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2023年上半期に反響の大きかった記事をご紹介しています。(初出:3月24日)
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瀬戸内海に浮かぶ祝島(いわいしま、山口県上関町)は、ハートの形をした周囲12キロの小さな島だ。
深刻な過疎化に悩む島の暮らしを未来に残そうと、島にルーツがある女性が、移住などを促すプロジェクトのクラウドファンディングに挑んでいる。
豊かな海と山の幸が魅力的な祝島だが、住民のほとんどは高齢者。島内の小学生は、たった2人まで減った。
加えて、島の人々は大きな社会問題に40年以上も向き合ってきた。
「大好きな場所をなくしたくない」「子どもたちの笑い声を響かせたい」
岡本陽子さん(32)が立ち上げた、島を後世に残すためのプロジェクトとは。そして、行動のきっかけとなった出来事は。
※クラウドファンディングの受付はすでに終了しています。
祝島は古来、「航行の安全を守る」と崇められてきた島で、祝島という名前は、万葉集にも登場するほどの歴史を誇る。
強い季節風を防ぐ目的で作られた「練塀」が家を囲み、温暖な気候で育ったビワはみずみずしくて甘い。
周辺の海には小型のクジラ類、スナメリも生息する。
一方で、祝島を含む上関町は、かねてから深刻な過疎化に直面している。
町の人口は1965年まで1万人を超えていたが、30年で約5200人に減少し、2022年3月時点で約2400人になった。
祝島には同月時点で293人が暮らしているが、高齢化率は77.47%に上る。22年の日本の総人口に占める高齢者人口の割合(29.1%)の、2.6倍になる数字だ。
島の小学校に通う児童2人は、いずれも島外から移住してきた人の子どもたち。中学校は長く休校したままになっている。
「歯止めがかからない過疎化から抜け出せなければ、祝島はいずれ消滅してしまう」
父親が祝島出身の岡本さんは危機感を抱き、今年から「祝島定住応援プロジェクト」を始めた。
プロジェクトの中心は、島の古民家を大規模改修し、移住者がお試しで暮らす「プレ移住」できる環境を整備することだ。
「祝の島」や「ミツバチの羽音と地球の回転」といったドキュメンタリー映画で取り上げられ、近年は祝島への移住を考える人が出てきた。「移住してみたい」と来島する人も少なくない。
しかし、移住するには一定のハードルがあり、決断できずに諦める人もいる。移り住む家を探そうにも、まず人脈づくりから始める必要があるからだ。
そして、島に空き家はあるものの、すぐに住める状態ではなく、このままでは朽ち果ててしまう。
プレ移住して家をじっくりと探してもらい、島の人情や自然に触れてもらえれば、移住を諦める人を減らせるかもしれない。
移住者が増えれば、人口減少をなんとか食い止めることができるかもしれない。
プレ移住のための家は、空き家の所有者から「島の活性化のために」と管理を任された。
平屋の古民家で、昔ながらの土間や五右衛門風呂がある。台所では薪をくべ、ご飯を釜炊きできる。
祝島には、昔ながらの家屋が現存する。これも島の魅力の一つだ。
古民家の掃除や改装を進め、一部費用をクラウドファンディングで募っているが、目標額に届かなくてもプロジェクトは実行するという。
岡本さんは「指をくわえて行末を見守るのではなく、移住を希望する人たちに島の魅力をしっかりと伝え、祝島を選んでもらえるように奮闘したい」と話す。
岡本さんはなぜ、祝島を盛り上げようとしているのか。
山口県に生まれ育ったが、父親が祝島出身という以外、直接の関わりはなかった。
広島大学を2013年に卒業後、地元のケーブルテレビ局に就職した。
祝島を取材で訪れた時、島で暮らす子どもから言われた一言が、すべてのきっかけとなった。
ちょうどビワ狩りのシーズンだった。島の小学生もいたため、何気なく「島の生活は楽しい?」と聞いた。
すると、男の子は少し考えた後、「友達がいなくて寂しい」と返した。当時も、島の小学校に通う児童は数人しかいなかった。
この言葉を聞き、「純粋な子どもの寂しさに、胸が締め付けられた」という。
岡本さん自身は、1学年に200人ほどいる学校で育ち、運動会や文化祭、部活動などが当たり前に行われる環境だった。
「私にとっては“楽しい里帰りの場所”だった。でも、島に住んでいる子どもたちは寂しさを感じていたんだ」
島の子どもたちの友達を増やすために何かできないか。
岡本さんは思い切ってケーブルテレビ局を退社し、1年間だけ祝島に移住することにした。
祝島に少しでも目を向けてもらおうと、「祝島定住促進応援団」をつくり、ツアーガイドやプロモーションビデオ(PV)の作成に取り組んだ。
特産品の「祝島びわ茶」や海産物の販路を開拓し、SNSで島の雰囲気、人情、自然などの魅力を詰め込み、広く発信した。
最近も瀬戸内海をイメージした手作りフェルトの開発に携わり、売り上げの一部を祝島の応援資金にあてている。
