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在日ミャンマー人グループが2月25日、能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市でボランティア活動をした。
東京から石川入りした44人は、避難生活を続ける高齢者らの被災家屋の片付けなどを手伝った。
ミャンマーから日本へ逃れてきた、難民の背景を持つ人々も参加した。
2011年に発生した東日本大震災の被災地でボランティアをした人たちも複数参加し、当時の経験を活かして活動した。
被災家屋の片付けを手伝い
今回、ボランティアの中心となったのは、日本で暮らすミャンマー人が抱える問題に取り組むNPO法人「PEACE」と、少数民族の団体「在日ビルマ連邦少数民族協議会(AUN)」。
能登半島地震発生直後から現地で活動する、被災地NGO協働センターと連携して企画した。
特に今、人手が足りておらず、高齢の被災者らからのニーズが高かった家屋の片付けを手伝った。
地震発生からまもなく2カ月が経とうとしているが、高齢者が多い地域では、物が散乱した自宅を片付けられずにいる人たちがたくさんいる。
ボランティアたちは、使えなくなった家具を運び出し、散乱した物の整理や片付けも行った。
44人は24日夜にマイクロバスなどに分乗して東京を出発。翌日25日の日中に七尾市でボランティアをし、東京に戻った。
「逃れてきた私たちを受け入れてくれた日本への恩返し」
ボランティア活動の中心となったPEACE理事長のマリップセンブさん(59)には、1988年のミャンマーでの民主化運動に参加した後、軍事政権の弾圧から逃れるために日本に亡命してきた過去がある。
今回のボランティアには、マリップさんのようにミャンマーから逃れてきたという背景を持つ人たちが他にもいる。
ミャンマーでは1988年に大規模な民主化デモが起き、軍など当局の弾圧により数千人が命を落とした。生き延びるため、多くの人が海外に亡命した。
マリップさんも、故郷を追われ、自分が生まれ育った家で暮らせないつらさを知っている。
能登半島で避難生活を余儀なくされている人たちに、共感の思いを寄せている。
ハフポストの電話取材に、こう語った。
「50代になった今でも、自分が生まれ育った家の夢ばかり見ます。家に住めない、故郷に帰れる状態にないという気持ちがどのようなものかと知っているので、能登の人々のつらさや大変さも分かります」
「日本へ逃れてきた私たちは、ミャンマー人の命を守ってくれた日本政府と日本人の人たちに感謝しています。恩返しをしたいという気持ちでボランティアを企画しました」
マリップさんたちは、継続的にボランティアを実施していく予定だ。
「ボランティア参加の募集をし始めると、すぐに多くの人が集まりました。一旦締め切ったのですが、本当はもっと多くのミャンマー人が能登に行って手伝いたいと思っています」
東日本大震災の際、ミャンマー人グループが東北で炊き出しをした。ミャンマーカレーを作って故郷の料理を味わってもらった。
「少しでも元気を出してほしい」と、ミャンマーの少数民族の伝統舞踊を披露したという。
「炊き出しや伝統舞踊を披露するなどの活動もしたい」と話し、今後も継続して能登に通うつもりだ。
地震直後の道路事情で足踏み。ボランティア受け入れ開始で決行
現地とのボランティアのコーディネートは、PEACEの事務局長を務める宗田勝也さんが担った。
PEACEはミャンマー人と日本人でつくる団体だ。
地震発生直後から、宗田さんの元にはミャンマー人から「ボランティアに行きたい」という声が届いていたが、発生直後は道路が寸断されるなどして現地入りが難しい状況が続いていた。
宗田さんが被災地NGO協働センターと連絡をとり、一般のボランティアの受け入れなども開始したタイミングで、参加者を募った。
今回は宗田さんなど、普段から在日ミャンマー人とボランティア活動などを行う日本人計4人も参加した。
ミャンマー支援の募金活動などを日頃から共に行う保芦宏亮さんも同行。
保芦さんはレトルトのミャンマーカレーの販売を生業にしており、今回もレトルトミャンマーカレー100食を持参し、現地で寄付した。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「恩返しの気持ち」ミャンマー人グループが能登でボランティア。難民として日本に逃れてきた人たちも