あわせて読みたい>>【箱根駅伝】なぜ「箱根」が舞台?「幻の候補地」が不採用となった理由
第100回目を迎える箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)に、東京農業大が10年ぶりに出場を果たす。東農大と言えば名物応援「大根踊り」がトレードマーク。その正式名称は「青山ほとり」といい、戦後から大根を持った応援が始まり、次第に「大根踊り」と呼ばれるようになった。そもそも、なぜ他の野菜ではなく「大根」を持つようになったのだろう。
♪お米の実る木は知りゃすまい 知らなきゃ教えてあげようか おいらが農場へついてこい(青山ほとりより抜粋)
東農大の公式ホームページによると、青山ほとりは今から約100年前の大正12年(1923年)、当時在学中だった男子学生が作詞したもの。この学生の出身地である北海道函館市・湯の川温泉付近で歌われていた曲調が取り入れられたという。
青山ほとりは、農大健児の意気を歌ってエールを送る1番、農業や米の大切さを歌った2・3番、農業従事者との結婚を勧める4番で構成される。東京府民に農業の尊さを伝えるユーモアたっぷりの歌詞が、当時の学生の気質に合い、親しまれるようになった。青山ほとりの「青山」は当時、現在の青山学院大の敷地にキャンパスがあったことに由来するという。
その青山ほとりが、大根を持って踊られるようになったのはいつ頃からだったのだろうか。
東農大の公式ウェブサイトでは、初演の様子について以下のように紹介されている。
“初演は昭和26年(1951年)10月、渋谷のハチ公前でした。トラックに乗って現れたのは、東京農大の「収穫祭宣伝隊」の学生たち。法被姿で、両手に大根を持ち、歌と太鼓に合わせて踊り出しました。
突然の光景に、道行く人はあっけに取られて足を止め、ユーモラスな踊りを眺めるうちに、みるみる笑い顔が広がりました。踊り終えた宣伝隊は、用意した大根1,000本をただで配りました。騒ぎを聞きつけて集まってきた人たちは、われ先にと大根を奪うように取っていったが、誰もが笑顔で「学生さん、ありがとう!」と声をかけたそうです。”
大根を持って歌い踊るというスタイルを生み出したのは、この収穫祭の実行委員長だった加藤日出男さん。加藤さんは、地方から大都市圏に集団就職した若者らの交流の場で知られる「若い根っこの会」の創設者でもある。
大根を選んだ理由について、加藤さんは自身の著書『大根踊り人生論』(東京農業大学出版会、2003年)や生前のインタビューで「当時のモノクロ新聞でも、白くて大きくて太い大根は目立つから」と語っている。
この初演の様子は全国紙でも取り上げられ、次第に「大根踊り」の愛称で全国の人々に親しまれるようになった。
箱根駅伝の応援で使う葉付き大根は、以前より農大OBの農家から購入したものを使ってきた。第100回記念である今回は特別に、農学部農学科・高畑健教授の協力のもと、厚木キャンパスで応援団員たちが自ら育てた大根も持ち込むという。
葉付き大根は元日に収穫し、往路・復路の各発着地点での応援で各20本ずつ、計80本を持ち込む予定。応援で使用した大根は団員や関係者で持ち帰り、消費するという。過去には、応援終了後に無料配布していたが、予想以上に観衆が集まり混乱が生じたことから、持ち帰りを決めたそうだ。
10月の箱根駅伝予選会では、大物ルーキーの前田和摩(報徳学園高・兵庫)が、U20歴代2位となる1時間01分42秒をマークし、日本人トップでゴールして話題に。X(旧Twitter)では「大根踊り」がトレンド入りした。
東農大企画広報室はハフポストの取材に対し「箱根予選会開催前から多くのメディアに取材いただき、全学応援団への注目度の高さを肌で感じています。箱根当日はぜひ、応援団と同じ方向を向いて、陸上競技部の選手を一緒に応援していただきたいです」とコメントしている。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
【箱根駅伝】東農大10年ぶりの大根踊り。なぜ他の野菜ではなく「大根」?そのルーツをたどってみた