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「奇跡の生存者」と呼ばれた2人が語る葛藤と命。JR福知山線脱線事故と東日本大震災、それぞれの経験者が何を思うのか。

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運転士1人と乗客106人が死亡し、562人が負傷した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故から2025年4月25日で20年を迎える。

事故車両の2両目に乗り合わせ、右足骨折や全身打撲などの重傷を負ったデザイナーの小椋聡さん(55)=兵庫県多可町=らは、11月3日、東京都内で「わたしたちはどう生きるのか」と題した講演会を開く。

講演には、東日本大震災の津波で家族3人を亡くし、自身も宮城県石巻市の大川小学校で津波にのまれた只野哲也さん(当時小学5年生)も参加。小椋さんは「それぞれが得た学びなどを共有する場に」と話している。

救出作業が続けられたJR福知山線の快速電車脱線事故現場(2005年4月25日午前11時20分、兵庫・尼崎市)(時事通信社ヘリコプターから)救出作業が続けられたJR福知山線の快速電車脱線事故現場(2005年4月25日午前11時20分、兵庫・尼崎市)(時事通信社ヘリコプターから)

 脱線事故の教訓伝える、しかし…

これまで小椋さんは、負傷者と家族の体験手記をまとめて出版したり、遺族と協力しながら、犠牲となった乗客が最期に乗っていた場所を探す活動にも携わってきた。

事故から10年となる2015年には、フリーライター、木村奈緒さん(36)=東京都=の呼びかけで、東京都内で展覧会『わたしたちのJR福知山線脱線事故—事故から10 年(通称:10年展)』を開催。

2005年の事故で脱線した車両の2両目に乗っていた小椋聡さん=兵庫県多可町で、2024年9月26日撮影2005年の事故で脱線した車両の2両目に乗っていた小椋聡さん=兵庫県多可町で、2024年9月26日撮影

10年展では、小椋さんが事故後に書き上げたアクリル画『眼窩之記憶(がんかのきおく)』(サイズ:縦約180センチ、横約95センチ)と、空き缶を使って作った事故車両の模型を公開した。

事故車両の1両目で負傷した福田裕子さん=兵庫県=も協力してくれた。福田さんは当時美術大の大学生だった。福田さんの絵画『此の岸より』では、仏教の言葉で、亡くなった人たちの世界を意味する「彼岸(ひがん)」と、生きている人たちの悩みの多い現実世界「此岸(しがん)」が表現された。

2015年に東京で開催された10年展。小椋さんの絵画『眼窩之記憶』(写真中央) と、福田裕子さんの絵画『此の岸より』(右)が展示された。2015年に東京で開催された10年展。小椋さんの絵画『眼窩之記憶』(写真中央) と、福田裕子さんの絵画『此の岸より』(右)が展示された。

小椋さんは、現在は仕事の傍ら、公共交通機関の勉強会や講演会などで、事故の経験と「いのち」の大切さなどを伝える活動を続けている。

一方で、「事故を知らない世代も増えてきた」と感じるようになった。

事故から20年になるのを前に、脱線事故の教訓や学んだ大切なことを振り返る機会を作りたいと、実行委員会を立ち上げた。10年展に関わった木村さん、福田さんとともに、都内で講演会を企画することにした。

加えて、東日本大震災で被災した宮城県石巻市立大川小学校で同級生らを亡くした只野哲也さん(25)=宮城県石巻市=にも声をかけた。

大津波で多くの児童が亡くなった石巻市立大川小学校(宮城県石巻市釜谷)=2011年3月28日撮影大津波で多くの児童が亡くなった石巻市立大川小学校(宮城県石巻市釜谷)=2011年3月28日撮影

震災の「奇跡の少年」にシンパシー

震災当時、石巻市立大川小学校の5年生だった只野さん。学校は、高さ約8.6メートルの津波に襲われ、児童108人中70人・教員10人が死亡し、4人の児童が今も行方不明だ。

只野さんは、津波にのまれながらも、助かった児童4人のうちの一人。だが、祖父、母、同じ大川小に通っていた当時3年生の妹を失った。

その後、只野さんは他の卒業生らと共に、解体が検討されていた大川小校舎の保存活動などにも取り組んだ。活動は実り、校舎は石巻市によって震災遺構として整備され、2021年から一般公開されている。

只野さんは現在、任意団体「Team大川 未来を拓くネットワーク」の代表として活動する。県内外での伝承活動のほか、石巻市の災害危険区域に指定されている大川小学校周辺地区に、誰もが安心して帰ってくることができるような「新しいコミュニティづくり」を目指している。

津波にのまれながらも助かった只野さん。しかし「奇跡の少年」と呼ばれることに葛藤を抱えたことなどが報道で伝えられていた。

小椋さんが只野さんに声をかけたのは、その葛藤が自分と重なって見えたからだという。

この日は、実行委員会のメンバーが小椋さんの自宅に集まり、講演会の打ち合わせをした。=兵庫県多可町で、2024年9月26日撮影この日は、実行委員会のメンバーが小椋さんの自宅に集まり、講演会の打ち合わせをした。=兵庫県多可町で、2024年9月26日撮影

脱線事故で助かった小椋さんが乗車していたのは、犠牲者が多かった2両目。そのことから、「奇跡だ」と称えられてきたが、その言葉には複雑な思いを抱き続けてきたのだという。

「今でも、誰かが、自分の身代わりになってくれたとの思いがあります。だから、彼の気持ちが理解できた。ぜひ話しをしてみたいと思った」

そして、2024年6月頃から、小椋さんと只野さんの交流が始まった。7月には、小椋さんが大川小学校を訪問。9月には只野さんが、JR西日本が事故現場周辺に整備した慰霊施設「祈りの杜」を訪れた。

小椋さんは、「脱線事故を経験していない人も含めて、さまざまな立場の人と一緒に、僕や福田さん、只野さんそれぞれが経験したことを振り返りながら、『生きること』や『いのち』について、考える場にしたい」と話している。

講演会「わたしたちはどう生きるのか」

講演会「わたしたちはどう生きるのかは、11月3日午後1時(開場午後0時15分)から、東京都千代田区の日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール(大ホール)で開かれる。参加無料。定員200人。

第一部では、小椋さん、只野さんの他、10年展に絵画を展示した福田裕子さんも登壇し、それぞれが体験を語る。第二部では、3人で公開対談を行う予定。対談での聞き手は、10年展を企画した木村奈緒さんが務める。

来年4月には、講演会や10年展での対談などを収録した書籍も発刊する予定。問い合わせは、実行委員会の小椋さんまで。メールはinfo@kotono-design.com

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「奇跡の生存者」と呼ばれた2人が語る葛藤と命。JR福知山線脱線事故と東日本大震災、それぞれの経験者が何を思うのか。

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