老舗の銭湯「小杉湯」が原宿にやってくる。舞台裏で奮闘するZ世代、関根江里子さんが語る「解決できない社会課題との向き合い方」

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「原宿の小杉湯も、サウナ無しでいきませんか?」

高円寺のカフェ・ドッグベリーでのこと。近所の小杉湯で事業責任者を務める関根江里子さんは3代目の平松佑介さんに問いかけた。心臓がバクバクしていた。もう既に、サウナありきで設計まで仕上がっていたからだ。

銭湯好きに人気の高い高円寺の老舗銭湯「小杉湯」が2024年春、原宿に建設中の新商業施設「ハラカド」にやってくる。

近年のサウナブームもあって、「都心で新しくオープンするならあって当然」と、当初の設計図にはサウナが組み込まれていた。

「『疲れたらサウナで緩急つけて整いたい』と思う人がいる一方、小杉湯のお風呂の熱いお湯と冷たい水の温冷交互浴で、『ととのう』のではなく体の力をすっと抜く『ゆるめる』体験を求める方もいらっしゃいました。都心でも、小杉湯らしい柔らかい体験を伝えたいなと思い、お風呂で勝負しようと決めました」

小杉湯原宿の舞台裏でもがく関根さんは、「小杉湯ってすごく社会の課題に向き合っていると思う」という。関根さんの熱狂に迫った。

小杉湯の事業責任者を務める関根江里子さん

スーパー銭湯やスパではなく、作りたいのは「銭湯」

小杉湯を原宿にオープンするのは、小杉湯が今後50年、100年続くために踏み出した、大切な一歩だと関根さんは言う。

「あの原宿のど真ん中で『街の銭湯』が成立したら、それは社会に銭湯が必要だという証明になるし、もっと多くの人が銭湯とつながる機会にもなると思っています」

それでも、やっぱり不安は大きい。妄想の中で聞こえてくるのは、「資本主義に魂を売ったのか」「もう小杉湯は小杉湯じゃないんだ」という声。自分たちの熱量をきちんと伝えなければと、お客さんに向けて小杉湯は「手紙」を書いた。

「高円寺のお客様には、『小杉湯が変わらずに続くための挑戦である』ということを、原宿の街の人には『街に愛される銭湯を作りたい』という思いを伝え続けています。原宿の街にはもう何十年も銭湯がありません。小杉湯原宿ができることで、原宿の街を愛している人に『ここに銭湯ができてよかった』『もっと原宿の街を好きになれる』って思ってもらえたら、これ以上のことはないです」

「そして、一人でも多くの人に銭湯を好きになってもらい、他の銭湯にも足を運んでもらえたら嬉しいです」

小杉湯がお客さんに向けて書いた「手紙」

スーパー銭湯やスパではなく、作りたいのは日常の中にある「銭湯」。最近の流行は、黒いタイルでカビが目立たないラグジュアリーなデザインが多いが、原宿の小杉湯は高円寺と同じく「真っ白」な内装にするという。

「小杉湯は初代からずっと、綺麗で清潔で気持ちのいいお風呂を届けたいというコンセプトを大切にしています。銭湯はお客様が多ければ多いほどカビができやすく、白いタイルはカビが目立ちます。原宿でもこれまで通り毎日4時間清掃をして、清潔で気持ちのいいお風呂だと、真っ白な内装で伝えたいと思っています」

高円寺の小杉湯

「ああ、明日も生きてみてもいいな」と思える場所

なぜ関根さんは銭湯が好きなのか。振り返ると、父親との想い出が原体験かもしれないと話す。

「父はギャンブルとタバコと銭湯が好きで、父親の膝の上でパチンコを打ったことも、タバコの火が額に落ちてきたこともありました。一緒に行って母に怒られないのって、銭湯だけだったんです。だからか、自分のルーツの中に銭湯があるように感じています」

社会に出て、関根さんはFinTech(フィンテック)のスタートアップ「ペイミー」で、ひょんなことからCOO(最高執行責任者)を務めることになった。ある日突然「経営者」であることが求められ、苦しい日々が続いたそうだ。

「社員からは『絵が描ける人じゃなかったら経営者じゃない』言われ、世間からは『女性経営者はこうだよね』と型にはめられ、全て肩書きに紐づいて自分がみられている感覚で…身の丈に合わない役目だったと思います」

