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2006年のある火曜日の朝、ニューヨーク州ダッチェス郡で、酔っ払った女性がトラックを盗み、ビール1箱を確保し、停まっている車に突っ込んだ。
その停まっていた車の中にいたのが、私だ。救急隊員が引っ張り出してくれた。私が凍えるような部屋で目を覚ますと、皮膚から鋭利なものを取り除かれている最中だった。私は危険な状態にあった。そして…私ではなくなった。
良い知らせは、生き延びたこと。悪い知らせは、脳の損傷だった。
ついさっきまで、私はフリーライターでシングルマザーだった。夕食を作り、締め切りに追われ、記事の見出しを考えながら子どもを迎えに行く。TimeやNew York Magazine、そしてVogueなどの有名誌とも仕事をしていた。
そして、私の脳はうまく機能しなくなった。腕も脚もだ。事故の後、私は外傷患者と共に、粘土を丸めたり、おもちゃの木工道具で「釘」を打ったりした。患者の中には、元医師や元心理言語学教授、ケバブカフェの元オーナーもいた。
脳損傷を受けて
脳に損傷を受けたライターの需要はあまりない。理解することもできないのに管理することなどもちろんできず、ビジネス関係の手続きは弁護士がやってくれた。
私のキャリア最後の金融取引は、クライアントに数万ドル(数百万円)の前金を返金することだった。そして積み上がる請求書を支払うために、弁護士は私たちの家を売却しなければならなかった。私の新たな頭では、この全てについていくことはできなかった。
業者が引越しのために箱詰めをしてくれたが、細かいことは覚えていない。私が降り立ったのは、どこかにある静かな南部の町の、木造の荒れ果てた家屋の中だった。それは、これまでの私の生活や、娘が住む所から南へ9時間下った場所だった。まるで何もなかったかのように、引越しのことは覚えていない。
ヴァージニア州に引っ越したことを思い出すことはほとんどなかった。つまり、すでに住んでいる場所に引っ越すべきか、すでに離れた場所を去るべきかを悩んでいたのだ。
私が1年間外来治療を受ける間、子どもはニューヨークの大学に残った。歩き方、話し方、キーボードへの手の置き方、読み方、書き方、お茶の淹れ方を学び直した。
これまでの「私」を失った
トラック事故から3年。社会保障障害者庁は、私の怪我を「永続的かつ不治」と判断した。それでも、これまでの診断の中で最悪だったのは娘による「母親がいなくなった」という「診断」だった。
「最初」の人生では、地球温暖化からコスメ、選挙まで、何千という記事を書いてきた。普通の人たちは、それに加え、朝起きて歯を磨き、服を着て朝食を食べ、子どもを学校に送り、クライアントの要望に答え、乾燥機の埃を掃除する。
私は飛行機から投げ出されたような気持ちになった。そして、投げ出される前の自分のかけらを繋ぎ合わせようとしているような気分だった。その後も、そんな気持ちは続いた。
多くの人は、愛する人を失くす。私は、これまでの自分を失った。
新たな「私」は、私が好きだった本を読んだことがなく、娘と楽しい時間を過ごしたこともない。医師らは私の脳を何百回も検査し、新たな記憶を作ったり、身体の動きを統合する機能など、さまざまな機能が不全になっていることを発見した。
私は1分前、1ページ前、ずっと前に起こったことも忘れた。記憶喪失というものだ。
記憶喪失はどんなものでも消し去ってしまう。子どもが発した最初の言葉。亡き母の最後の言葉。私の場合、失語症も併発した。言いたい言葉が出てこなかったり、意味がわかるように文を組み立てることもできなかった。
雪のことを「白、モノ、空」と言ったり、植物のことを「緑、モノ、土」と言ったりした。たいていの場合、言葉は文章の途中から始まり、途中で終わった。
記憶喪失からの道のり
記憶を作るには3つの段階がある。何かを学ぶこと、記憶すること、そしてそれを思い出すことだ。私にとって記憶することは難しく、思い出すことはほぼ不可能だった。 私の機能は修復できないほどの損傷を受けてる、医師にそう伝えられた。皮肉なことに、私の車に突っ込んだ飲酒運転をした女性も、同様の損傷を受けたという。
