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車椅子やベビーカーを助けるのは誰の役割? 福祉の国・スウェーデン育ちのLiLiCoが思うバリアフリー

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タレントのLiLiCoさん

昨夏、大雨の中で転倒し、膝の大けがを負ったLiLiCoさん。松葉杖生活を送りながら、改めて考えたのが、日本におけるバリアフリーでした。 

タレントのLiLiCoさんが、世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、ホンネで語り尽くす本連載。福祉の国として知られるスウェーデンで育ったLiLiCoさんが、「バリアフリー」について語ります。

4月に改正バリアフリー法が施行されるなかで、LiLiCoさんが感じた日本におけるバリアフリーの難しさと問題点とは?東京パラリンピックの開催を前に考えます。

 

松葉杖生活で気づいたバリアフリーの現実

2020年の夏、生まれて初めて骨折をして、しばらく松葉杖生活を送ることになりました。

そのとき、東京ではあまり松葉杖や車椅子の方を見かけないと気づきました。 

それもそのはず、東京の道路は松葉杖や車椅子の方にとっては優しくないのです。ほとんどの道が傾いていて、舗装でデコボコしているし、段差も多い。エレベーターのない駅も少なくありません。階段の横にスロープがあっても、松葉杖や杖で歩く人には使いにくいのです。

つまずいたり、滑ったりは日常茶飯事。毎日、目の不自由な方用の誘導用ブロックに引っかかり、あらためてバリアフリーの難しさを痛感しました。

困ったのはスーパーでの買い物です。エレベーターはもちろん、カートのない店もある。買い物中に「手伝いましょうか」と声をかけてくれたのは、あるスーパーの化粧品売り場で販売員をしている女性だけでした。

今から東京の道がすべて真っ平らになると思えないし、誰かが松葉杖や車椅子で困っていたら、手伝ってあげてほしいですね。

 

車椅子やベビーカーを助けるのは誰?

 

スウェーデンでは、すべての駅に階段に車椅子やベビーカーを上下させるための昇降エレベーターとレールがついています。もしそれが壊れていたら、何も言わなくても駅員や周囲の人たちが助けにくるでしょう。

ベビーカーを持った人がバスから降りようとしたら、通りがかった2、3人が駆け寄ってきて、手伝おうとします。

日本との大きな違いは、そうしたサポートを公共交通機関の職員が全部やるべきだと考える人はいないということ。

誰かが困っているのを見かけたときに、普通に声をかける思いやりがあれば、ほとんどのトラブルは解決すると思うんです。

日本人は、「おもてなし」は完璧だけど「思いやり」はまだまだだなと感じます。

 

道端で困っている人がいたら…… 

あるときは、横断歩道の真ん中で転んで膝を打ち、立ち上がれずにいるのに、周りの人みんなにスルーされました。仕方ないから、ほふく前進で渡ったんです。

あるときは、道路の真ん中で男性が倒れていて、その彼女が一生懸命起こそうとしているのに、誰も助けないし、車も止まらなかった。タクシーで通りがかった私は、降りて彼女を手伝い、救急車を呼びました。

そのときに声をかけてくれたのは、「水、飲みますか? 何かあったら言ってくださいね」と言ってくれた近所のお店の女性1人だけ。

「急いでいたらできない」と言う人がいるかもしれないけれど、人を助けることより大事なことがあるのでしょうか? 私なら「人を助けていて遅刻しました」と話します。

 

個々の能力を伸ばす、スウェーデンの学校教育

福祉の国と呼ばれるスウェーデンは、一人ひとりに優劣をつけるのではなく、個々の能力を伸ばすという理念をもっています。

学校教育は、学習カリキュラムはありますが、一人ひとりのペースや習熟度は異なりますし、学ぶのが苦手な子もいるので、先生が急かしたりすることはありません。それぞれに合ったペースで学んでいきます。 

だから、例えば学校でも、知的障害、あるいは身体障害がある子どもが、すぐに支援級や特別支援学校に入るということはありません。障害のある子どもの教育環境は、自治体が介入して、その子がどうすれば快適な生活を送れるのか、保護者や教師と考えていくのです。

幼いころの私にとっても、障害のある友だちが身近にいるのは当たり前のことでした。学習のスピードが違う子たちは別のクラスだったけど、休み時間は一緒に過ごしました。私の弟の幼なじみグループにも知的障害のある子がいて、日本に来るまでは交流がありました。

エンタメ業界でも、1980年代には 障害をテーマにシリアスなものからコメディまで幅広い作品が作られてもいました。

もちろん、そんなスウェーデンであってもきっと不便なことはあるでしょう。とはいえ、彼らの存在を区別するようなムードはありません。

 

32年前に母から聞いた言葉

「東京の街で障害のある人を見かけないと思うけど、不思議に思わないで」。今から32年前、私が18歳のときに母に言われた言葉を思い出します。

人はみんな完璧ではありません。“健常者”と呼ばれる私だって苦手なことはたくさんありますし、“障害者”とされる人が人並み外れた集中力や能力を持っていたりもする。障害がありながら、スポーツやモデル、役者として活躍している人たちもいます。

自分を受け入れ、偏見を跳ね返し、強みを生かして活躍している人は、すごく生きるパワーがありますよね。

大切なのは、障害のあるなしにかかわらず、すべての人ができることを伸ばす環境作りではないでしょうか。

 

日本社会の一番の問題は“マニュアル”にこだわること

コロナ禍以前、車椅子の人を含む外国人観光客の姿をよく見かけて、感動していたんです。その人を特別扱いするわけでもなく、車椅子を代わりばんこに押したり、同じようにお酒を飲んで盛り上がっていたりするのを見て、すごくハッピーな気持ちになっていました。

日本人はまだバリアフリーの考え方に慣れていないだけだと思います。時間はかかるかもしれないけれど、バリアフリーは進めていくことでしょう。

あとは、意識を変えるだけ。合わないルールは、変えていいんです。

日本人を見ていると、変わろうとしない人が多いように感じます。資質なのかな?

夫もよく言うんですよ。「トリュフ塩とかキャビアとか、子どものとき食べなかったから食べられない」って。でも、大人になって初めて食べたのは私も同じ。それでおいしいと思ったから、たまに買うんです。

日本で本当の意味で障害になっていると思うのは、マニュアルやルールにこだわることです。目の前の人が困っていたら、あなたが声をかけたり手を差し出したりすればいいんです。一人ひとりの力で、社会をバリアフリーにしていきませんか?

 

(取材・文:有馬ゆえ 写真:川しまゆうこ 編集:笹川かおり

 

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Source: ハフィントンポスト
車椅子やベビーカーを助けるのは誰の役割? 福祉の国・スウェーデン育ちのLiLiCoが思うバリアフリー

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