夏の余韻を残すような日々が過ぎ去り、急に冷え込むようになった。10月、この日も朝から肌寒かった。小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅に降り立ったぼくは、コートを羽織り、駅前から真っ直ぐ続く“ウルトラマン商店街”に歩を進めた。駅からのんびり歩いて20分ほど。目的地の名は「しゅわハウス祖師谷公園」。
「聴こえない人と聴こえる人が一緒に暮らすことを目的とした、シェアハウスがあるんだよ」
そう友人が教えてくれた「しゅわハウス」は、「聴者とろう者、難聴者が生活をともにする」というコンセプトを打ち出す珍しいシェアハウスだ。その共同生活とコミュニティを通じて、オーナーはどんな社会を目指しているのか。実際に行って、話を聞いてみたいと思った。
ろう者、難聴者が賃貸を断られてしまう現実
出迎えてくれたのはオーナーの伊澤英雄さんと、実際にここに住む、ろう者の藤原宏樹さん。「しゅわハウス」を建てた狙いや、実際の住み心地について、それぞれが語ってくれた。
「しゅわハウス」は「手話対応可能なシェアハウス」を謳っている。そう、オーナーの伊澤さんは聴者だが、手話が使えるのだ。それには理由があった。
伊澤さん:わたしには二人の子どもがいるんですが、下の子がろう者なんです。だから、ろう者を取り巻く課題を耳にすることが多くて。その中に、『ろう者がひとり暮らしをしたいと思っても、借りられる部屋がなかなか見つからない』という話があったんです。
耳が聴こえないことを伝えると、オーナー側から『それはちょっと……』と断られるケースがある。なにかあったときにどうやって連絡を取ればいいのかわからない。それが不安なんでしょう。そんな現実を知ったときに、ろう者、難聴者にもやさしい賃貸業を自分でやればいいのではないか、と思ったんです。
不動産業と建築業、どちらにも携わっていた伊藤さん。その経験を活かして考えたのが、聴者とろう者、難聴者が一緒に暮らすシェアハウスだったという。
伊澤さん:部屋を見つけられないろう者、難聴者にとっての選択肢のひとつになるといいなと思います。そして、中には部屋は借りられたとしても、いきなり一人暮らしをすることに不安を感じるろう者もいるはず。たとえば災害が起きたとき、どうしたらいいのか。その点、ここには聴者も住んでいるので、何かあったときは助け合えると思うんです。それもあってシェアハウスという形を取りました。
部屋にはインターフォンに連動したランプも取り付けているため、聴こえない人でも来客に気付くことができる。また、リビングを見通しのいい吹き抜けにしているのも、空間設計の工夫だ。
藤原さん:ろう者は“見ること”で状況を把握するので、吹き抜けになっているのはすごくありがたいんです。これならリビングに誰かいるのか、すぐにわかります。実は以前もシェアハウスに住んでいたことがあるんです。でもそこは見通しがあまりよくない造りだったので、どこに人がいるのか把握しづらくて……。些細なことだと思われるかもしれませんが、ろう者にとってはとても重要なポイントですね。
もうひとつ、ろう者である藤原さんにとっての安心材料は、やはりオーナーの伊澤さんと手話でコミュニケーションが取れることだ。
藤原さん:これまで物件を探すときに、手話ができる人と出会ったことがなかったんです。そもそも手話ができる人だといいな、と期待していなかった部分もあります。だから伊澤さんにお会いして、本当に安心しました。
「しゅわハウス」を起点に、聴こえない世界を知る聴者たち
「しゅわハウス」にはもうひとつの売りがある。国産の杉を使った日本古来の「板倉構法」で建てられているという点だ。伊勢神宮や正倉院にも用いられている伝統工法のひとつであり、通常の住宅と比較して2、3倍の木材を使用するという。「しゅわハウス」では大量の杉材を使っているため防火性、耐震性などにすぐれている上に、カビや結露の発生も抑えてくれる。まだ1年ほどの築浅であることも相まって、室内には新鮮な杉の香りが漂う。
ここに住む聴者のほとんどは、「板倉構法で建てられた総杉の家に住みたい」という目的を持つ人ばかりだという。
伊澤さん:それってつまり、ろう者、難聴者に変な先入観を持つ人がいないということでもあるんです。面談のときに「手話ができないけど大丈夫ですか」とか「ろう者と住むのが不安なんです」なんて言う人はひとりもいませんでした。住んでみたいと思ったシェアハウスに、ろう者もいる。それくらいの感覚で受け止めてくれている人たちばかりですね。
中には、「しゅわハウス」に住むようになったことを機に、手話に興味を持つ人たちもいる。
藤原さん:ここに住んでいる人たちに聞いてみると、これまでろう者、難聴者に会ったことがないという人たちが多いんです。でも、ぼくと出会って、「手話を教えてほしい」と言ってくれて、それはすごくうれしいですね。
