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過熱する中学受験。最近は学校説明会に参加したり我が子に勉強を教えたりと、受験戦争に積極的に参戦する父親も少なくありません。子どもに良質な教育の機会を与えたいという願望の先にあるものとは。ともに小学校高学年の子どもを育てる2人の研究者が語り合いました。
中野円佳(以下、中野) 男性が育児をするうえでは「育児はビジネスの役に立つ」というビジネス書のようなアプローチが一定の効果を上げてきた一方、そのようなアプローチは問題含みであったということを前回の対談でお話しました。そのことを関口さんは著書『「イクメン」を疑え!』で「人的資本を伸ばす一環としての育児」と指摘されています。
関口洋平(以下、関口) 僕はアメリカ文化の中で育児をする父親がどう描かれているかを研究しているのですが、育児をする男性には女性とは異なる意味が付与されます。男性にとって育児の経験は、新たなビジネススキルであったり、カッコいいライフスタイルの選択肢であったりと、セルフマネジメントの一種として描かれがちです。
つまり、すべての個人が経済的なものさしで測られる「新自由主義」的な価値観においては、自らを人的資本とみなし、育児は人的資本の価値を向上させるための重要な要素であると位置づけられるのです。
中野 その延長で、わが子を人的資本として育てる父親像についても想像できますが、どうでしょうか。
私が2017年から5年間暮らしていたシンガポールは、人口約570万人、面積は淡路島くらいの小さな国です。国家を発展させるために人的資本が大切だと言い切っていて、教育に投資してエリートを育てることが国家政策になっているんです。
このため親たちの間で競争が過熱していることは著書『教育大国シンガポール』で詳しくレポートしていますが、日本に帰ってきて中学受験事情などを垣間見ていると、一部の日本の親たちからは、同じような熱量が感じられます。
中野円佳(なかの・まどか) / 東京大学男女共同参画室特任助教
1984年東京都生まれ。東京大学教育学部卒業後、日本経済新聞社入社。育休中に立命館大学大学院先端総合学術研究科に入学。同研究科に提出の修士論文を基に2014年『「育休世代」のジレンマーー女性活用はなぜ失敗するのか?』を出版。15年よりフリージャーナリスト。キッズライン報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞、第2回調査報道大賞デジタル部門優秀賞受賞。近著『教育大国シンガポール 日本は何を学べるか』(光文社新書)
関口 中野さんもうちも小学校高学年の子どもがいますから、当事者意識がありますよね。
僕は著書でさんざん新自由主義的な価値観を批判しておきながら、自分がその価値観とそれほど遠くない存在だと自覚しています。子どもに勉強を教えているときに「なんでもっと効率的にできないの!」とつい言ってしまったり……。
中学受験を経験した父親
中野 中学受験の説明会に夫婦で参加するとか、中学受験を経験した父親が子どもに熱心に勉強を教えるといった、育児の中の「教育役割」を父親が担うケースを扱う調査研究もありますし、日本では珍しくはないのではという実感もあります。
関口 同感です。僕の周りにも、自分が中学受験を経験していて、土日に子どもに勉強を教えているという父親がいます。
シンガポールがそれほど国家として教育に熱心なら、父親たちも「教育役割」を担っているのでしょうか?
