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「世界に通用する日本ワインを造りたい」
キリンホールディングス(HD)傘下でワインなどの製造販売をするメルシャンは、「日本を世界の銘醸地に」という思いを胸に、日本でブドウ造りに適した広大な土地を探していた。
質の高いワインになるブドウが育つには、日当たりが良く、雨が少なく、排水も良いなどいくつかの気候条件がある。2000年、メルシャンが出会ったのは、長野県上田市のもともと桑畑だった遊休荒廃地だった。
「荒れてしまった土地をなんとかしたい」という地元住民の協力もあり、3年後に「椀子(まりこ)ヴィンヤード」と名付けられたブドウ畑が開園。
2019年には「シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー」がオープンし、翌年から4年連続で「ワールド ベスト ヴィンヤード 」に選出され、2023年は世界第38位、2度目の「アジアでNo.1」も獲得した。
「世界レベルの日本ワイン」を追求して20年。高まったのはワインの質だけではない。ブドウ畑の生物多様性も高まっていったというのだ。
長野のブドウ畑で何が起こったのか。実際に行ってみた。
山に囲まれた標高650mの小高い丘に広がる約30ヘクタールのブドウ畑では、メルローやシラー、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨンなど全8種類のブドウが育つ。
水捌けも陽当たりも良い元々の地形を、一部を除きできる限り活かしたこのブドウ畑は、「畑」というより、草原の丘にブドウの木が馴染んでいるように見える。
農研機構とキリンHD、メルシャンの共同研究で生態系を調査していくと、植物や昆虫の希少種が多数発見された。その数は年々増え、昆虫が168種、植物が289種になった。
キリンHD CSV戦略部シニアアドバイザーの藤原啓一郎さんは、「土の中に水分が少ない方が良いブドウが育つなど様々な理由から、下草を生やし、垣根仕立ての草生栽培をしています」と説明した。
「農作業的に下草を伸ばしっぱなしにすると大変なので、定期的に草を刈りをすることで、『草原』の機能が回復していったんです」
草刈りをしないと強い種類の植物だけが高く伸びてしまうが、定期的に草刈りをしたことで背の低い弱い在来種にも日が当たり、多様な植物が生息できるようになったという。
「また、土を削ると土の中で眠っていた微小な生きものが取り除かれてしまいますし、耕すと土の中の生物が一気に死んでしまうと言われています。土を削らずに元々の桑畑の地形をできるだけ残したことで、草原環境になった畑に、以前いた植物も芽を出し、たくさんの生き物が戻ってきて生態系が豊かになったことが研究で分かりました」
実際にブドウ畑を歩くと、足元には多種多様な植物が混在し、トンボや蝶などの虫が飛び交っていた。このように人が農業や林業などのために手を入れることで保たれる自然環境を「二次的自然」という。日本では里山などがこれにあたる。
椀子ヴィンヤードは10月6日、日本で唯一、事業として農産物を生産しながら生物多様性の保全ができている場所として、環境省から「自然共生サイト(OECM)」に正式認定された。
これによって椀子ヴィンヤードは、世界全体で生物多様性の損失を食い止め、回復に向かわせる「ネイチャーポジティブ」の目標達成に貢献することになった。
ブドウ畑を歩いた後、ワイナリーでメルロー、シラーの赤ワイン2種と、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランの白ワイン2種を試飲することに。日本ワインは赤でも甘くて軽めのイメージがあったが、メルローはどっしりした奥深さのある味わいで驚いた。
シラーは白胡椒のようなスパイシーな香りが印象的だった。この香りは椀子の土地や気候の条件ならではの特徴だそうだ。
椀子ワイナリー長の田村隆幸さんは、「今、世界的に『クールクライメイトシラー』が注目されています。冷涼な気候で育ったシラーは白胡椒の香りが特徴的で、海外の専門家からも椀子のシラーは特に白胡椒の香りが強く、世界で選ばれるワインになる可能性が高いと言われています」と説明した。
白ワインのソーヴィニヨン・ブランには、「ミッドナイト・ハーベスト」という名前がつけられていた。研究の結果、ブドウが一番養分を蓄えた状態になるのは深夜だとわかり、早朝3〜4時に収穫して造られたことが由来だ。ワインの美味しさを求めてヘッドライトをつけて深夜に収穫作業をする、その情熱に驚いた。
実際に飲んでみると、シトラス系の香りが高く、爽やかな酸味が感じられ、味に奥行きがありながらさっぱり飲みやすい。
「他にも、国内では珍しく椀子ヴィンヤードはカベルネ・ソーヴィニヨンがしっかり熟す場所なんです。カベルネ・ソーヴィニヨンは晩熟な分、例えば収穫までに雨や台風など『関門』が多かったり、10月以降に寒すぎるとうまく熟さなかったりと難しい品種ですが、ここはその微妙な気象条件をクリアできる場所なんです」(田村さん)
メルシャンで長年ワインの美味しさを追求してきた田村さん。ブドウ畑の生物多様性がデータで可視化され、豊かになっていくのをどう受け止めていたのか聞くと、「白状しますと…」と当時の心境を打ち明けてくれた。
「最初に藤原さんに生物多様性の研究の話を持ちかけられた時は、『ブドウ畑なんて単一の作物しか育てないし、殺虫剤や殺菌剤も使わざるを得ないし、面白い結果なんて出ない』と思っていました。お金になるわけでも、ワイン造りの効率が良くなったり、ワインの味が変わったりするわけでもなさそうだし、最初は断ったんです」
その後、藤原さんの熱意に負けて調査を受け入れた。すると、生物多様性がどんどん豊かになっていることが可視化され、「自分の想像と全然違う結果が面白くなってきた」という。
「生物多様性が豊かになっていく過程で、ブドウ畑の新しい側面が見えました。結果的にワインへの興味に加えて、SDGsや生物多様性など別の興味から椀子を訪れてくれる人もいっぱいいますし、自然共生サイトにも登録されて国内外から注目してもらえる可能性もあります。地元の人にも喜んでもらえていると思います」
椀子ヴィンヤードができる前、地元ではワインを飲む文化はあまりなく、焼酎や日本酒好きが多かったそうだ。しかし、今ではワイン用のブドウ畑が約30haに拡大し、「ワインをどう保管するのがいいか」などと楽しそうに話す人の姿も。上田はすっかりワイン好きを魅了する町になっていた。
もともと桑畑だった遊休荒廃地がブドウ畑に生まれ変わったことで、生物多様性が豊かになり、多くの人が訪れるようになった。椀子ヴィンヤードを見渡すと、自然と人が共生した光景が、これからも遠い未来まで紡がれていくような気がした。
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「生物多様性がどんどん回復する」日本ワインのブドウ畑に行ってみた。「お金にならなそうで最初は研究を断ったけれど…」