保険会社が医療費や痛み、苦しみの負担や補償をしてくれたかというと、答えはノーだ。飲酒運転をしていた女性は過去に3回の飲酒運転の前科があり、運転免許も保険も持っていなかった。女性が運転していたトラックは盗んだものだったため、車のオーナーによる保険金も支払われなかった。他にも様々な事情が重なり、その他の保険もおりなかった。
その結果、多額の医療費のほとんどは私が…いや、私に変わって委任状が支払った。神経リハビリ施設の責任者の判断により、外来リハビリは2年目以降受けられなくなり、私は1人で読むことを学び直した。結果はまちまちだった。
事故から2年目、私は読書に挑戦し始めた。同じページを2年間読み続けた。最初は何の意味も分からない。次は数秒意味がわかった。もし前回の途中から再開すると、なぜその登場人物がその場所にいるのか全く分からなかった。
損傷のない脳は素晴らしい。好きだったアニメのテーマ曲、5年生の時のフランス語の先生の名前、幼い頃の電話番号も覚えていることができる。でも時速110キロで車のフロントガラスを突き破ればお手上げだ。一瞬前のことを思い出せるかもしれないし、思い出せないかもしれない。また歩いたり話したりできるかもしれないし、できないかもしれない。目覚めたら全く別人になっているかもしれないし、一生目覚めないかもしれない。
7年前、私は新たに始まった脳外傷のグループプログラムに参加し始めた。メンバーの1人、ダニエルは、2週間の昏睡状態から「生還」した。ダニエルのカウンセラーは、「以前の」ダニエルはもういないと言った。ダニエルは新たな前頭葉と性格を持ち、以前の自分の妻と3人の子どもがいるが、彼らの名前を思い出すことはできない。
もう1人のメンバー、メルは、自分が何か悪いことをしたかのように「ごめん、ごめん」と言い続けている。ほとんどのメンバーは、誰かが飲酒運転をしたために、このプログラムに参加していると聞いた。
脳損傷とは、過去の成功についてでも、失ったものについてでもない。泥とわだちだらけで、手と膝をついてはしごの1段目まで這い上がり、その後も1段1段這い上がっていくものなのだ。治療法はない。私がこのストーリーを伝えているのは、これが特別なことだと思うからではない。同じようなストーリーを持つ他の多くの人たちは、私より障害が重い、あるいは命を失ったため書けないのだ。
飲酒運転の代償
アメリカ道路安全交通局(NHSTA)の2021年の統計によると、飲酒運転が原因で死傷したアメリカ人は40万1520人だった。また、アメリカ人の3人に2人が、飲酒運転により生涯のうちに何らかの影響を受けるという。毎日、大人も子どもも飲酒運転によって命を奪われている。統計の1つ1つは人の命であり、その死や負傷は防げるものだ。
New York Timesは「2020年から2021年にかけて、アメリカで事故件数が16%増加し、600万件以上、つまり1日約1万6500件の事故が発生したとNHSTAは推定している」と報じた。また、「公共メッセージ上の理由から、専門家は自動車事故を、誰にも過失がない場合のことを指す『事故』という言葉で呼ぶことはほぼない」と指摘した。
もし私が、以前の生活と心を完全に取り戻していたら、話は別だっただろう。でもそうではなかった。事故から18年経った今でも、言葉に詰まり、のろのろと話し、脳内の使用可能なスペースが少ないため、すぐに記憶がなくなってしまう。
今日、私の手には2枚のコインがあった。1枚は10セント、もう1枚は5セントコインだったが、どっちがどっちか分からなかった。どれだけ上から補修しても、下はまだ壊れている。
人生を築くには何十年もかかるが、壊すのは数秒だ。今度、誰かが夜遊びの帰りの運転を気をつけるよう助言してきたら、嫌な顔をせず、耳を傾けてほしい。
障害者は世界最大のマイノリティであるにも関わらず、最も意見を聞き入れてもらえていない可能性が高い。障害者はまた、誰もがいつでもなり得る唯一のマイノリティでもある。
信じてほしい。あなたは障害者になることも、飲酒運転で誰か命を奪うこともしたくないはずだ。
ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
飲酒運転の車に突っ込まれた。目覚めたとき、私は別人になっていた