約38万人の子どもを対象に実施されている福島県「県民健康調査」甲状腺検査。10月で開始から13年となった同検査では、これまで345人が悪性(疑い含む)と診断され、285人が手術を受けている。
100万人に数人という割合で見つかる小児の甲状腺がんだが、福島で多く見つかっている理由は、原発事故による「放射線被ばくの結果ではない」というのが世界的なコンセンサスだ。
ハフポスト日本版もこれまで、放置しても生涯にわたって何の害も出さない病気を見つけてしまう「過剰診断」の問題について指摘してきた。
今回は、検査のあり方を検討する県の有識者会議で委員を務めた甲状腺専門医・髙野徹さん(甲状腺がんの分子病理学)を取材。
なぜ甲状腺がんは予後が良いとされるのか、「昼寝うさぎ」と名付けられた生命予後に影響しないタイプのがんとは何か。「子どもに対する過剰診断は深刻な被害をもたらす」と語る理由についても聞いた。
【シリーズ報道「福島甲状腺検査と過剰診断」の記事はこちらから】
◇髙野徹さんプロフィール◇
東京大学理学部天文学科卒業後、大阪大学医学部に学士入学、同大学院修了。医学博士。現在はりんくう総合医療センター甲状腺センター長兼大阪大学特任講師。小児甲状腺がんの取り扱いについての国際ガイドラインの作成委員を務める。専門は甲状腺がんの分子病理学。共著に「福島の甲状腺検査と過剰診断 子どもたちのために何ができるか」「Overdiagnosis of thyroid cancer in Fukushima」(英語版)
ーー約38万人の子どもを対象にした大規模スクリーニング検査は世界で初めてです。髙野先生は福島甲状腺検査をどう見ていますか。
甲状腺がんにおける「過剰診断のアウトブレイク」として、医学の歴史に残るレベルの話だと思っています。しかも学校で検査が実施されており、多くの子どもたちの人権が侵害されています。
若年性の甲状腺がんの早期診断は有害無益で、手術をしても将来の福島における甲状腺がんの死亡率は変わりません。実際、検査を受けていない子どもたちも数多くいますが、その子どもたちには何も悪いことが起きていません。
ーー国際機関も過剰診断の可能性を指摘しています。
国際がん研究機関(IARC)は2018年、「原発事故後であっても甲状腺のスクリーニングを実施することは推奨しない」としています。
「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」も2021年に公表した報告書で、福島の子どもたちの間で甲状腺がんが多く見つかっているのは「非常に感度が高いスクリーニング技法がもたらした結果」と指摘しています。
甲状腺がんは転移する能力が高く、超音波でしか見つからない「ミリレベル」の大きさのうちから転移しています。ほかのがんと違って、超音波検査で見つけても「早期発見できて良かったね」とはなりません。
また、小児甲状腺がんの死亡率は盲腸とほぼ一緒です。「盲腸で死ぬのが怖いから」といって、腹部に症状がないうちから超音波検査をする人はいません。福島の場合は、このような過剰な検査を学校の授業中におこなっているのです。
ーー前回までの取材で、過剰診断のデメリットはとても大きいと知りました。一方、福島県や福島県立医科大学は十分に検査のデメリットを説明していません。
子どもに対する過剰診断は深刻な被害をもたらします。子どもの小さながんは手術後に高い確率で再発するため、一生涯にわたる通院が必要になります。
さらに、進学や就職、結婚、出産など、これからあるであろう様々なライフイベントをがん患者として乗り越えていかなければなりません。子どものQOL(クオリティオブライフ)はガクンと落ちします。
ローンが組めなかったり、保険に入れなかったりする可能性もあります。「がんと診断される前に戻りたい」という言葉もよく聞きます。
何よりもこれは人権問題・医学倫理の問題です。第二次世界大戦中にナチスドイツで人体実験が実施された反省から生まれた「ヘルシンキ宣言(人間を対象とする医学研究の倫理的原則)」に抵触していると思われます。
この事業を「ヘルシンキ宣言に沿っている」として実施にお墨付きを与えてしまっている福島県立医科大学の倫理委員会の責任は非常に重大です。
しかし、県や県立医大は「過剰診断」という言葉を使って検査のデメリットを伝えることはしていません。「福島甲状腺検査は正しいことで今後も継続すべきだ」という趣旨のアニメ動画も配信していますが、その中でIARCやUNSCEARなどの見解には触れていません。
「過剰診断」は禁句とされ、1000億円という莫大な予算が配分されて始まった検査は「大人の事情」で続いています。地元メディアも問題に切り込めないので、福島県民は当然その事情を知りません。
ーーこれまで書いてきた「福島甲状腺検査と過剰診断」の記事には、「なぜ甲状腺がんは予後が良いと言えるのか」といった意見が多く寄せられました。
がんという病気は長らく良性の腫瘍が悪性化してできるとされていました。だから早期発見・早期治療が常識だったのです。しかし近年、甲状腺がんについてはその常識を覆すデータが複数出てきました。
まずは韓国のケースです。2000年以降に超音波検査が普及した結果、甲状腺がんの罹患率が大きく上がり、2011年には検査開始前の1993年と比較して約15倍になりました。
多くは1センチ以下の微小がんでしたが、手術で全て摘出しても甲状腺がんの死亡率は変わりませんでした。しかも、そのうちの多くが頸部リンパ節などに転移していたのです。
つまり、転移までしておきながら患者に悪さをしない甲状腺がんが多数あることが、このデータからわかりました。早期の手術も無駄だったといえるでしょう。
