俺「なんで?」
彼女「鉛筆屋って…あなたと一緒じゃ将来が不安だわ」
俺「そっか、お互い幸せになろうね」
ーー1年後--
元彼女「久しぶりー元気してるー?」
俺「元気だよ。仕事は大変だけどね」
元彼女「鉛筆作りって大変そー」
俺「?? そういえば彼氏できたみたいだね」
元彼女「そうなの!あのトヨタのディーラーやってるのよ!」
俺「ふーん、あんまり収入良くないんじゃない」
元彼女「なによ!鉛筆職人が偉そうに!」
俺「鉛筆職人じゃないよ」
元彼女「は?」
俺「総合職だよ。主にコンサル、年収2000万円だしね」
元彼女「え、ちょっと待って」
俺「どうしたの?」
元彼女「あなたのこと本当はまだ好きなんだけど」
俺「そんなこと突然言われても俺、結婚しちゃってるし」
元彼女「いやあああああああ!!!お前の子供だって身籠ってるのよおおおおおおお!!!ふざけたこと言ってんじゃないわよ!!!」
俺「ごめん」
元彼女「訴えてやるからなああああああ!いやあああああああああああああああああああ」
これコピペの糞定期だよね?
鉛筆のような細い胴体と、当時本機のライセンス生産を請け負っていた三菱重工を掛けたもので、航空自衛隊関係者や航空機ファンの間で広く用いられた
なお、三菱重工を含めた三菱グループに関して、広く事業を手がけている事の喩えに「鉛筆から戦闘機まで」という文句が使用される事が多々ある
しかし、三菱鉛筆株式会社は三菱グループの一員ではなく、もちろん三菱重工との資本的な関係は全く無い
今の東京三菱銀行の前身である三菱銀行も、元を辿れば
三菱鉛筆資金部が独立・分社してできたもの。
現在の三菱商事も、そもそもの淵源は三菱鉛筆販売部が
販路を世界に拡大するために分社化して設立された。
三菱倉庫は、三菱鉛筆が製品の鉛筆を保管しておくために
建てた一棟の倉庫がルーツとなっている。
三菱重工業も、三菱鉛筆が鉛筆製造の機械をドイツからの
輸入に頼っていたのを自社生産すべきだとなって社内に
設立した三菱鉛筆機械製作所が、他の機械の生産も手がける
ようになり、その後拡大に拡大を重ねて現在のような大企業にまで成長した。
また、日本光学(現ニコン)は三菱鉛筆が鉛筆を切断する際、より高速に
切断できるように非接触で長さを測れる測距儀を製作したのが始まりである。
三菱地所は、三菱鉛筆が将来の事業拡張に備えて確保して
おいた用地を自社で使う予定が変更になったため、ビルを
建設して賃貸に出し利益を上げようと設立した三菱鉛筆不動産部が発展したものだ。
また,三菱鉛筆は、早い段階から社員の福利厚生にも注力
していたが、特に力を入れていたのが社員の家庭を守る
ための生命保険制度で、この三菱鉛筆独特の生命保険制度が
今日の明治生命保険の母体となっていることは周知の事実であろう。
ある年の冬に倉庫が全焼して鉛筆10万本も焼失した。これを契機に損害保険業務子会社をつくり後に東京海上となった
三菱製紙は鉛筆製造時に発生する木屑を有効利用する事業として始まった。
三菱樹脂はシャープペンの芯に混ぜ込む樹脂の研究チームが独立した。
三菱マテリアル(旧三菱金属)はボールペンや消しゴム付き鉛筆に使う金属素材の調達部署であった。
三菱化学は鉛筆装着用消しをゴム開発することからスタートした。
麒麟ビールは鉛筆の芯に使用する黒鉛を製造する際の熱源として
当時使われていた麦わらの麦の有効利用のため創業された。
おまたせ
YAMAHAといい大きい会社ってのは何でも自分でやってみようのスタンスで成長するんだな
営業でも整備士でも普通に30歳1000万くらい余裕だからな
研修すげー多いけど
Source: みじかめっ!なんJ
俺「三菱から内定貰ったよ」 彼女「え、ちょっと待って」