います」と振り返る。
2011年3月11日午後2時46分。明典さんは当時高校生で、野球部の練習中だった。大きな揺れを感じ、部活は中止。校内放送で、校庭に集まるよう指示された。
明典さんの住んでいた地域は震源地から遠く、県内では被害が小さかったとされており、地震直後は「それなりに大きな地震」だと思っていた。
だがその場で学校の先生から、県内の東側を中心に、津波などの大きな被害があったことを教えてもらった。
帰宅後に見たニュースでは、津波が街を飲み込んでいく映像を目にし、身震いしたことを覚えている。「本当に、同じ福島なのかなって、信じられませんでした」
その後、余震などで怖い思いはしたものの、身の回りで大きな被害はなかった。全国ニュースで見る福島と、目の前に広がる光景は、全く違うものだった。
だがある日、仲の良い友人に打ち明けられた。「明典も会ったことある俺のいとこ、覚えてる?あの子、亡くなったんだって…」
また、被害に遭った人が親戚に頼んで、明典さんの近所に一時的に移り住んでいると聞いた。後に、原発事故のニュースとその人の実情が重なっていることに気付いた。
「画面の中にあった出来事が、本当に起きていることなんだと。少しずつ、別世界ではないのだと実感が湧いてきました。あの感覚は後にも先にも当時しか抱かなかったものなので、今でも頭に強く刻まれています」
◆「大丈夫って、何だろう」
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「地震、大丈夫だった?」福島に住み、何の被害にも遭わなかった僕は、後ろめたさを感じ生きてきた【2022年上半期回顧】