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『ぐりとぐら』中川李枝子さんの戦後70年「終戦で、生まれ変わったの」

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10月14日に亡くなった中川李枝子さんへの過去のインタビュー記事を紹介します。この記事は、2015年に公開した記事を編集して再掲載しています。

◇ ◇ ◇

1963年の刊行以来、現在まで10カ国語に翻訳され、世界中の子どもたちの心を掴み続けているロングセラー絵本「ぐりとぐら」シリーズ。作者の中川李枝子(なかがわ・りえこ)さんは1935年生まれ。読書を心の糧として成長した少女は、保育者として働きながら育児にも奮闘し、さらには次の世代の子どもらの“心の滋養”となる物語を次々生み出す人気童話作家となった。

仕事・育児・創作に常に全力で向き合ってきたその姿は、今の時代のワーキングマザーから見ても憧れの存在だ。だが、戦争が中川さんの人生に与えた影響は決して少なくなかった。

戦後70年を迎える節目の夏、中川さんのライフストーリーをひもといていく。中川さんは、戦争中は「世界のことなんて何も教わってない」と振り返る。戦後、中川さんの人生を変えたのは何か。自立心旺盛だった少女時代について語ってもらった。

■1940年代、母の顔が日に日に厳しくなっていった

――中川さんが生まれたのは1935年(昭和10年)。幼少期を第二次世界大戦中に過ごした世代ですね。

そうねえ、今のように恵まれた時代じゃなかったわね。7月に岩波書店から出た『私の「戦後70年談話」』に寄稿を依頼されたときは「やだな」って思ったの。私、だいたい昔のことを思い出すのは嫌なのよ。いつも子どもと一緒だから、前を向いてるの。「明日はどんないいことあるかな?」って。でもまあ私も歳だしね。そろそろそういうこともちゃんと書いておかなきゃ、って。

――戦中に過ごした幼少期を振り返ると、どんな思いが浮かびますか。

70年が過ぎて思い至るのは、「ああ、母は大変だったんだなあ」ってことね。母の顔が日に日に厳しくなっていくの。それが子ども心にもわかりました。だから「優しいお母さん」だなんて思ったことは一度もないわよ。

でも当時まだ30代だった両親にしてみれば当然ですよね。いつ赤紙が来るかしれない、戦局がどうなるかわからない。4人の子を育てながら、そんな日々をどんな思いで暮らしていたのかと、今にして思うのよね。

――ご両親は子どもたちの前でも戦争について話すことはありましたか?

いいえ、子どもは戦争がどうだとか何も知らされなかった。でも子どもって不安な空気に敏感でしょう? 夜になると茶の間で両親のひそひそ話が始まるの。こっそり聞き耳を立てると、「赤紙が」「戦争が」って言葉が耳に入ってくる。それが不安で不安で。

それで学校に行けば校長先生が「日本の少国民は世界で一番優秀な神の子だ!」「兵隊さんのおかげでみんな勉強できるんだ」ってそんなことばかり言っていて。小学2年生になった頃から、グッと軍国主義に傾いていったわね。

上野動物園の動物が殺処分されて、空襲も始まった頃。遠足のようなお楽しみも一切ないし、学校と家の往復以外は絶対寄り道しちゃいけない、なぜならいつ爆弾が落ちてくるかわからないから。

でもそういう時代だからこそ、学校に行くことしか楽しみがないわけよ。教室に入るとね、女の子たちは集まってお喋りを始めるの。「戦争になる前はね、」って誰かが言い出すと、みんなわぁ!って盛り上がる。その内容は「お母さんがどんなにお洒落をしていたか」ということについて。

「お母さんはハンドバッグを持ってお出かけしていたの」「首飾りをしていた」「スカートを履いてたんですって」ってみんなが口々に言い合って。どこまで本当か知らないわよ? きっとみんなどこかで聞きかじってきたことをお友達に報告して、それを我が事のように受け止めていたんでしょうね。

――1940年代前半は、街に「お洒落なお母さん」がいなかった時代だった。

今思うと、きっと私の母だけじゃなくて、どこのおうちのお母さんもみんな怖い顔してたんじゃないかしら。どんなに表向きは優しくしていても、子どもって感じるから。本当に、あの時代のお母さんたちはどんなに大変だったのでしょう。そう思うと私ももっと母に優しくしておけばよかった、って思うの。

■8歳、『寡婦マルタ』に女の自立を教わった

学校は楽しかったけど、じゃあ帰宅して何をするかっていったら家の本箱をいじるしかなかったの。それでまたうちの父の本の並べ方がめちゃくちゃだったから、それを綺麗に並べるところから私の遊びは始まったの。

父も母も本好きでしたね。父は学者でしたから、とにかく本をたくさん買う人で。「家にある本はどれを読んでもいい。俺が買った本に悪い本はない」って日頃から言っていて、子どもたちも何を読んでもよかったのよ。イタリアの艶笑小説なんてのもあったわよ。

