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岸田内閣で副大臣に起用されたのも束の間、公職選挙法違反(買収)容疑をかけられ、逮捕にいたった柿沢未途衆院議員とは、どんな人物なのか。
衆議院ホームページのプロフィールによると、出生地はベルギーのブリュッセルとなっている。父親は羽田孜内閣で外務大臣を務めた柿沢弘治氏。東京の下町・江東区を地盤としているが、政界の名家で育ったことが見てとれる。
NHK記者から政界へ。飲酒運転で挫折
自身の政界デビューは2001年に行われた東京都議選だった。NHK記者から父親の秘書を経て無所属で立候補し、初当選を果たしたのだ。
最初は1人会派で活動していたが、03年に都議会民主党入りした。05年に再選を果たすと、当時の民主党都連で政調会長に起用された。
キャリアを順調に歩み始めた柿沢議員だが、08年に自らの不始末がきっかけで最初の挫折を経験する。首都高速で自家用車を運転中に単独で衝突事故を起こし、呼気から基準値を超えるアルコールが検出されたことが判明。その責任をとって都議を辞職したのだ。
「みんなの党」で復帰。政界の荒波へ
救いの手を差し伸べたのは、渡辺喜美・元行革相がつくった「みんなの党」だった。民主党が大勝した2009年の衆院選で、「みんな」の公認候補として立候補。当選した民主党候補や次点の自民党候補に遠く及ばなかったが、比例区で復活当選し、都議から衆院議員にジャンプアップする形で復帰を果たした。
その後、政権交代を実現した民主党の混乱と、自公の政権奪還、野党の分裂と弱小化の荒波にもまれながら、しぶとく国会に生き残った。
「みんなの党」では野党再編を目指して渡辺代表と対立し、13年に離党。14年には「維新の党」の結党に参加したが、ここでも路線対立をめぐる内紛の当事者となった。
さらに、民進党から「小池新党」と呼ばれた希望の党などを経て、21年の衆院選は無所属で立候補。7人が争った選挙区でトップ当選し、自民の追加公認を得て初めて自民入りした。
ライバルも「政治とカネ」で失脚
この選挙戦で柿沢議員が生き残った背景には、選挙区のライバルだった秋元司氏(元自民党衆院議員)が、統合型リゾート施設をめぐる贈収賄事件で逮捕されたことがあった。自民の空白区となったタイミングを生かして自民に接近し、選挙前に党推薦を得ていたのだ。
岸田内閣では副大臣に起用された。だが、柿沢議員と長年争ってきた自民党都連との関係修復は簡単ではなかった。今回、自身の容疑の舞台となった江東区長選の背景には自民党勢力の分裂があった。
21世紀になった年に政界にデビューし、主に野党議員として衆院選で当選5回を重ねた。その議員の逮捕は、政界の浄化と正常化の道のりが険しいことを象徴的に表している。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
買収事件で逮捕の柿沢未途議員。元野党系、岸田政権で法務副大臣に起用されていた。これまでの歩みは【政治とカネ】