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一晩で10万人の命が奪われた、東京大空襲。
令和を生きる私たちのどれくらいが、この惨事を「知っている」と自信を持って言えるだろう。
オーストラリア出身のエイドリアン・フランシスさん6年間かけて撮影したドキュメンタリー映画『ペーパーシティ 東京大空襲の記憶』では、東京大空襲の被害者の証言を追っている。
東京大空襲から79年となる3月10日を控え、東京都墨田区菊川の映画館「Stranger」で3月1〜7日、『ペーパーシティ』が上映される。
同映画館の周辺は、東京大空襲で甚大な被害を受けた地域だ。
(初出:BuzzFeed Japan News 2023年2月24日)
『ペーパーシティ』では、語り部として活動していた清岡美知子さんを始めとする、東京大空襲を生き延びた3人の証言を記録した。
当時、3人は10代や20代。戦争さえなければ、青春を謳歌し、夢を追いかけている年齢だ。
しかし米軍の空襲により、生まれ育った東京の町は焦土となり、家族を失った。
炎の中を走って隅田川に逃れ、焼け野原になった街で遺体を運んだ。
映画にナレーションはない。3月10日を空襲を経験した人たちが、当時の記憶や、今も実現しない補償や調査に対する思いを淡々と語る。
フランシスさんは「言葉と言葉の間の沈黙は興味深く、静寂の中では彼らの顔の皺や感情が見えてくる」と話す。
映画では、被害者や遺族らが求め続ける補償や犠牲者氏名の記録と公開、碑や資料館の設置などの課題にも焦点を当てている。
フランシスさんが空襲経験者たちへの取材や撮影を始めたのは2015年。
6年間かけて製作し、2021年に完成。2023年2月に東京、3月に大阪などで上映された。
太平洋戦争の空襲被害について詳しく知ったのは、アメリカのドキュメンタリー映画『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』がきっかけだった。
英語教師として日本に住み始めて数年経っていた。それまで知らなかった史実に衝撃を受けた。
「ドキュメンタリーを見て初めて、全国各地の町で、一般市民が標的になった空襲があったということを知りました」
「じゅうたん爆撃で、そこに住んでいる市民を含む、その地域の全て焼き尽くすような攻撃が行われたということに、大きなショックを受けました」
しかし、空襲について日本人の友人たちに聞くと「学校で少しは習ったけど…」と詳細を知らないことにも驚いた。
広島や長崎には原爆の犠牲者を慰霊する碑や資料館があり、米国・ニューヨークには同時多発テロ犠牲者の慰霊碑がある。
しかし、自分が住んでいる東京の街には、国営や都営の犠牲者氏名を刻んだ慰霊碑や資料館がないことを「奇妙に感じた」という。
東京大空襲をめぐっては、犠牲者の氏名も公開されていない。
遺族らは、犠牲者の名前の記録と公開、公営の慰霊碑や資料館の設立を求め続けている。
撮影では、町会が中心となって、犠牲者名の記録や碑の設置、追悼を行う東京都江東区森下5丁目の「八百霊(やおたま)地蔵尊」も取材した。
映画では、日本政府や都が、補償や記憶の継承に後ろ向きな姿勢も静かに指摘している。
「もし空襲経験者が当時の記憶を語らずに黙ったままだったら、今の人たちは空襲で何が起こったか知らず、私もドキュメンタリーを作ることはありませんでした」
「記憶の継承も、補償の問題に関しても、全ての働きかけは市民側からです。考えてみると、それは非常に怖いことだと感じます」
空襲を生き延びた人たちへの取材を行っていたのは、ちょうど戦後70年の節目の頃だった。
しかしその時でも、空襲を10代、20代で経験し記憶を語れる人たちは80代、90代になっていた。
「製作資金が集まってない時点でも、彼らの年齢を考えてすぐに撮影を開始しようということになりました」
「外国人の私を受け入れてくれるのか、つらい記憶を話してくれるのかと撮影開始前は心配していました。しかし取材を始めてみると、彼らが当時の記憶をいかに話したがっているかということに驚きました」
フランシスさんは、空襲経験者のもとに何度も通い、撮影を進めた。