伊澤さん:手話で挨拶できるようになった人もいますし、「しゅわハウス」が聴こえない人と聴こえる人とが混ざり合う場所になっていると実感します。それはすごく貴重で素晴らしい機会だと思うんです。住人だけではなく、「しゅわハウス」に関わる人たちの中にも興味を持つ人が増えていて。たとえば、取り引きのある太陽光発電の会社の人たちは、ここでの交流をきっかけに手話の勉強を始めてくれたんです。
これまで手話や、ろう文化に触れたことのなかった聴者が、「しゅわハウス」を起点に、聴こえない世界を知っていく。その役割は、非常に大きく重要なものと言えるだろう。
ただし、「しゅわハウス」はまだ誕生したばかりということもあり、住んでいるろう者は藤原さんひとりだけ。そのため、今後はろう者、難聴者の募集に力を入れていきたいそうだ。
藤原さん:オンラインでろうの友人と手話で会話をしているとき、それを見た聴者が「手話ってすごく速いんだね!」と驚いていたことがありました。そんな風に、それまでろう者、難聴者と接したことがなかった人からすると、新鮮な驚きはとても多いはず。だからろう者、難聴者の割合をもっと増やして、聴こえない世界との接点を増やしていきたいんです。
伊澤さん:複数のろう者が集まって会話しているところを見てもらいたい。手話のスピードに驚くでしょうし、発見もあるはずだから。
藤原さん:以前、「オーストラリア手話もできるんだ」という話をしたら、「オーストラリア手話というものがあるの?」と質問されたんです。日本と海外とでは手話が異なることも、関東と関西でも異なる手話が存在することも、聴者からすると知らないことなんですよね。そういうことも知ってもらいたい。
「自分たちのことをもっと知ってもらいたい」という願い
聴こえる人と聴こえない人の交差点である、「しゅわハウス」。その交点には驚くほどの気づきがある。そして「気づき」は、他者への想像力につながっていく。
伊澤さん:自分の子の耳が聴こえないとわかったとき、わたしは一度泣いたんです。それまでは、聴こえない世界のことをまったく知らなかったので。そこから自分なりにたくさん調べて、聴こえない子とともに前向きに生きるようになりました。だから、周りにろう者、難聴者がいない環境で育った聴者に対して、「もっと想像してほしい」といくら言っても、無理があると思うんです。やはり、実際に触れ合わないと、体験してみないとわからないことが多い。
だからこそ、伊澤さんは「しゅわハウス」を聴者とろう者、難聴者が交流できる場所にしていきたいと願っているのだ。
伊澤さん:ここに住むだけではなく、聴こえない世界に触れる方法はたくさんあります。それこそ都内にはろう者、難聴者が営むお店も少なくない。そういう場所をもっと身近なものとして増やしていけるかが、これからは大事なんじゃないかな、と。もしも今後、お店を出してみたいと考える当事者がいるならば、不動産業に携わる者としてはお手伝いしていきたいですね。
藤原さん:ぼくも伊澤さんと同様に、もっと聴こえない世界を理解してもらいたいと考えています。ただ、「自分たちのことを知ってくれよ!」と無理やり押し付けると、聴者もアレルギー反応を起こしてしまうかもしれない。その塩梅(あんばい)を見つつ、ちょっとずつぼくらのことを知ってもらえるように動いていきたい。そうやっていった先に、共生社会が見えてくると思っているんです。
インタビューを終えても、ふたりはとても楽しそうに会話を続けた。
午後の日差しはとても柔らかく、リビングいっぱいに注ぎ込む。肌寒かった気温を忘れさせてくれるくらい、「しゅわハウス」の中はまるで陽だまりのように暖かかった。
共生社会というと、なんだかとてもハードルの高い世界のように感じられるかもしれない。でも、はじまりはシンプルでいいのではないだろうか。
「しゅわハウス」のリビングのように、自分と違う属性を持つ人と場を共有してみる。そして、その違いを“違い”として受け止め、自分にできること、相手にできること、一緒にできることを考えてみる。たったそれだけのことから始まるのかもしれない。
共に生きる社会――。聴こえる伊澤さんと聴こえない藤原さんらが生み出した世界には、とてもやさしくて居心地のいいひとときが流れていた。
五十嵐 大
ライター、エッセイスト。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。2020年10月、『しくじり家族』(CCCメディアハウス)でエッセイストデビュー。最新刊は『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)。
(編集:笹川かおり 手話通訳:岡田直樹)
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ろう者、難聴者、聴者がともに暮らす家。「しゅわハウス」が示す、共生社会のありかた