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どこにでもいる音楽好きの青年は、なぜ路上で怒りの声を上げるようになったのか?

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平野太一さん

この国では市民が路上に立って政治的主張をするデモという行為が少なくなっていた時期があった。その頃の日本では、デモは“政治的な主張を持つ特殊な人だけが行うもの”という認識をされていたかもしれない。しかし、そのようなデモを忌避する風潮を変えたのが東日本大震災による原発事故だった。差し迫った状況に危機感を覚え、人々は再び路上に出て「反原発」の声を上げはじめた。

その群衆の中に立ち、注目を集めてきた青年がいる。平野太一さんだ。平野さんは反原発デモを呼びかけ、反差別運動に参加し、また自らもゲイ当事者として自民党・杉田水脈衆院議員による「差別発言」へのデモを呼びかけるなど、精力的に活動してきた。

そんな彼に対して、反発した一部の勢力がSNS上で罵詈雑言を投げつけることも少なくない。いわゆるネトウヨと呼ばれるような層や、LGBTQの人権活動を否定する“アンチLGBT”と呼ばれるような人たちは、彼に“過激な活動家”というレッテルを貼り、恐れているように見える。

しかし、筆者と平野さんは知己であるので分かるのだが、実際の平野さんは過激でもなんでもない。彼のことを率直に表現するならば、“そこらにいる音楽好きのタダのアンチャン”である。そのタダのアンチャンがどうして路上に立ち続けるのか。その経緯と根本にある思想を明かしながら、彼に貼られた悪意あるレッテルの正体を解き明かしていきたい。

 

なんとなく東京に来て、半年後に起きた東日本大震災

「20代の半ばまで大阪の河内長野にある実家に住んでたんですけど、いいトシして親と住んでるのもなんだかなという気がして東京に出てきたんです。何がしたいとかってこともなかった(笑)」

「なんとなく東京に来た」という平野さん。しかし、その半年後に起きた東日本大震災が路上に立つきっかけを作る。

「東京に来て半年で311が起きました。Twitterでフォローしていた音楽関連の人たちから震災についてのいろんな情報が流れてきた。音楽クラスタの中に原発デモに行こうって書いている人がけっこういたんです。自分はデモなんか行ったことなかったんですけど、3月の終わりに銀座であったデモに初めて行きました。最初はちょっと様子を見てみようって感じで、なんかちょっと違うなと感じたらすぐ帰ってこようと思ってましたね」

初めはデモに対して抵抗感があったという。それは過去にこんな経験があったからだ。

「それ以前に政治のことをツイートしたら、友だちに“ああいうことツイートするのはちょっと”と言われたことがありました。政治的なことに触れるのは悪いことと見られてるのかと思って、路上に出て声を上げて主張するのは、その時はまだおっかなびっくりという感じでした。ただ、実際にデモに行ってみたら、自分と同じように団体に所属してるわけじゃなく1人で来ている人が多かった。割と同じように考えてる人がいるんだなと感じました」

そして、小さなきっかけから彼自身がデモを呼びかけるようになるのは、それからすぐのことだった。

「音楽クラスタ系の人には組合系のデモのノリに違和感を持った人もいた。“だったら個人がTwitterで呼びかけてデモをすればいいんじゃないか”っていうツイートをポロっとしたんです。そしたら、フォロワーの人が拾って拡散してくれて、4月の初めくらいには自分が呼びかけ人でデモをやることになった。前のめりな人が広めてくれたのでやることになっただけなんです(笑)」

 

さまざまな運動への繋がりと“当事者性”という問題

その後、デモに集まった人を中心にSNSで反原発デモを呼びかける集団〈TwitNoNukes〉が結成される。渋谷などで定期的にデモを実施していく中で平野さんは、多くの人と繋がっていった。HIVの問題などについて市民運動を長年続けてきたアーティストのハスラー・アキラさんや、〈レイシストをしばき隊〉を主宰し差別と闘ってきた野間易通さんなどだ。

そうした中で、ゲイである平野さんが“当事者性”について考えるきっかけとなったのがウガンダの同性愛禁止法への反対運動だった。

「同性愛禁止法への反対運動には、ゲイだけでなく音楽クラスタの人たちが一緒に拡散したりデモに来てくれたりしたんです」

それから自らも、狭義の“当事者”ではない抗議活動に参加するようになっていった。

「一緒に反原発デモをやっていた野間さんが新大久保のヘイトデモにカウンターをかけていて参加するようになった。その時に初めて“行動する保守”の人たちを間近で見たんです。実際にお店の人が暴言を浴びせられたりしているのを見て、これは放って置けないなと思った」

何をもって当事者とするのかは、突き詰めて考えると難しい問題だろう。

例えば、原発事故は日本人全てが当事者と言うことも出来る。しかし、当事者という言葉をもっと狭く捉える人もいる。平野さんは反原発デモを呼びかけた際に“福島の人間じゃないのになぜやるのか”という疑問を投げかけられたという。

「僕はいわゆる“当事者”じゃなくても、思うことがあれば意見を出してもいいんじゃないかと思いました。別に在日コリアンじゃなくても、在日コリアンのことをよく知らなくても、道端で暴言を浴びせられている人がいたら、自分のこととして反応できるんじゃないかと。“いや、それはないでしょ”と言えるんじゃないかと思って。その問題について学んで深く理解することももちろん大事なんでしょうけど、パッと見て“この構図、おかしい”って言えることもある。そういう気持ちで動いてました」

 