中野 それが、シンガポールの母親にインタビュー調査をしたところ、「教育役割」は母親が多くを担っていました。
シンガポールの場合、家事をメイドに任せることができ、小さな国なので親も近くに住んでいて協力を得やすいため、夫婦に残る育児の役割は多くはありません。残るのは、子どものしつけ、宿題を見ること、医者や歯医者に連れていくこと、病気のときに家にいること、支払い関係など、いわゆる「教育役割」や「マネジメント」の部分です。
「うちの夫は結構やってくれてるよ」という母親に、具体的に何をどう分担しているかを聞くと、父親は週末に外に連れ出すということが多い。もちろん父親が得意科目を教えているという事例もあるにはありますが、「マネジメント」的な大部分はやはり母親が担っていて、しかも家事育児負担の総量はそれほど大きくないので、夫に対して「やってくれない」という不満を感じていないことが多いです。
関口 中野さんの本で、「タイガー・マザー」というステレオタイプで語られることも多い中華系の教育ママが、子どもの塾や習い事を分刻みでマネジメントしているのが印象的でした。
仮に父親のほうが学歴が高いのであれば、父親が勉強を教えることが理にかなっているのかもしれないですが、そういうわけでもないんですね。
中野 そうなんですよね。シンガポールでももちろん教育に関与している父親はいるのでしょうけど、父親のほうが学歴が高いとか父親のほうが働き方が柔軟というケースでも、母親がやっているという状況がみられました。
構造的に言えることとしては、PSLE(Primary School Leaving Examination)という小学校卒業後の進路を決める国家統一試験がどんどん難しくなっていて、「自分たちのときはこうだった」という親世代の経験値だけでは太刀打ちができなくなってきているんです。必ずしも父親が高学歴だからといって教えられるというわけではないようです。
関口 中野さんの本を読んで、単に子どもの学力だけではなく全体的な能力を評価する流れが、日本よりもシンガポールのほうが進んでいる印象を受けました。そうなってくると文化資本が重要になってくるので、父親よりも母親が重宝される余地が出てくるのかもしれません。
中野 そこの競争はまだ日本のほうが緩やかだと感じますね。「学歴より経験重視」と言われることはあるものの、大学に入りやすくするために生徒会やボランティアをして、高校生のときに起業もして……というように「ポートフォリオ」を気にしているのはまだ非常に一部のニッチな層かなと思っています。
ただ日本の場合、母親が主に教育役割を担っていたところに加えて父親が育児をするようになり、最近では両親ともに教育役割を担っているケースもあります。
ジェンダー平等の観点からは各家庭で父親の参加があったほうが良いとは思いますが、高学歴のパワーカップルが2人して自分の子どもの階層を維持させようと受験教育に躍起になるのは、必ずしも諸手をあげて歓迎できる動きとも言い切れません。
競争から降りられない構造
関口 たしかに、子どもにつきっきりで受験勉強を教える父親像や、受験情報を読み漁って子どもの「スキル」を伸ばそうとするパワーカップル像を見て、行きすぎだと感じる方もいるかもしれません。子どもの逃げ場がない状態で追い詰めた末の「教育虐待」のような事例も出てきていますし……。
ただ、親が子どもに勉強を教えること自体は悪いことではないですよね。子どもに質の良い教育を受けさせたいという思いは、僕にも中野さんにもあるんじゃないかと思います。
ひとりの親として子どもに質の良い教育を与えたいという思いがある一方で、全体的な傾向をこのまま放置していいのかは別の問いとして立てなければなりません。社会の大きな構造をどうやって変えていくのかということと、いまある構造のなかで個人がどうやって生きていくかということは微妙に違うことなのではないでしょうか。
関口洋平(せきぐち・ようへい)/ フェリス女学院大学文学部英語英米文学科助教
1980年生まれ。東京大学大学院人文社会研究科にて修士号、ハワイ大学マノア校アメリカ研究科にて博士号を取得。東京都立大学人文社会学部英語圏文化論教室助教を経て現職。2018年、アメリカ学会斎藤眞賞受賞。専門はアメリカ研究。特に、アメリカ文化における家族の表象について研究している。著書『「イクメン」を疑え!』(集英社)
中野 本当にそうなんですよね。
教育が過熱している現状を批判的に見る研究者や著者が、まずはそれぞれの親が競争から降りるべきだと主張しているのを見たことがあります。全体を見たら確かにひとりひとりの競争への参加が競争をますます激化させるのですが、ひとりの親としては自分だけ降りたら子どもが不利益を被ると思ってしまう。だから降りられない。そんな心理になってしまう構造こそが問題で、個人の選択を責められないと思います。
関口 教育には、メリトクラシー(能力主義)的に競争を勝ち上がっていく側面ももちろんありますが、それだけではなく、教育によってこの競争社会を変えていける人間を育てるという側面もありますよね。
僕も大学や大学院に進んだことで人種差別やジェンダーなどの問題に気づき、社会に向かって発信することの重要性を理解することができました。
ひとりの親としては、わが子に富裕層になってほしいとか出世してほしいという意味ではなく、教育によって広い世界を知ってほしいという思いもあります。また、そうした教育は一部のエリート層だけでなく誰もが受けられる機会があるべきです。なので競争から降りることで教育の機会を奪うというのはちょっと違うのでは、とも思います。
子どもに何を教えるか
中野 教育の可能性については、今の私の仕事ともリンクしています。東京大学の男女共同参画室で働いているのは、東大が変わることで社会が変わってほしいし、次世代が受ける教育を変えていきたいと思っているからです。
(取材・文:小林明子)
(2023年5月29日のOTEMOTO掲載記事「高学歴夫婦が2人して中学受験にのめりこむ。競争から降りられない「イクメン」の事情」より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
高学歴夫婦が2人して中学受験にのめりこむ。競争から降りられない「イクメン」の事情