私はいつも、自分が壊れていると思っていた。
これまで、友達が有名人を「セクシー」だと話す時、私は調子を合わせていたけど、その気持ちを理解することはできなかった。
有名人や友達、他人を見て「すっごくセクシー」なんて思ったことは一度もない。片思いの経験はあるけど、外見とは関係なかった。誰かをカッコいいと思ったのは、その人の性格に惹かれてからだ。
友達が学校で誰がカッコいいといった話をする時は、それにただ便乗した。友達を信用していたから、彼女たちが「カッコいい」と言うならそうなんだろう、と思っていた。どこがそんなに魅力的なのか、私にはよくわからなかった。いい人たちだったけど、なぜ友達が彼らとキスしたいのか、理解できなかった。だって彼らのことをほとんど知らなかったから。
思春期になっても、よく知らない人たちに性的・身体的魅力を感じることはなかった。
そして、大人になった今、それこそがまさに「デミセクシュアル」だと知った。
私は、人と深い感情的な繋がりを構築してからでないと、魅力を感じることがない。
今までキスしたり魅力を感じたりした男性の数は片手で数えられるほどしかいない。私の傾向として、誰かと肉体的に親密になるより、長時間会話をする方が好きだから、何か損をしたとは思っていない。
分かりやすく言うと、私は人の外見ではなく、人柄に惹かれるのだ。
性的関心を持てる人は、初めて会った相手に一目でときめくことがある。2人の間に即座に化学反応が起こり、引き寄せられる。
アセクシュアル(無性愛者)の場合、時間が経っても、そのようなときめきは起こらない。
私の場合、相手を深く知り、お互いに恋愛感情を抱いた時にだけ、胸のドキドキを感じる。根はロマンチストだけど、バーで見知らぬ人とアイコンタクトをするようなロマンチストではない。
私はデミセクシュアルだから、初めて人に会うと、ただその人を見るだけで、身体的特徴も、ただの体の一部としか見ていない。すごい腹筋してる?→そう、いいね…。シャープな顎してる?→あっそう…。その人の中身を知ることで、初めてそういった身体的特徴に魅力を感じるのだ。
時間はかかるけど魅力は感じるから、私はアセクシュアルではないと分かった。
16歳のとき、初めてボーイフレンドができ、初めてキスをして、初めて「魅力」というものを理解した。
それまで誰かとキスしたいと思ったことさえなかった。彼は私に、自分が認められ、美しく、理解されていると感じさせてくれた。人生で初めて、誰かが私の芯まで理解し、全てを知りたがっていた。
初めてのキスは映画を観ている時だった。彼は私の方に身を寄せ、私の胃はキュッと締め付けられた。私は火に魅せられる虫のように、彼に引き寄せられ、キスは息をするように自然に感じた。
その時、友達が話していたことが全て理解できた。彼を知れば知るほど、彼が魅力的に見えた。
恋するピュアな他の女子高生と同様、私は彼にゾッコンになった。もしかしたら彼が私の運命の人かもしれない、とか。
彼とは約6年間付き合った。直感で彼の浮気が分かり、気持ちが離れていってから数カ月後、正式に別れることとなったが、それはもう醜いものだった。
その後、私は自分が何者かを見失い、渦の中に迷い込んだ。私にとって、誰かに惹かれることは、多大な感情移入を伴う。そして1対1の関係を求める私は、誰かと親密な交際をしている間に、他の人を追いかけることに興味はない。
私は怒りを感じただけでなく、かつてないほど混乱していた。これまで私が魅力を感じた相手は、彼だけだったのだ。他にも親しくなった人はいたけど、彼にしかそういった感情を抱かなかった。
デミセクシュアルの人は一般的に、一夜限りの関係や遊びの短い恋愛はしない。感情的な関係から、肉体的な関係を築いていく。
私は自分のセクシュアリティについて、全てを疑い始めた。私は壊れてるの?人に魅力を感じないのって普通?
LGBTQAのコミュニティと常に交流があり、こういった気持ちを友達に打ち明けた。彼らは、私の気持ちは普通だと言い、アセクシュアルについて教えてくれた。
「私はアセクシュアルじゃない」と反論し、「魅力は感じるけど、なかなかないだけ」と話した。すると彼らは、それもアセクシュアルなのだと説明した。他の多くのことと同様、セクシュアリティもグラデーションなのだ。そして彼らは、私がデミセクシュアルではないか?と言った。アセクシュアリティとセクシュアリティとの間に位置し、魅力を感じるのに強い感情的な絆を必要とする人のことだ。
それだーー。その言葉。自分が感じてきたことを表す言葉があることを知り、突如、安堵感を覚えた。私は23歳で、ついに自分を説明する言葉が分かった。デミセクシュアルだ。私は壊れているのではなかった。
破局を乗り越え、自分がデミセクシュアルと理解した私は、人と出会い、再びあの気持ちを感じることを求めた。そして、オンラインのマッチングアプリに出会った。情報豊富なプロフィールを読み、相手のことをよく知ってからメッセージを送った。相手の好き嫌いについて知り、友達になれるような人かどうかを考えてから、繋がろうとした。
初めはプロフィール写真に興味を持った。優しい笑顔、旅行の一コマ、仲間とのふざけた自撮り…。でも、彼らの情報を知っていくうちに、笑顔がもっと優しく見えたり、時には逆に嘘っぽく見えたりした。
私は相手が誠実で面白そうだと感じた時だけメッセージを送った。私の最初の挨拶はいつも「ハロー」以上のもので、相手の情報を読み、何かについて共感したいという気持ちを明確にした。
オンラインデートは、デートを検討する前に相手のことを知る機会を与えてくれる。メッセージのやり取りで意気投合すれば、対面でも気が合う可能性が高い。何度かの失敗の末、今の夫となる男性と出会った。
会う前に1週間メッセージのやり取りをしていて、自分がデミセクシュアルであることを率直に伝えた。すると彼は、「それは面白いね。OK!」とだけ言い、それ以上詮索してこなかった。それどころか、私が言ったことが全く普通のことかのように感じさせてくれた。彼は私のセクシュアリティに安心感を持たせてくれたのだ。そしてそれは今も毎日続いている。
最初のデートで、私たちは6時間も話をした。私たちのアプリ上での相性スコアは96%。キスをしてドキドキしたのは彼が初めてだった。新たな恋愛や遊びの恋愛の夢を見ると、不思議なことにいつも相手は彼だった。彼に出会う前は、そんな夢は見たこともなかったのに。
私たちの関係が深まるにつれ、私はデミセクシュアルについてより学んだ。自分をデミセクシュアルと呼ぶことにオープンになった。友人の輪が広がり、他の人たちとの共通の体験を通じ、自分自身をより理解することもできた。
2019年が終わりに近づいていたとき、私は2020年以降の一般的な目標は立てない代わりに、自分に約束した。これからは、本当の自分についてもっと率直に話そう、と。そしてその1つが、デミセクシュアルの自分だ。
少しづつタイミングを見ながら話すと、聞いた事がなかったという人や、興味がある人が多いことを知った。
結婚した夫と同様、彼らの私に対する態度が変わらないことを嬉しく思う。
デミセクシュアルであろうとなかろうと、私は私なんだ。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「デミセクシュアル」とは? 当事者が語る自分のセクシュアリティを見つけるまで