『万引き家族』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した是枝裕和監督の最新作『ベイビー・ブローカー』が6月24日から公開されている。
本作は、赤ちゃんポストに入れられた赤ん坊をめぐって、赤子のブローカーたちと産みの母、ブローカーを追う刑事たちが織りなす物語だ。是枝監督が韓国のキャスト・スタッフと撮影した映画で、『パラサイト』のソン・ガンホが主演を務め、ぺ・ドゥナやカン・ドンウォン、イ・ジウン(歌手名・IU)らが出演する。
先日開催されたカンヌ国際映画祭ではエキュメニカル審査員賞と最優秀男優賞(ソン・ガンホ)を受賞した。是枝監督作品から、カンヌの俳優賞受賞者が出るのは、2004年の『誰も知らない』の柳楽優弥に次いで2人目となる。
赤ちゃんポストを題材にした理由や自身の過去作の反省から本作に込めたもの。そして韓国の撮影現場を体験したからこそ感じる日本映画産業の課題点などを是枝監督に聞いた。
韓国の赤ちゃんポスト。利用者が多い背景は
是枝監督はなぜ赤ちゃんポストをめぐる物語を韓国で製作しようと考えたのだろうか。韓国映画界には魅力的な俳優が数多いが、この題材を語るには韓国がふさわしいと思ったのか、それとも韓国での仕事をしてみたいという思いがあったのだろうか。
「その両方です。韓国にも赤ちゃんポストがあり、日本よりも多くの赤ん坊が預けられていると2016年ごろに知り、ならば、この題材は日本以上に韓国でやった方がいいかもしれないと。同時に、ソン・ガンホやペ・ドゥナたちと一緒にやるならこの題材が適しているとも思いました」
日本では2007年から、熊本県にある慈恵病院が赤ちゃんポストを運営しており、2021年3月末までの15年間で計159人の子どもが預けられたという。
一方の韓国では、2009年に最初の赤ちゃんポストがソウル市内の教会に設置された。初年度の利用は0人、2010年には4人の利用にとどまっていたが、2012年ごろから利用者が急増。2019年までに累計1800人を超える赤ん坊が預けられているという。
急増の背景には、2012年の「入養(養子)特例法」の改正がある。改正により、子どもの出生ルーツを明確化するため、養子縁組に際し出生登録を義務付けるなど、要件が厳格化。加えて、2010年以降、韓国政府による中絶取り締まりが強化されたことを、背景要因として指摘する専門家もいる。2021年には人工妊娠中絶が非犯罪化されたが、即座に社会の空気が変わるわけではないだろう。
そのような社会背景の中、韓国では赤ちゃんポストに対しては、「嬰児遺棄を助長している」などという批判の声もあるという。
「映画冒頭にぺ・ドゥナ演じる刑事が『捨てるくらいなら産まなければいい』とつぶやくシーンがあります。赤ちゃんポストを批判するこうした声は一つの社会正義のようになっていて、母親を甘やかすなという意見も根強い。そういう声は韓国に限らず日本でも同様にあるので、映画はそこからスタートしようと思いました。
あの刑事が思わずつぶやいたその言葉を自分のものとして映画を観始めた観客が、2時間後に同じ言葉を簡単につぶやけなくなるまでの話にしなければいけない。それが今回の映画の縦軸になっています」
これは「そして母になる」物語
本作の中で、赤ちゃんポストに子どもを預けた若い母親(イ・ジウン)と、その赤ん坊を売ろうとするブローカーたち(ソン・ガンホ、カン・ドンウォン)が旅を共にする過程で、ある種の疑似家族を形成していく。そして、ブローカー犯罪を取り締まる2人の女性刑事が彼らを追いかけていく形で物語が進行し、それぞれの思いが描かれていく。
ここで描かれるのは「母親になる」ということをめぐる女性たちの葛藤だ。是枝監督は、かつて『そして父になる』(2013年公開)を作った際に受けた批判から生まれた側面が、本作にはあると明かす。
「『そして父になる』の公開当時のインタビューで、僕が安易に、『男性は子どもが生まれても父親になる実感がすぐには持てず、母親とは違って色々なプロセスが必要だ』という話をしたら、『女性だって誰もが子どもを産んで母親になれるわけではない。男性の中にそういう価値観があること自体が、自分が母親だと実感できない女性に対してプレッシャーになっている』と言われたことがありました。
それは自分の中ですごく重く残りました。だからこの先、家族の物語を作るのであれば、母親になろうとする人を描こうと。その1つが『万引き家族』の安藤サクラが演じた信代であり、今回のペ・ドゥナ演じるスジンと、イ・ジウン演じるソヨンです。