小杉湯の事業責任者を務める関根江里子さん

そんなある日、初台の銭湯にふらっと立ち寄り、銭湯のおばあちゃんとなんでもないような話を20分くらいしたことがあった。話し終わった後、「なんか、明日も生きてみていいな」と思ったと、関根さんは当時を振り返る。

「銭湯って、別に何も解決はしてくれないんですよ。頑張ろうってすごい思うわけでも、誰かが慰めてくれるわけでもない。ただ、生きていくために必要な『心の健康』のベースをちょっとだけ作ってくれる。肩書きから外れて街の人とつながるあの時間の心地よさが、私を救ってくれました」

関根さんの中で、「銭湯が好き」から、「銭湯をもっと世の中に届けたい」に変わり、「銭湯を仕事にしよう」と決意して独立した。

銭湯で働きたい=家業が当たり前だと思われて

銭湯に関連するビジネスを行う会社を立ち上げつつ、銭湯を回って「銭湯で働かせてください」と頼み回った。しかし、家族経営が基本の銭湯業界では、「働きたい=後継ぎと結婚する」と思う人も多く、お見合いを提案されることもあったそうだ。

「苦戦する中、小杉湯3代目の平松が声をかけてくれて、最終的に事業責任者として働くことになりました。平松が絵を描いて、私が形にして枠組みを整えて、熱量のあるメンバーが走り出す。そんな役割を担っています」

小杉湯のメンバー

実際に銭湯で働いてみると、「銭湯そのものが小さな社会」だと気づいた関根さん。それまで「社会」というマスで考えることはなかったが、銭湯を通して「手触り感を持って社会を見れるようになった」という。

「銭湯って、社会的処方(プライマリーケア)の領域でも注目されているんです。イギリスでは、患者さん1人にかかりつけ医が必ず1人いて、薬だけじゃなく『社会の居場所』も処方する。その説明と出会った時に、銭湯と社会をつなげて見ることができました」

例えば、関根さんが番台をしていたある日、認知症の80歳のおばあちゃんが弟と一緒に小杉湯にやってきた。おばあちゃんはもういないはずの母親が見つかるまでお風呂に入らないと言う。弟は疲れた様子で、「もしお風呂に入らなかったら、その辺に座らせて待たせておいてください」と関根さんに頼んだ。

「でも、私みたいな第三者だったら、おばあちゃんと一緒に喋って弟さんを待つことができます。私は認知症を治せるわけでも、弟さんの心のケアができるわけでもないけれど、一時的におばあちゃんは社会とつながって、弟さんはお風呂で休めるっていう、なんかこれだけで良くて。それこそが社会と接続するケアの形なんだと気づいた時に、小杉湯ってすごく社会の課題に向き合っているなと思えたんです」

小杉湯の番台に初めて座った関根さん

これまで関根さんは、「社会課題は解決しなきゃいけない」と思い込んでいた。しかし、小杉湯で「解決できることってそんなに多くない」と気づいたという。

「もちろん解決できる課題もたくさんあると思いますが、小杉湯が関わるケアの文脈や社会的な分断って、今日明日で解決できるものじゃない。銭湯ができることって、何かを変えようとか変革しようというよりも、『このままでどう受け入れられるか』という社会的な受容力をどこまで上げられるかだと思っています」

小杉湯の事業責任者を務める関根江里子さん

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「小杉湯は資本主義社会ですごい儲けが出るビジネスではない」と関根さんは言う。短期的・金銭的なメリットだけで見てしまうと難しいからだ。しかし、長期的な視点で見ると、銭湯は可能性のあるビジネスだという。だからこそ、関根さんは高円寺の小杉湯は変わらずにやるべきだと考えている。

「小杉湯は、銭湯の入浴料を幹としながらも、他にも収益を生み出せる『枝の部分』をつくることで、少しでも安定した経営に繋がると思っています。例えば、『小杉湯から徒歩何分』で物件を決めて引っ越してくる人が多いので不動産業をやったり、銭湯のような場づくりを展開することもできる。ただの綺麗事じゃなくて、財務的にも小杉湯を守っていけることが私にとっては大切です」

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老舗の銭湯「小杉湯」が原宿にやってくる。舞台裏で奮闘するZ世代、関根江里子さんが語る「解決できない社会課題との向き合い方」

Maya Nakata