ハマスの人質になり10月23日に解放された85歳のイスラエル人女性が、連れ去られた2週間の経験を語った。
これまでに解放された人質が、自らの経験を公の場で伝えるのは初めてだ。
女性は7日のハマスに自宅を襲撃され、殴られて人質にされた。一方で、連れ去られた先のガザ地区では親切に扱われたという。
人質になっていたヨシェベド・リフシッツさんとヌリット・クーパーさん(79歳)は、23日深夜に解放された。
このうち、リフシッツさんがイスラエル・テルアビブにある病院の外で記者団の取材に答え「地獄を見た」と語った(本人の子どもが通訳を務めた)。
ハマスによる10月7日の攻撃では、200人以上が人質になった。リフシッツさんとクーパーさんの夫もその中に含まれており、いまだに行方がわかっていない。
今回の人質解放で注目されたことの一つが、引き渡しでのリフシッツさんと銃を持ったハマス戦闘員との握手だ。
リフシッツさんは報道陣に握手の理由を聞かれ「とても親切に扱ってくれたからです」と答えている。
リフシッツさんによると、人質には、食事や治療のほか、シャンプーやコンディショナー、マットレスなどが提供され、武装勢力から「人質たちを傷つけない」と約束されたという。
それとは対照的に、10月7日の襲撃でリフシッツさんは暴力的に扱われたという。
カナダ公共放送CBCによると、リフシッツさんはハマスの襲撃について「私たちの家になだれ込んで人々を殴り、老人若者関係なく人質にした」と振り返った。
ハマスは時計と宝石を盗み、リフシッツさんをバイクに乗せてイスラエル南部にあるキブツ(農業共同体)のニル・オズから隣接するガザ地区まで連れて行ったという
リフシッツさんは「連れ去られる途中、若者たちから殴られました。肋骨は折れませんでしたが、痛くて呼吸困難になりました」とも述べている。
ガザに到着後、リフシッツさんは「クモの巣」のようなトンネルを通って徒歩で移動したという。
リフシッツさんは取材で、イスラエル当局の責任も追及した。
今回の襲撃で、イスラエルはハマスの攻撃の可能性を事前にエジプトから指摘されていたとされる。
リフシッツさんは当局が警告を真剣に受け止めなかった点や、ガザ国境沿いの防護壁がハマスの地上侵攻を防げなかった点を問題視。
タイムズ・オブ・イスラエルによると、ハマスによって犠牲になった人々を「指導者たちの生け贄になった」と述べて国の指導者たちの責任を指摘したほか、防御壁について「20億シェケル(約730億円)もかかったのに、少しも助けにならなかった」と語った。
リフシッツさんの夫で83歳のオデッドさんは、行方がわかっていない。
ヨケヴェドさんとオデッドさんの子どもは父親について「パレスチナ人の権利と、隣人との平和を求める活動に深く関わっていました。アラビア語が得意なので、ガザの人々とよくコミュニケーションできていると思います。父はガザにたくさん知り合いがいます……大丈夫であると信じたいです」とBBCのインタビューで述べている。
ハマスは10月20日にも2人のイスラエル系アメリカ人親子を解放しており、リフシッツさんは4人の中で、最初に人質の経験を語った解放者になった。
ハフポストUS版の記事を翻訳しました。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
ハマスの人質になった85歳イスラエル人が経験したこと。解放され2週間を振り返る