母は『銀の匙』の中勘助さんが大好きで、少女雑誌や婦人雑誌とかは大嫌い。「くだらないものを読む暇があったら草取りをしたほうがよろしい」ってよく言っていました。

それで家にある本を並べていくうちに『春は馬車に乗って』なんて題があったら、ちょっと読んでみたくなるでしょう? 『金色夜叉』も、わかろうとわかるまいと片っ端から読んでいったの。初めて辞書で引いた言葉は「妾」。「妻に非ざる女」って書いてあった。あれはよく覚えてるわ(笑)。

そんな風に改造文庫の『寡婦マルタ』を読み通したのも小学2年生のとき。

――8歳の少女がなぜまた寡婦の小説に興味を?

グリム童話集が面白かったのよ。マルタもグリムと同じでカタカナでしょう? だから読んでみたってだけ(笑)。

主人公のマルタはいい家のお嬢さんで幸せな結婚をしたんだけど、夫に死なれちゃって、自活する術がないものだから堕ちゆくところまで堕ちてゆく、って話なのよ。読めないところはすっ飛ばしながらだけど、それくらいは小学2年生でもわかったの。それで私、この本を読んで「あたしはマルタになりたくない!」「女は自立しなきゃ」って強く思ったのよ。

――ご両親から「女も自立して生きるべし」という教育を受けたわけではないんですね。

いいえ、全然。この本がきっかけよ。でもそれからゾラやエミリー・ブロンテ、ロマン・ロランを読むようになって、男になんか頼らないで自活できる女になろう、って思いはますます強くなっていって。自分は花嫁修業なんか一切やらないで、ちゃんと仕事を持って生きていこう、って“女の一生”について自分なりに色々考えていたのよね。

中川さんが小学2年生のときに読んだ『寡婦マルタ』中川さんが小学2年生のときに読んだ『寡婦マルタ』

■戦後、児童文学との出会いで人生を軌道修正

――北海道で生まれ、4歳で東京に移り、小学3年生のときに学童疎開令で再び北海道へ。戦後は福島から再び東京へ。少女期の環境の変化のめまぐるしさがご自身の性格に影響を与えたところはありますか?

根無し草みたいなところかしらね(笑)。転校は割合好きだったのよ。私はちゃっかりしているのか図々しいのか、人が何を言おうと全然気にしなかったし、どこへ行くときも「今度どんな子がいるかな?」って楽しみだった。すれっからしっていうか、たくましくなったんですよね。

終戦後、ようやく生活が安定してきて、父の仕事の関係で福島に移り住んだのが5年生のとき。そして新制中学の図書室で岩波少年文庫に出会ったんです。ある日、ケストナーの『ふたりのロッテ』が入ってきて、それがまあ面白くてね。「こんな面白い本を読んだ!」って帰って弟や妹に話したら、母が福島の本屋さんに連れて行ってくれて、ちょうど5冊あったからきょうだいの人数分を買ってくれたの。

それが「はじまり」なのよ。そこで生まれ変わったの。

それまで菊池寛とか久米正雄とか『寡婦マルタ』とか、そういう本ばっかり読んでいたけど(笑)、子どものために書かれた良い本に出会えたことで人生を軌道修正できたのね。ケストナーという人が、私の人格を認めてくれた気がしたの。作家が「君」「僕」のような関係で語りかけてくる、そのことにもう感激しちゃって。

戦争中はね、世界のことなんて何も教わってないでしょう。校長先生が「日本は勝っている」ってそればかり。だから世界がどういうものか、私と同じ年頃の子どもたちがどういう風に暮らしているのか、とっても知りたかったの。

中川さんの仕事部屋にある児童書の本棚中川さんの仕事部屋にある児童書の本棚

結局、読みに読んで行き着いたのは「子ども」の本なの。自分の子ども時代が惨めだったから、いろんな国の子どもたちの、いろんな子ども時代のお話を読むことで、もう一度自分自身が生き直したような、そういう満足感を得ることができた。なぜ戦争はいけないのか? 家庭が大事なのか? そういう今までわからなかったことが段々とわかるようになってきたんです。

そんな風にいい本をたくさん読んだおかげで、人間にとって大事なことを自分なりに掴んだんじゃないかしらね。

中川李枝子(なかがわ・りえこ)

1935年、北海道生まれ。都立高等保母学院を卒業後、みどり保育園に17年間勤務。主任の保育者として働くかたわら絵本の創作を続け、1962年に出版した『いやいやえん』で厚生大臣賞、NHK児童文学奨励賞などを受賞。「ぐりとぐら」シリーズ、『ももいろのきりん』など著書多数。

中川さんの最新刊、毎日がんばるお母さんへ向けて語り下ろした『子どもはみんな問題児。』(新潮社刊)が発売中。

阿部花恵

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『ぐりとぐら』中川李枝子さんの戦後70年「終戦で、生まれ変わったの」

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