英国西部の都市ブリストルの地方裁判所前。寒空の下、「コルストン4」と呼ばれる4人の若者たちに大きな歓声があがった。
満面の笑みを浮かべて立つ彼らは、揃いのTシャツを重ね着している。胸部に描かれているのは、空っぽの台座、足元に散らばった瓦礫やプラカード、その上にはBRISTOLの文字。何やら皮肉が込められているようだ。
Tシャツの絵が語るのは、2020年6月、ブリストルの広場にあったエドワード=コルストンの像が台座から倒され、港に投げ落とされた出来事だ。BLM(ブラック・ライブズ・マター)が世界に広がり、コロンバスなどの像が次々と倒されたことは、日本でも大きく報じられた。
当日、ブリストルでも1万人規模のデモ隊がコルストン像に向かったが、熱気の中で、像に手をかけたのが冒頭の若者たちだった。半年後に彼らは公共物損壊罪で起訴され、裁判に持ち込まれることになった。そして数日間におよぶ裁判の結果、今年1月5日、4人とも無罪放免となったのである。
Tシャツはブリストル出身のアーティスト、バンクシーがデザインしたもの。裁判が始まる前、彼はインスタグラムで、約4000円で限定販売し、売り上げを件の裁判費用に寄付するとアナウンスした。デモ仲間たちは言うまでもなく、たくさんの人々もコルストン4を支持した。勝訴の背景にはバンクシーを始めとする地元住民の大きな支援があったのだ。
なぜ、像は倒されたのか
なぜ像が倒され、公共物破壊が無罪になったのかを理解するために、歴史社会的背景を眺めてみよう。
エドワード=コルストンは17世紀の大商人で、病院や学校を創る資金を提供した慈善家だ。しかし資金源となったのは奴隷貿易だった。事業を通じ、84,000人(うち子どもが12,000人)のアフリカ人が奴隷として連行され、過酷な環境の下で、19,000人が死亡したといわれる。大西洋に面したブリストルはアメリカやアフリカを結ぶ奴隷貿易で栄えた都市で、コルストンはそれを牽引した中心人物だった。
奴隷貿易の廃止(1807年)後も、その過去は長い間ベールに包まれていた。だが、第二次世界大戦後、アフリカ諸国の独立や民主化運動の広がりの中で、帝国の負の歴史が浮き彫りになってくる。大商人の過去が明るみになるのも1970年代に入ってからだ。やがて、非人道的人物が未だに公の場で堂々と讃えられている事実を、市民は問題視するようになる。
ブリストルは黒人や移民が住む(全人口の15%)多文化社会だ。アフリカ系移民や子孫にとって、コルストン像の存在自体が屈辱以外の何者でもない。白人系の住民にとっても、それは自らの歴史の不誠実な表象に他ならない。
像の撤去を求める要請は人種を超えた運動に発展していった。そのムーブメントに乗じて、像にペンキが塗られるなどヴァンダリズム(破壊行為)が繰り返された。アフリカにルーツを持つ市長の時(2018年)には、市長室からコルストンの肖像画が外された。だが、公の場にあるコルストン像の撤去は簡単には進まなかった。
そのように、長い間、燻っていた問題がBLMによって一気に火がついたというわけだ。
コルストン4はみな白人の若者である。そんな彼らが、破壊行為に及んだ動機は、「人種差別に反対する純粋な信念」からであり、「像の是非をめぐって、市当局が動こうとしなかった事に対するフラストレーション」からだという。実際に、市当局はコルストン像の撤去を考慮したことは、これまでなかったと裁判で証言している。
終わらないディベート
裁判の争点は、初めから噛み合わなかった。
弁護側は、社会の強い要請にもかかわらず、負のレガシーと真摯に向き合ってこなかった行政にこそ問題があると訴えれば、検察側は、あくまでも公共物破壊やその損害に焦点をあてようとした。前者が勝利した理由は、陪審員たちが、一破壊行為の処罰より、歴史を公平に検証する社会を作ることの方が、多民族が共存する社会にとって重要だと考えたからだろう。判決直後、「歴史において、正しい方に立つ人々の勝利だ」と、弁護側はコメントした。
裁判結果はすぐにメディアを賑わせた。その炎上ぶりをみれば、いかに英国全体が事の成り行きに関心を寄せているかが伺える。
同時に、判決に異を唱えたのが、英首相のボリス=ジョンソンをはじめ、保守党の政治家や右寄りのメディアに偏っているのをみると、問題の根は深く複雑に絡み合っているようだ。
なぜ、大物政治家たちが地方の事件に神経質になっているのか。ジョンソン首相は、大衆紙デイリーメイルで「像への抗議者たちには、歴史を変えることはできない」と発言する。保守党の議員トム=ハントは、「政治的な極論者たちが、民主的なプロセスをふまえずに、我々の過去をごちゃまぜにしてもいいという青信号になる」と危惧する。
フランス革命やベルリンの壁の崩壊などの史実を学ぶならば、歴史を変えてきたのが決して法的手続きではないことは明らかだ。じつは、コルストンはジョンソン首相と同じく保守党の議員でもあった。自らの歴史の面汚しに消極的な彼らは、この判決が次に発展していくのを恐れているのだろう。
実際、大英博物館の創始者ハンス・スローンの像の表象における変化にも現れているように、コルストン像の一件が帝国の歴史全体を見直す動きに大きな影響を及ぼすのは、間違いない。
ミュージアムの床に横たわる奴隷商人の像
ところで、港に投げ落とされたコルストン像だが、その後、市当局によって救い出され、現在は、ブリストル地域史ミュージアムM Shedの常設展示で暫定的に公開中だ。「コルストン像:次は?」と題された展示の床に、像は赤ペンキがついたまま静かに横たわっている。隣の壁はデモ運動のプラカードでいっぱいだ。
展示は歴史背景を解説するだけではなく、事件に対する市民の意見をタイムリーに提示する。そこには、事件の数日後に実施された市民向けアンケートの結果が円グラフで表されている。それによると、10,252 人の回答者のうち、撤去に「賛同61%」「賛同だが、行為は違反19%」「反対20%」とある。判決は、どうやら市民の意見を反映したものとも言えそうだ。
展示の最後でも、アンケートへの協力を来館者に呼びかけている。その結果は、ブリストル市が立ち上げた「We Are Bristol History」委員会に共有され、像をめぐる今後の判断の重要な資料になるという。アンケート結果は公開され、研究機関や学校教育などに利用されることにもなっている。
真剣に見直されなかった負の過去は、現在の社会に深々と横たわっている。だからこそ、人種差別問題や人権の不正不平など問題の根は絶えず、抵抗運動も何度となく繰り返されてきた。BLMはその延長だ。自らの負の過去を見直すのは容易ではない。国家というレベルになれば、問題はさらに複雑になり、社会を分断しかねない危険を孕んでいる。今の状況が、「文化の戦争」といわれる所以だろう。
コルストン像はただの彫刻ではなく、歴史の象徴であり、人々が共有するメモリーだ。重要なのは、誰の歴史で誰の記憶なのかを公正公平に議論していることではないだろうか。そのプロセスこそが、これからの多文化社会を築いていく重要な土台になるにちがいない。
吉荒夕記(よしあら・ゆうき)
ロンドン大学SOAS美学部にて博士号取得、在学中に大英博物館アジア部門にてアシスタントキュレーターを務める。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。2019年9月には著書『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』(美術出版社)を出版した。
(文:吉荒夕記 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)
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バンクシーのTシャツを着た「コルストン4」BLMをめぐる裁判で勝訴