情緒漂う雰囲気。ゆったりとした島時間。一本釣りのタイ。
たくさんの魅力に誰かが気づいてくれれば、子どもの友達が増えていく。そう考えた。
ただ、祝島にはもう一つの「顔」があった。
中国電力の「上関原発計画」と向き合っている島でもあるのだ。
40年前の1982年に突然浮上した計画への賛否を巡り、家族や友人も分断された。
祝島のほとんどの住民は、当初から計画に反対した。島外は賛成が多い中、祝島は巨額な漁業補償金の受け取りも拒否してきた。
島民は、はちまきを頭に巻いてデモを行い、中電の職員が船で調査に訪れると、漁船を出して激しく抗議することもあった。
こんな経緯から「『祝島イコール原発』というイメージが定着している」と、岡本さんは話す。
海の幸や山の幸、人情、情緒、風土。祝島には多くの魅力があるが、どうしても原発問題のイメージが先行してしまう。
岡本さんも幼い頃から「原発反対」と書かれた看板を目にしたり、親族から「あの店にはいったらだめ」と言われたりしたこともあった。
大学では卒業論文のテーマに原発を選び、祝島でインタビューを繰り返すなど、住民らがどのように原発問題と向き合ったのかを研究した。
ただ、岡本さんは「原発計画の結論の先にある祝島の未来を誰か考えているのか」と疑問に感じてきた。
今後、原発計画は「建った」「建たなかった」のどちらかの結論に、必ず落ち着くことになる。
問題はそれで終わりではなく、その先も祝島が存続していくにはどうすればいいのか、という点だ。
だから、今回の「祝島定住応援プロジェクト」を始めた。
移住者が増えれば、子どもたちの友達を増やし、島を後世に残していくことができるかもしれない。
岡本さんは今、大手製薬会社の社員としても働いている。
祝島関連の活動は、忙しい日々の合間を縫って取り組んでいるが、そこに妥協はない。
「祝島に住む親族も40年、原発問題と向き合ってきた。私の人生より長く、その苦労は計り知れない。でも、私の主軸は原発ではなく、その結論の先にある祝島の未来をどうするか」
そして、こうも述べた。
「祝島のために、祝島に住む子どもたちのために、できることを着実にやっていきたい。今回のプロジェクトで祝島に目を向けてくれる人がいたら、全力で島の魅力をPRします」
中国電力の「上関原発計画」は1982年、突然浮上した。
計画によると、山口県上関町長島に137.3万キロワットの原発を2基つくり、海面を埋め立てる工事も一部行う。
祝島からみると、海を隔てた約4キロ先が建設場所ということになる。
ほとんどの祝島島民は当初から原発計画に反対し、抗議活動を繰り返し行ってきた。
元祝島漁業協同組合長の山戸貞夫氏は、自身の著書「祝島のたたかい 上関原発反対運動史」で、祝島の9割が反対に回った経緯をこう記している。
「上関原発計画は、もともと島に住んでいる多くの人々にとっては、判断の時間も材料も与えられないまま、今後も今までと同様に島で生活ができるのかどうか、という大きな問題を、一方的に原発推進勢力より押し付けられてきた」
「島民それぞれの生きざまが問われる、避けることのできない深刻な課題として突然、目の前に現れたのである」
「今まで政治経験もほとんどない島民に、個々人それぞれの判断を求めるのはあまりにも酷だった。したがって、もともと肩を寄せ合いながら生きてきた島の人々は、やはり原発反対運動も、生活に根ざした共同作業として、地域という『面』を軸にして取り組むこととなった」
一方、原発計画が浮上して以降、町長選では一騎打ちや無投票で、推進派が当選する状態が続いている。
つまり、上関町全体では賛成派の住民が多いとされる。
昨年10月の町長選で、得票率7割超えという結果で当選した推進派の西哲夫氏は、翌月の広報誌に自身の考えを述べている。
「現在、上関町においても人口減少や少子高齢化が進んでいます。税収も減少しており、そのためには原子力発電所建設による商業の発展や雇用、安定した財源の確保が必要と考えています」
原発は建設されていないものの、町内には温泉施設「鳩子の湯」や道の駅「上関海峡」など、原発関連の交付金が活用された施設が存在している。
しかし、祝島の反対運動などで工事は進まなかった。さらに、2011年3月に東京電力福島第一原発事故が起き、計画地での準備工事は止まったままになっている。
西町長は前述の広報誌の中で、次のようにも述べていた。
「原子力・エネルギー政策は国策であるため、現段階では上関原発の建設が動くわけではありません。限られた財源の中で、定住・移住対策や子育て支援はできないか、事業に無駄はないのか、職員と一緒に考え、住民のために汗をかいていく覚悟です」
なお、岸田政権は「原発回帰」の方針を打ち出している。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「ハートの島」が直面する大きな問題。女性が立ち向かうと決めたのは、小学生の“一言”がきっかけだった【2023年上半期回顧】