非対称な構図を無効化し、声を上げている人たちを黙らせる“分断”という言葉

平野さんが、まさに当事者として動かざるを得なかったのが、自民党・杉田水脈衆院議員によるLGBTQへの「差別発言」事件だった。

「ただ、その時も“自分はLGBTQ当事者だけど怒ってない。だから、これは当事者のデモじゃありません”と言う人がいるだろうなと思ったので、あらかじめ“怒ってない人は、いわゆる当事者でも関係ないです”って書いたんです。怒ってる人は関係あるけど、怒ってない人は関係ないので当事者として何か言わなくても大丈夫です、と」

さまざまなデモをやってきた平野さんが、しばしば言われてきたことがある。

「声高に主張してる人は怖いみたいなことを言われました。“抗議より対話を”ともよく言われましたね。対話したい人はすればいいと思うんですよ。対話をして建設的に物事を進められるのであれば、それはいい。別にそこは否定するつもりはなくて」

「ただ、“抗議よりも”って言われちゃうと、それは違うんじゃないの、と。怒る人もいて当然でしょ、と。怒っている人がいることを可視化すること自体に意味があると思う。別に対話したけりゃすりゃいいんじゃん、という。他人がやることにとやかく言う感じが嫌でしたね。そのアプローチじゃダメだと思うんだったら、自分のアプローチでやればいい」

“抗議より対話を”という、いわばトーンポリシングは、2019年4月、選挙応援のため高円寺駅頭に現れた杉田水脈議員に対する抗議活動が行われた際、特に強く平野さんに向けられることになった。たまたま平野さんは高円寺にいたので駆けつけたのだが、報道によってフィーチャーされ、矢面に立つ形になったのだ。

「ニュースで自分がわーっと言ってる映像が使われて、“分断の社会の象徴”みたいな感じに使われたんですよね。確かに対立はすごく深まってると思うんです。ポピュリスト政治家とかSNSとか、いろんな要因があるでしょう。ただ、“分断イコール悪”とは自分はあまり捉えてません。あからさまにおかしなことを言ってる人がいる時に、ちゃんと対立して見せることは必要なんじゃないかなと思うんです」

「例えばBLM運動にしても“ああいう表し方はどうなんだ”と言う人もいます。でもまずは白人の警官が黒人を殺してることのおかしさに何かを言うべきじゃないか」

2020年6月、平野さんがTwitterで呼びかけ、渋谷ハチ公前でBLMのデモが行われた。

「アメリカにいる黒人の友人が行動してるのを見て、自分もTwitterでハッシュタグを作って呼びかけました。イギリス人俳優のジェームズ・コーデンが“最初は自分が言うべきじゃないと思ってたんだけど、白人こそがむしろ声を上げるべきなんだ”と言ってたんですね。被害者側ではない立場を使っていい方向に持っていくようにしなきゃいけないんだという話をしてた。それに割と近い意識があって」

「同時に、さっき言ったように自分ごととして怒れるんじゃないかって考えもある。在日コリアンだけの問題、LGBTQだけの問題、黒人だけの問題にしちゃいけないんじゃないか。もちろん、個別の問題として知っていかなきゃならないこともある。でも、そのことと、目の前で差別的なことを言う人がいたら怒ることは両立できるんじゃないですかね」

「僕がとても印象に残ってる動画があって。2013年に、行動する保守の人が在日コリアンの青年に酷い差別発言を投げつけたんです。ほんとに酷い言葉をぶつけている。すると、青年がキレて相手に掴みかかっていったんですね。そりゃそうなるよなと。自分もそうなると思う。だから、即時的に抗議することが必要な場面もあるし、今までの歴史を調べて話し合う作業も必要だと思う。どっちかじゃなくて、両方とも必要なんじゃないかな」

ECDさんやソウルフラワーユニオンは普通にデモにいた

最近、平野さんは音楽活動に力を入れ始めた。

「大阪にいた頃から自分で曲を作ったりはしてました。東京に来てからは全く違う世界に出会って、しばらくは曲を作ってなかった。TwitNoNukesの活動をまとめたドキュメンタリー映画『STANDARD』を作ることになって、その音楽を作るのでまた始めたという感じです。今やっている音楽はすごく個人的なもので、自分の意識としては路上で動いてきた経緯とはあまり接点がありません」

「再び音楽を作り始めて思ったのは、そういえば311以前は1人で音楽をシコシコ作ってたなって。だから自分にとって音楽を作るのは以前の生活を取り戻してる感じがあるんです」

「政治的な曲を頑張って作ろうというモチベーションは、今は自分にはないです。プロテストソングでいい曲もあって、それはそれで凄いことなんですが震災の後のデモで印象に残ったのはソウルフラワーユニオンの中川敬さんとかECDさんが普通に列にいたことです。ミュージシャンとしてとかじゃないんですよね」

「だから、アーティストとして何かをやるとかじゃなくてもいいんだなって感じたんです。アーティストは政治の話をするなみたいなこと言う人いるけど、それはおかしいと思うし、逆にアーティストだから何か発言しろって言うのもおかしいと思うんですよ。そもそも、いちいち他人のやることに何か言わなくていいんですよね」 

 

平野さんが監督した東日本大震災後のTwitNoNukesによる反原発運動のドキュメンタリー映画『STANDARD』(2018年公開)

(取材・文:宇田川しい 写真:坪池順 編集:笹川かおり)

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Source: ハフィントンポスト
どこにでもいる音楽好きの青年は、なぜ路上で怒りの声を上げるようになったのか?

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