7月23日に開幕する東京オリンピックには、2016年のリオ大会に続いて史上2度目の「難民選手団」が結成され、29人のアスリートが派遣される。そのうちの一人、シリア出身の競泳ユスラ・マルディニ選手(23)が、来日を前にハフポスト日本版の単独インタビューに答えた。
―東京オリンピック出場が決まって、どんな気持ちですか?
とてもわくわくしています。再び難民選手団の一員になれて幸せに思います。日本には、2017年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)親善大使として1週間ほど滞在したことがあります。みんなとても礼儀正しく、親切でした。よい思い出ばかりです。
―前回リオ大会から5年になります。あなたの周囲で何が変わり、何が変わっていないでしょうか。
残念ながら、シリア内戦は今も終わっていません。世界で6500万人だった難民や避難民の数は8200万人に増えました。
私はといえば、成長して、賢くなったと思います。住むところも変わりました。以前は両親や姉妹とベルリンに住んでいましたが、2年前からは練習プールがあるハンブルクで暮らしています。
でも、全体的に言えば変わっていないかな。私は同じ人間だし、同じ夢を持ち続けています。泳ぎたいし、オリンピックに出たい。
私は今も難民たちを代弁する「声」であることに変わりはないし、UNHCRの親善大使でもあります。
―5年の間に、アメリカのオバマ大統領(当時)やローマ法王にも会いましたね。世界から注目されることや、自分の影響力の大きさはどう感じますか。
リオ大会の頃、メディアの注目が集まりすぎて、自分でもどう対処したらいいか分かりませんでした。まだ18歳で若かったし、1日に6つも7つもインタビューを受けることは無理がありました。今はマネジャーがいて、私が練習に集中できるよう支えてくれます。気が進まないことに「ノー」と言うすべも学びました。これって人生で大事なことでしょう?
正直に言えば、注目を浴びることは好きなんです。スポットライトを浴びてカメラの前に立つことも好きだし、自分の意見を言えることが何より好きです。「ただ有名になりたい」というのではなく、自分の発言力を、良い目的のために使いたいと思っています。発言力を使って、難民たちが自分の境遇を変えられると示したいんです。
私にはつらい経験があるけれど、乗り越えることをあきらめません。だから、これからも大事だと思った取材は受けるし、メディアの力や自伝などを通じて、自分の経験を共有していくつもりです。
―難民キャンプでは、スポーツが子どもたちにとても良い影響を与えていると聞きました。
本当にその通りです。だからこそ、私もドイツに住む難民の子どもに水泳を教える取り組みをしています。
スポーツは私の人生を変え、命を救ってくれました。新天地でゼロから再び生活を築くのを助けてくれました。いつもそばにいてくれるチームメートに出会えました。分かち合い、助け合うことを学びました。この国(ドイツ)を知り、社会に受け入れられるすべを学びました。スポーツは私に生きる目的を与えてくれました。転んで、また立ち上がることを学んで、タフでいる方法も身につきました。
スポーツは人生にとても大切です。現実の嫌なことを忘れて没頭することができます。私は腹が立った時や(コーチだった)父親と話したくない時に、いつも頭まで水に浸かって泳いでいました。泳ぐと本当に気分がすっきりして前向きになれるんですよ。きっと皆さんにも通じることだと思います。
―新型コロナの影響で、難民への関心が減ってしまったように思います。
人々は外出を自粛しなければならなかったし、感染は恐ろしいし、経験したことのない状況でどうしていいか分からなかったのだと思います。
ただ難民たちこそ、衛生状態が悪いですし、私たちのように安らげる家もありません。私も駆けつけて支援できないことがとても悲しいです。もっと難民に関心を寄せてほしいと思います。UNHCRや大勢の人たちも努力しているし、私もできるだけ難民のことを発信しようと心がけています。
ー日本は難民をわずかしか受け入れていません。そんな日本でオリンピックが開かれ、難民選手団を迎え入れます。日本の人に知ってほしいことは何ですか。
日本を訪れてから、日本のことをたくさん学びました。難民について知らない人もいて、とても悲しく思います。
だから、私は二つの目的のために東京オリンピックに出場します。
一つは、競技者としての長年の夢だから。
もう一つは、私たち難民選手団は、難民に何が起きているか日本の人たちに伝えて意識を高めてもらう、とても大きな使命を帯びているからです。
難民問題は日本から遠い場所のできごとで、自分に助けることなどできないと考えている人がいるかもしれませんが、それは違います。
私たちの体験を聞いて、みなさんが難民のために何かをしたいと感じてくれれば、日本政府もきっと多くの難民を受け入れてくれるようになると思います。思えば、日本政府はリオ大会の頃から東京大会での難民選手団結成と受け入れに熱心でしたから、東京オリンピックは、難民の受け入れが進む上で大きなステップになると思います。
私たちはよく「難民」とレッテルを貼られます。そして人々は、難民になった人の背景に何があるのか知ろうとしません。
私たちは普通の人間です。シリアではエンジニアだったり、医者だったりして、普通の仕事に就いていました。私たちが祖国を逃れたのは平和を求めたからです。自分の子どもや家族のために、よりよい未来を築きたかったからです。難民は、夢や希望を抱いた、普通の人々なんです。
―東京オリンピックでの選手としての目標は?
自己ベストを更新したいです。リオ大会の100mバタフライの記録は1分9秒21でした。今は当時より3秒以上縮めたので、もっと速く泳ぎたいです。
―将来の夢は何ですか。
5年間、必死で練習をしてきましたから、オリンピックの後は少し休んで、将来について考える時間がほしいです。
俳優になる夢もあるんです。来年公開の映画に自分役で出演する話もあったけれど、(海で漂流した)当時の状況を思い出すのは精神的につらいし、より重要な、東京オリンピックという目標があったのでやめました。
それからスイミングスクールを開いたり、自分で難民支援団体を立ち上げたりする夢もあります。UNHCRの難民キャンプにも行きたい。でも、それにはまず水泳を続けるかどうか、考えないといけません。
もちろん、2度目の出場を手にした今この瞬間は「勝って、3回目の出場をめざしたい」と思っています。
※マルディニ選手は大会2日目の7月24日(日)、東京アクアティクスセンターで行われる競泳女子100mバタフライ予選に出場する。
Yusra Mardini 1998年生まれ。シリアの首都ダマスカス近郊で育つ。水泳コーチの父親のもと、幼い頃から厳しい練習を積んだ。高校生だった2015年夏、内戦が激化した故郷を脱出。同じく競泳選手だった姉サラさんと2人で欧州を目指した。途中、エーゲ海で乗り込んだ密航業者の小型ボートが故障したため姉と海に飛び込んでボートを押し、命からがらギリシャへ渡る。ドイツで難民認定を受けた後、2016年の五輪リオデジャネイロ大会で史上初めて結成された難民選手団メンバーに選ばれ、100mバタフライと100m自由形に出場。2017年には史上最年少の19歳で国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使に任命された。2018年に出版した自伝「バタフライ」が、2022年にNETFLIXで映画化される予定。
Source: ハフィントンポスト
難民の「ラベル」はずして。シリア出身のユスラ・マルディニ選手が東京五輪で伝えたいこと