映画で空襲被害について語っている星野弘さんと清岡美知子さん、築山実さんは、映画の完成を待たずに他界した。
「私たちは今、空襲の記憶が語り継がれるか、忘れ去られるかの狭間にいると思います」
「なぜ私たちは空襲の出来事について詳しく知らないのか。なぜきちんと学んでいないのかということを考えてほしい」
映画が完成して、製作に協力した関係者への上映会を開いた。
フランシスさんの友人である20、30代の日本人も参加した。「生まれてずっと東京に住んできたのに、空襲被害の詳細については全然知らなかった」と語ったという。
「彼らはショックを受け、知らなかったことに恥ずかしさも覚えていた様子でした。驚くほどに多くの日本人が、空襲の被害や、被害者に補償がされていないことについて知りません」
フランシスさんは、「若い人たちにもぜひ映画を見てほしい」と話す。
「多くの若い世代にとって太平洋戦争について話すことは、とても『昔の歴史』のことのように感じるのかもしれません。でも、戦中に起きた空襲が、現在起きている問題とつながっていることも知ってほしい」
「これは、過去についての話である一方で、現在も続く問題、そして将来についての問題でもあるのです。このドキュメンタリーが、点と点をつなぐことを望んでいます」
「日本には78年の平和があったことは素晴らしいです。でも、平和は永遠には続かないかもしれません。だからこそ、戦中に何が起きたのか、そして戦後に政府がどのような対応を取ったのかということを知ることが大切です」
また、日本人の若い世代だけでなく、空襲での加害側であるアメリカの人々にも映画を見てほしいという思いがある。
「勝利した連合軍側にとっては、『正しい戦争だった』という意識があり、勝利した側は戦中の加害について振り返ることは少ないです」
「しかし、映画を通して10万人の無実の市民が殺されたのだという事実を見つめて、その犠牲の大きさについて考えてほしいと思います」
映画は、オーストラリアをはじめ、アメリカ、ドイツ、ルーマニア、ナイジェリアなどの映画祭で上映し、国内外で最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞した。
ドイツでの上映後の観客からの質問で、印象に残っているものがあるという。
「観客から『日本の政府は自国の被害者を助けるためになぜ何もしていないのか』という疑問があがりました。多くの海外の観客にとって理解できない点であったようです」
「ドイツの若者と話すと、第二次世界大戦について加害の歴史を含め、何が起こったかということを本当によく学んでいることに驚かされます」
「戦後の政府の対応について考えてみると、ドイツは過去の戦争について真っ直ぐ向き合い、今も向き合い続けています。しかし日本政府の対応はそれとは違ったものだったかもしれません」
ドキュメンタリーを『ペーパーシティ』と題した理由は、当時の家屋が家と木でできていたからだ。
米軍は入念な実験を行い、紙と木でできた家屋を焼き払うのに効果的な焼夷弾を使った。
また、被害者たちが空襲を記録するために使っていたのも、地図や犠牲者の名簿などの「紙」であったからだ。
「しかし、紙は記憶するためにもろいものでもあります。だからこそ、記憶をつなぐために、空襲の被害者や遺族は、碑や博物館を立ててほしいと願っています」
フランシスさんは撮影中、複数の空襲経験者から、「政府は私たちが死ぬのを待っているよう」と言われた。
補償や調査、碑や資料館の設置に関する活動も取材したが、何十年経っても一向に動こうとしない日本政府や都を見ていると、「驚かなかったし、本当にそうであるようにも感じた」という。
戦後78年。空襲の経験を語ることができる人たちは、少なくなってきている。
フランシスさんは、ドキュメンタリーを通して人々に問う。
「私たちは過去に耳を傾け、学びますか?それとも忘れますか?」
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
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