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ジェンダー平等、プライベートゾーン…今では当たり前のように学校教育などでも取り上げられているこうした話題が“タブー”と化した時期があった。たった20年前の話だ。男女共同参画社会基本法(1999年)などが施行される中でバックラッシュ(反動)が大きくなり、ジェンダーや性教育に関する多くの活動が反対派によって叩かれた。
ハフポスト日本版で取り上げてきた「差別体験授業」という取り組みがある。じゃんけんで2グループに分かれた参加者が、教員による男女差別を体験するという内容で、参加者の変化から差別の恐ろしさが伝わり大きな反響を呼んだ。
実はこの授業が生まれたのはおよそ20年前。前述したバックラッシュのさなかだった。
社会は変わりつつあるが、ジェンダー平等や性教育などに関しては「この社会は本当に変わるのだろうか」と心が折れそうな現実を突きつけられることも多い。
そうした時、前を向くにはどうすればいいのか。今、差別体験授業がもつ意義とは。ほとんどひとりで授業を開発し、取り組み続けてきた白百合女子大学・副学長の内海﨑貴子さんに聞いた。
プライベートゾーンを教えたら「幼児になんてことをやるんだ」
──差別体験授業を2度取材しましたが、教室の空気が変わっていく様が恐ろしかったです。先生がひとりで始められたそうですが、きっかけは何だったのでしょうか。
アメリカの小学校で1968年に行われた差別の実験授業を知ったことがひとつのきっかけです。小学3年生の担任だったジェーン・エリオット先生が、子どもたちを「青い目」「茶色い目」でグループ分けし、優劣をつけて過ごさせるというものです。
教員の考え方がこんなにストレートに子どもたちに影響を与えることに衝撃を受けました。差別というのは誰もが意識せず体験し、積み重なることでアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)にもつながっていくものなのだと気づいたんです。
ただ、効果もある一方で、子どもたちに嫌な思いをさせるだけの授業ではないかと疑問を感じた。そこで、回復のプログラムにも重点を置くオーストラリアで行われた差別体験授業も参考にして、経験と回復、意味づけをワンセットにして行うことに決めました。
2002年、千葉県我孫子市の教員研修で初めて行い、2004年からは立教大学などの授業でも行っています。
──2002年前後というと、男女共同参画、ジェンダー平等教育などに対するバックラッシュ(反動)が強かった時期ではないでしょうか。
そうですね。2000年代に入ってバッシングが酷くなっていたので、「差別体験授業」「ジェンダー」という言葉は表に出して使えませんでした。2003年くらいからはジェンダー平等に関連する仕事の依頼がほとんどなくなりましたね。
当時勤務していた川村学園女子大学の学生たちが、プライベートゾーンや性被害に遭わないために必要なことなどについて幼稚園や保育園の子どもたちに伝える活動をしていたのですが、それもバックラッシュで「幼児になんてことをやるんだ」などとバッシングを受けてできなくなってしまった。プライベートゾーンについて教えることさえできなかったんです。
バックラッシュする側と現場、問題意識は大きく違う
──今はプライベートゾーンについて幼児期から伝えることは一般的になってきていると思いますが、たった20年前は厳しい状況だったのですね。
そうですね。私はジェンダー平等教育を専門にしていますので、まさにバックラッシュの渦中にいました。
私が行った教育実習現場でのセクハラに関する調査が報道された時は、受け持っていた学生が実習先で「あなたの大学のこの先生はどういう人?」と聞かれたことも複数回ありましたね。実習生に不利益が生じたら困るので、そこから5年ほどは地道な調査しかせず、沈黙せざるを得ませんでした。
──渦中で先生の活動を支えていたものは何だったのでしょうか。
現場の声です。現場に出ていると、バックラッシュをしている側の人が考えていることと、現場の先生が困っていること・考えていることには非常に大きな差があるとわかります。
例えば、プライベートゾーンについて教えることについて「やらない方がいい」という幼稚園や保育園の先生はいませんでした。子ども同士のいたずらでズボンを下ろす、というようなことも起きてくる時期なので、大切なことだという認識があったんですね。
立教大学などで行っていた差別体験授業もそうです。男女関係なく「男らしく、女らしくというのを押し付けられるのが嫌で悩んでいた」という学生はいて、「授業を受けて、そうじゃなくてもいいんだと分かった」と話してくれる。そういうことに支えられていました。
人間は腹落ちしないと変われない
──若い世代は特に、「差別してはいけない」という意識は高まっていると思います。そうした中で、差別体験授業という「体験」がもたらす意義はどういうところにあると感じますか?
「頭では分かっていること」への肉付けができることです。
基本的な差別の構造はジェンダーでも人種などの他の差別でも同じですから、自分が分かりやすく体験することで、他の差別・偏見に気づきやすくなります。
学生の体験で言えば、「アフリカ系アメリカ人は足が速い」などの偏見が自分にあったと気付ける。これは「男女差別」などのカテゴリーで理解していると気付けない、認識の深まりですね。
教育現場でのセクハラなどについて研究する中で感じているのは、「人間は腹落ちしないと変われない」という事です。様々なガイドラインなどができたことで明らかなハラスメント、身体的な接触などは少なくなっています。でも、なぜダメなのか分かっていないと、ちょっと状況が変わるとやってしまう。体感することの大切さは、腹落ちしやすい、意識変容しやすいところだと思います。
──「もう男女差別はない」「女性のリーダーが増えないのは女性のやる気がないだけだ」などの声も上がります。そういった声に対しては、どう接していくべきなのでしょうか。
ジェンダーというのは人や社会に内在化されているものなので、すぐには変化しないという前提があります。
教育現場で言えば、女性の校長がなかなか増えない、という課題に対して「制度は平等なのに、女性が昇格試験を受けないからだ」という意見が長い間ありました。
でも、昇格試験を受けるまでのルートには、「生徒指導や進路指導担当をやる」といった関門がある。これらは夕方以降の仕事が多いので、家庭で多くの役割を持つことが多い女性を“配慮として”外すということが起きているんです。悪意ではなく、本人にも聞かないまま、ルートが絶たれている。制度上平等になっているように見えても、そんなに単純には捉えられないことを知ってほしいです。
──少しずつ社会や人々の意識は変化していると思いますが、一方で引き戻すような動きや現実もあります。はざまで悩む人たちにかけたい言葉はありますか。
社会に出たら、「この人たちが変わらないとどうしようもない」と思うような管理職には多かれ少なかれ出会ってしまうでしょう。それに適応せざるを得ず、罪悪感を持つこともあるでしょう。
なので、学生たちには、「合わせないと生き抜けないこともある。ひとりで戦わなくていい」と言います。「ネットワークを作って、変容せざるを得ないような環境を作っていくしかやり方はないと思う」と。
すぐ効く処方箋ではないのですが、その上司に残っている時間より、学生たちの時間のほうが長い。自分ひとりで戦ったら、誰だってめげます。ジェンダーバッシングの時、私も本当に嫌になりましたよ。「なんで分からないんだ」「世の中は変わっていくはずなのに」って。めげない、折れないためには、「つながりをつくって、とにかく続ければいい。すぐに行動できなくても、思っていればいい。必ずチャンスはくる」と言いたいです。
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
「人間は腹落ちしないと変われない」バックラッシュの中で生まれた“差別体験授業“の持つ力