これは、母になることを選ばなかった女性である刑事が、もう一度母親になろうとする物語でもあり、母になれずに赤ん坊を預けざるを得なかった若い女性の物語でもある。その2人の、母親になることをめぐる物語と、ブローカーが赤ん坊を売りに行く話が並行して進んでいく映画なんだと最初にスタッフ・キャストには明確に話しました。
ペ・ドゥナには、演じる刑事が『捨てるくらいなら産まなければいい』と言っていたところから変化していくのが映画の重要なポイントになるから、非常に複雑な役だけどよろしくお願いしますと話しました」
本作は、言うならば「そして母になる」物語でもあるのだ。
韓国での撮影。スタッフは20〜30代、女性も多い
是枝監督にとって、今回がはじめての韓国での映画製作になった。韓国映画界では労働環境改善に向けた取り組みが進んでおり、本作の撮影も現地のルールに則って行われた。韓国ではかつては長時間労働が当たり前だったが、ここ10年で劇的に改善されたという。
日本の映画業界では、映画監督のセクハラ・パワハラ問題や、長時間労働が常態化している現状に対する批判の声が今年に入って急増し、今大きな問題になっている。是枝監督はこれを改善すべく、映画監督有志たちと提言書を提出するなど精力的に活動している。
今回、実際に韓国での製作を経験し、何を感じたのだろうか。
「まず休みが多いです。週休2日は当然で、一週間に52時間までという労働時間の上限が設けられています。キャストやスタッフも、撮影が休みの日にはソウルに戻って家族と過ごしていました。
スタッフも若く大半が20〜30代、女性も多いです。スタッフ全体の数も日本の倍とまではいかないですが、常に100人くらいがいる状況で、撮影の事前準備を担当するスタッフもいるから、カメラがセットされてから本番に入るまでの時間が圧倒的に短くスピーディです。ですから肉体的にも楽でした」
また、俳優が撮影期間中に掛け持ちで別の仕事をすることがないことも、作品作りにいい影響を与えたという。
「韓国では、役者がスケジュールの合間を縫って別作品の現場を掛け持ちすることはないので、それも撮影を楽にしてくれました。追加シーンを撮りたい時にも、基本的にいつもみんないますから。それが可能なのは、それだけのギャランティーを払えているからで、日本映画の場合、完全拘束できるほどお金を払えていないから強く言えないんです」
日本映画の労働環境改善に予算はどれほど必要か
こうした環境を日本映画で実現するには何が必要なのだろうか。是枝監督は、やはり予算の問題は避けて通れないと指摘する。
「日本の現場でも働き方改革を進めなければという気運は高まっているけれど、製作委員会などお金を出す側の人たちは、そのために予算がどれくらい増えるのか甘く見ていると思います。現場レベルで何とか時短にしようと努力はしていますが、予算がなければ1日のスケジュールが過密になるし、休みも週1日だけになってしまいかねない。それを韓国並みに整備しようと思ったら、(スタッフ数も撮影日数も増えるので)おそらく今の1.5倍〜1.8倍くらいの予算が必要になると思います。
おそらく、お金を出す側は2割増しぐらいで済むだろうという感覚でいるのでは。そうなると、現場が圧迫されるだけになってしまう。この辺りをきちんと精査して、どう改善していくのかを本当に真剣に考えないといけないと思います」
劣悪な労働環境は人の心を蝕む。労働問題を考えることはパワハラ・セクハラ問題を考えることにもつながっている。
「韓国のスタッフは『ちゃんと食べてちゃんと寝れば、人はそう簡単に怒鳴らない』と言っていました。意識の改革も当然必要だと思いますが、環境を変えていくためにネックになるのは予算なので、これは映画監督が動くだけでは、解決されない問題でもあります」
是枝監督をはじめとする映画監督有志の会は、松竹、東宝、東映、KADOKAWAの映画製作配給大手4社が加盟する日本映画製作者連盟にも提言書を提出するなど、業界全体に働きかけ続けている。
是枝監督が韓国から持ち帰った経験も、日本映画産業にとって参考になる部分は多いだろう。監督など現場の人だけでなく、映画会社も巻き込み議論を発展させていく必要がありそうだ。
▼作品情報
『ベイビー・ブローカー』
6月24日(金)、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、イ・ジウン、イ・ジュヨン
配給:ギャガ
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オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「捨てるなら産むな」と責める声、どう変わるか。赤ちゃんポストめぐる葛藤と希望を描いた『ベイビー・ブローカー』