国内でも甲状腺疾患の専門病院「隈病院」(神戸市)のデータがあります。大人が超音波検査をすると、200人に1人の割合で微小がんが見つかることから、同病院では手術ではなく経過観察(アクティブサーベイランス)という方針が取られています。
その経過観察のデータから、微小がんの成長はかなり遅く、若年期にしか増大しないことがわかりました。同病院では1000例以上の経過観察がされていますが、死亡例やより悪性度の高いがんに変化した例は一つもありません。
ーーつまり甲状腺がんの場合は良性の腫瘍が悪性化するタイプではないということですか。
転移はするが、途中で成長を止め、生命予後に影響しないがん、すなわち「Self-limiting Cancer(セルフリミティングキャンサー)」が実際に存在するということが、甲状腺で初めて証明されたのです。
途中で成長を止め、生命予後に影響しないタイプのがんは、「昼寝うさぎ」とも言われています。
イソップ物語の「うさぎとかめ」の話では、うさぎはスタートから速く走りますが、途中で昼寝をしてかめに抜かされてしまいます。これが若年期には増大するも、途中で成長を止める甲状腺がんと似ていることから、「昼寝うさぎ」と名付けられました。
ーーしかし、実際に甲状腺がんで亡くなっている人はいます。
甲状腺がんによる死亡を引き起こしているのは、中年以降に突然出現する別のタイプのがんです。成長を止めないないため、がん死につながります。これを「Lethal Cancer(リーサルキャンサー)」、「高齢型甲状腺がん」と言います。
福島で見つけているのは、幼少期に急速に増えるものの、そのうち成長を止め、臨床症状を出さないがんです。これは先ほど申し上げた通りセルフリミティングキャンサーで、「若年型甲状腺がん」といいます。
成長が非常に早く、まれに若年期の臨床がんになるケースもありますが、これも成長を止めるため、患者のがん死につながることは基本的にありません。
このように最近わかってきた「甲状腺がんの自然史」は、私が2000年に提唱した「芽(が)細胞発がん説」で予想した通りでした。
ーー米国甲状腺学会雑誌「Thyroid(サイロイド)」にも掲載されていますよね。髙野先生の「芽細胞発がん説」とはどのようなものなのでしょうか。
例えば大腸がんでは、正常細胞が腫瘍化し、良性腫瘍、早期がん、進行がん、転移・浸潤と段階を踏んでいきます。このような流れを「多段階発がん説」と言いますが、甲状腺がんでは多段階発がん説は通用しないと考えています。
芽細胞発がん説では、甲状腺がんは幼少期にしか存在しない胎児性細胞から発生します。このような細胞は本来5歳くらいまでに消失するのですが、何らかの原因で消失しなければがんの発生のきっかけになります。
甲状腺がんの発生原因となる胎児性細胞には、性質の異なる2種類があると推測されています。それは、甲状腺幹細胞と甲状腺芽細胞です。
幹細胞から発生した腫瘍は際限なく増殖するため、先ほど申し上げたリーサルキャンサーになります。一方、芽細胞から出たものは転移・浸潤はするものの増殖に限界があるため、患者を殺さないセルフリミティングキャンサーとなります。
20年以上前から芽細胞発がん説を考えていたため、甲状腺がんの性質をうまく説明できない多段階発がん説を軸とした医療を続けていれば、「何か患者に対して悪いことが起きるのではないか」と思っていました。
そして、実際に起きてしまったのが、「昼寝うさぎ」が引き起こした福島甲状腺検査の過剰診断問題です。
想像になってしまいますが、福島の甲状腺検査を計画して開始した人たちは、甲状腺がんの発生メカニズムを多段階発がん説で考えていたのではないでしょうか。
小児の甲状腺がんは100万人に数人と言われており、多段階発がん説では甲状腺がんは中年以降、甲状腺の正常細胞が徐々に悪性化して発生すると考えられていたので、子どもたちを対象に検査してもがんは見つからないと予想していたのでしょう。
しかし検査をしてみると、当初から数多くの子どもたちが甲状腺がんと診断されました。検査を始めた人たちからすると、予想外の出来事だったのではないかと思います。
ーー芽細胞発がん説は医師の間で一般的に浸透しているものなのでしょうか。
発表から20年以上経ち、すでに多くの一流学術誌で解説されていますので、甲状腺がんの研究者には広く知られています。しかし、残念なことですが、国内の学会ではタブー視されているのが現状ではないでしょうか。
芽細胞発がん説に触れれば、福島の甲状腺検査の問題に言及せざるを得ないからです。ただし、最近では国際的な理解も進んできており、例えば甲状腺がんの最初の発生は幼少期であることに反対する人は少なくなってきたように思います。
芽細胞発がん説と多段階発がん説では甲状腺がんへの向き合い方が全く異なります。
芽細胞発がんの場合は良いものが悪いものに変化することはありませんが、多段階発がん説では良性のものでも放っておいたら必ず悪くなるため、早期診断・早期治療が絶対に必要だということになるのです。そこが大きな違いです。
芽細胞発がん説の理論は、甲状腺がんの実験的・臨床的エビデンスを矛盾なく説明できるように考えて構築されたものです。セルフリミティングキャンサーの存在が確認されたことなどが典型例ですが、理論が正しいことが疫学的に証明されるようになってきたのです。
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「昼寝うさぎ」が引き起こした福島甲状腺検査の過剰診断問題。専門家が語る「甲状腺がんの自然史」【上】