ウェルビーイング研究の第一人者、慶応義塾大大学院教授・前野隆司博士の経歴は異色だ。
エンジニアとしてキャリアをスタート後、大学教員に職を転じてロボット開発の研究に従事。ロボットと人の究極の違いとも考えられていた心に着目し「心は脳が作り上げた幻想に過ぎない」とする「受動意識仮説」を提唱。各界に衝撃を与えたのち、研究の軸足を「幸福」に移して現在に至る。
新たな価値を生み出し続ける稀代の研究者は、どうリスキリングを重ねてきたのか?人生100年時代にキャリアを築くヒントが、インタビューから見えてきた。
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──キャリアのスタートを教えていただけますか?
東京工業大の工学部機械工学科を卒業後、修士課程に進み、修了後にキヤノンへ就職しました。小さな頃からプラモデルとか絵を描くとか、何かを作ることが好きだったし、学んだことを活かせて、これから伸びそうな会社ということで選んだ。
僕は物事を構造として捉えること、設計して作ることが得意なんです。受験問題で「この立体の展開図はどれか」みたいなのがあるでしょう、ああいうのが得意。助手として大学に残る選択肢もありましたが、まずは外の世界を見てみよう、と会社員になった。
キヤノンでは、カメラやレンズの超音波モーターを設計する部署に在籍していました。そのレンズ(記者が前野さんを撮影したキヤノンの50mmレンズ)のウルトラソニックモーターの設計には、僕が携わっているんですよ。
カメラのエンジニアからロボット開発の研究者に
──使いやすく愛用しています。そこからなぜ大学へ?
キヤノンに入社した当初は、社長になるぞ、と意気込んでいたのですが、しばらくすると、その道は簡単ではないと思うようになりました。何しろ社長になれるのは1人だけですから。
会社の留学制度を使ってカリフォルニア大バークレー校で2年間学び、帰国後に研究者への道を考え始めました。そんな時に、慶應義塾大の講師募集の記事を見つけたんです。試験を受けて慶應義塾大の理工学部機械工学科へ転職しました。
ロボットの研究室をつくったのは、ロボットはモーターとセンサーの塊だし、ロボットの方が生徒たちの興味をひくからです。僕はロボットの中でも、触覚を研究対象に選びました。多くの研究者が人工知能に注目しているときに、視点を外して研究の遅れている分野を手がけた。そうすると独創性の高い論文が書けて、その分野が伸びてきた時に、自分の論文がたくさん引用されることにもなりますから。
哲学や心理学にも興味があったので、人間を真似して作るロボットなら、横断的にそうした分野にも携われるだろう、と研究としての広がりも感じていました。したたかに、戦略的に考えていましたね。
ロボットは心を持つか
──なぜ心に着目を?
ロボットを作ることは人間理解でもあり、突き詰めれば、ロボットの心を作ることができるのか、という問いに行き着きます。その答えを得るにはまず、人間の心の構造を理解しなければいけません。
──2004年に筑摩書房から出版された「脳はなぜ『心』を作ったのか」は大きな反響を呼びました
ロボット学会の学会誌に、論文「ロボットの心の作り方(受動意識仮説に基づく基本概念の提案)」として投稿したものを、一般の人向けに、わかりやすい形でまとめたものですね。
物事を考えたり、意思決定したりする主体だと考えられていた「意識」(心の中心)は、脳内のニューラルネットワークが無意識下で処理した結果を受動的に受け入れ、自分がやったかのように解釈してエピソード記憶する存在に過ぎない。自己意識のクオリア(※)さえ錯覚だ──この結論を得た時、僕自身、衝撃を受けた。そして気が楽になりました。心は幻想なんだから、細かいことは気にせず自分のペースでやっていこう、と仕事上のストレスも減りました。
※クオリア…心の質感。五感から入ってきた情報や心の内部から湧き出てきた情報をありありと感じる質感のこと
ウェルビーイングのメカニズムを解明する
──私も読後、肩の力が抜けた読者の1人です。出版後に、ロボットの研究から人の心の研究へ、軸足を移していったのはなぜですか?
本を出したあと、読者からたくさんのご意見をいただきました。その中で興味深いなと思ったのは、「幻想だから心が軽くなった」と「幸福」を感じる人たちと、「幻想なんて空しい」と「不幸」を感じる人たちがいたこと。
その違いはどこからくるのか、人はどうすれば幸福を感じるのか。それはシステムとして人間を理解する学問になりうる。新しい研究分野を開拓して、幸せのメカニズムを解明しようと思ったのです。
──構造への興味は一貫しているのですね
そうですね。就職した頃は、メカニックな設計が得意だ、と思っていたけれど、考えてみたら、メカも含めて抽象概念を形にするのが得意だった。哲学的な問いが好きなことに気づかずに、機械工学の道に進んだけれど、工学者として培った実践的な方法で分野横断的に研究ができ、今となっては良かったなと思っています。
幸福学、ウェルビーイングに行き着いたのは、時代の流れですね。先見の明があった、とかではなく、時代の変化を見ながら、自分自身の心がワクワクと動くこと、一番面白そうなことを探求してきた。
メカニズムへの興味が変わらない縦糸としてあって、エンジニアから研究者へと移り変わっていく横糸があって、その両方で人生を織りなしている。誰しも同じような形になっていると思います。自分は変わらないぞ、とでんと構えているよりも、自分なりの変わらないテーマを大切にしつつ、新しいスキルを身につけて成長していく方がいい。
ウェルビーイング研究の立場からも、人生100年時代、リスキリングし続ける方が幸せです。国や企業が推進しているからではなく、好奇心を持ち、面白がって、自ら挑戦することをお勧めします。
──人生のテーマは、誰にでもあるものですか?
あります。あるけれど、気づいていない人も少なくないかもしれません。
僕自身がそうでした。いま僕は「みんなで幸せな世界をつくろう」と研究者としてウェルビーイングを広めていますが、中学生の頃も同じようなことを言っていたんですよ。それで「偽善者」といじめられた。辛く思い出したくない過去で、トラウマとしてずっと忘れていたのですが、その経験がいまと繋がっていることに、数年前に気づきました。
いじめられた経験や孤独な過去があったから、いじめのない世界をつくりたい。中学生の時にできなかったことを今やっている。
ぜひ人生を振り返って探してみてください。視野を広くすれば、いろんなことが見えてきます。
自分にはない、無理だ、と諦めずに、これからでも自分の興味のあることを見つけて、それが広がるような生き方に、自分自身をもっていく。
人生はRPG。リスキリングを続けて楽しもう
──「心は幻想だ」という観点に立つと、視野を広げていろんな経験を重ね、自分の無意識を育てていくような感覚でしょうか?
そうそう。ゲーム好きの人はよくRPG(ロールプレイングゲーム)をしますよね。経験が増えるほど能力が高まっていくでしょう。
あんな感じで、自分を育てるゲームを楽しむ。どんなゲームよりも複雑で、自分が何者になるかわからない、壮大で面白いゲームです。
みんなが心を楽にして、ウェルビーイングな自分を育てていけば、世界は生きづらくない、幸せな方向へ向かっていくんじゃないかな。僕はそんなふうに考えていますね。
(取材・文=川村 直子/ハフポスト日本版)
【前野隆司さんプロフィール】慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授、ウェルビーイングリサーチセンター長。キヤノン、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授などを経て現職。著書に「脳はなぜ『心』を作ったのか」「幸せのメカニズム」「ウェルビーイング」など。博士(工学)。
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ロボット開発からウェルビーイングへ。 稀代の研究者は、こうしてリスキリングを重ねてきた