近年、再開発に伴う樹木の伐採、緑地の減少、公園の変容などが、日本各地で問題視されている。
なかでも大きな話題を集めているのは、神宮外苑再開発事業である。この事業については、環境アセスメント、都市計画、グリーンインフラ、街路樹などの専門家と、野球関係者、ラグビー関係者などから多くの問題が提出されている。
この再開発の2023年に入ってからの事業のプロセスについて、倫理学の観点から問題点を指摘するとともに、事業全体に関して「世代間倫理」の観点から考えたい。
東京都は2023年1月20日、三井不動産などの事業者が提出した、神宮外苑再開発計画の環境アセスメントの評価書を公示した。
それに対して、日本イコモス国内委員会が、事業者の評価書に「虚偽」が多数あることを指摘し、「評価書の調査や予測は非科学的だ」として、東京都知事による事業者に対する勧告と、環境影響評価審議会の再審を求めた。
1月30日に開かれた東京都の環境アセス審議会では、多くの委員がその点を問題視し、継続審議となった。
驚くべきことに、事業者はイコモスの指摘に十分に答えないだけでなく、30日の環境アセス審議会が始まる前に、「着工届」を都に提出していた。
そして、環境アセス審議会の終了を待たずに、2月17日に小池都知事が再開発事業を認可した。
続いて2月28日には、吉住健一新宿区長が、神宮第二球場と建国記念文庫の森の周辺にある約3000本の低木の伐採許可を出す。
ここで伐採が認められたのは、もともとは規制の厳しい「風致地区A地域」もしくは「B地域」に指定されていた地区である。それが2020年に規制の緩い「S地域」に指定変更され、そのことによって、樹林地を潰して芝地にしたり、高層ビルを建設したりすることも可能になったという。
倫理学の観点からは、以上の流れに2つの問題を指摘できる。
第1に、事業者の着工届の提出のタイミングと、風致地区における指定変更において「手続き上のフェアネス」が損なわれている。
手続きをしっかり守るとともに、条件が同じならルールが全員に適用されるのがフェアで、誰かが抜け駆けするのがアンフェアである。
環境アセス報告書の縦覧期間がまだ終わっていないのに、また審議会が継続審議としたのに、着工届を出すという行為は、他の人々がルール通りのスケジュールで動いているなかでの一種の抜け駆けといえるため、アンフェアである。
また、ルールを変更する場合にはそれが周知されないとアンフェアといえる。
風致地区における指定変更は、都市計画審議会や議会に報告されずに行われた。これは制度上は認められているようだが、風致地区の一部を開発が容易になるように変更するという場合には、そのことを十分に周知する必要があるだろう。
したがって、新宿区が十分な周知もなく風致地区の地域の指定を変更したのは、アンフェアである。
第2に、環境アセス審議会が継続審議としたのに、事業者が着工届を出したことは、「環境アセスメント制度」の存在意義を否定するものである。
また、風致地区内のこのような変更は、「風致地区」という制度がそもそもなぜ存在するのか、をまったく考えていない点で問題がある。これらは「分配的正義」を損なう行為だといえる。
倫理学者・政治哲学者のマイケル・ウォルツァーの「分配的正義」論によれば、正義にかなった分配の基準は「社会的財」ごとに異なるという。
商品とは違う財が社会には存在し、商品とは違う基準で分配されなければならない、と彼は言う。言い換えれば、自由に売り買いすることを制限されるべき財が社会にはあるということだ。
例えば、(1)薬は必要な患者が入手できるようにすべきであり、お金持ちが買い占めしてはいけない、(2)高等教育は能力に応じて与えられるべきであり、金を積んだ人が大学に入れるしくみはよくない、という感覚が、社会一般にある。薬を金持ちが買い占めたら非難されるだろうし、高等教育がお金で買われたら「裏口入学」と呼ばれることになる。
この考え方を応用して、「環境」を一つの社会的財と見なすことができると思われる。
環境アセスで審査され、「風致地区」として守られてきた「環境」は、商品として売り買いすることを制限されるべき社会的財といえるだろう。
とりわけ「風致地区」として設定されたということは、その地区の環境は特に商品とは異なる基準によって分配されるべき社会的財なのだと認定された、と見ることができる。だからこそ、その地区の利用に規制がかけられてきたのだ。
それを情報公開もせずに開発が可能な形に変更することは、「風致地区」を「商品」に変えることを意味する。したがって、分配的正義の観点から、新宿区による風致地区内のS地域への変更には大きな問題があったといえる。
また、科学的根拠に基づいて環境への影響を評価するしくみである「環境アセスメント」を軽視することは、環境への影響そのものを軽視していることにほかならず、これも環境を社会的財としてではなく「商品」として扱っているといえるので、分配的正義の観点から問題がある。
以上、2023年に入ってからの神宮外苑再開発事業のプロセスに注目して、倫理学の観点から2つの問題を指摘した。
最後に、環境倫理学における「世代間倫理」の観点からこの事業全体に関わる論点を提示したい。
世代間倫理は、現在世代(今存在している人々の集合)が、将来世代(これから生まれてくる人々の集合)に対して良好な環境を残す責任がある、と主張する。
現在世代がある資源を消費して枯渇させてしまったら、将来世代はその資源を使うことができない。このように、現在世代の行いは将来世代の選択の幅に影響を与える。
神宮外苑再開発は、将来世代にどういう環境を残すのか、という観点からも考えられるべきである。その際に、長い年月を経て熟成された景観や、歳月が刻まれた古い建物を残したほうがよい、というのが一つの指針となる。
これはレトロ趣味という言葉で片付けられるものではない。新しい建物が欲しいというニーズは簡単にかなえられるが、古い建物が欲しいというニーズはかなえられない。一度壊してしまったら、将来世代が、昔ここにあった古い建物を取り戻したいと言っても、レプリカを造るくらいしかできないのである。
より深刻な問題として、廃棄物問題がある。現在世代が蓄積させたごみを将来世代が管理するというのは、将来世代に一方的に負担を押し付けることである。
耐用期間の長さから評価すれば、良質なごみは自然分解される生ごみであり、悪質なごみは放射性廃棄物である。生ごみは将来世代の負担にならないが、放射性廃棄物は重い負担になる。
両者の中間にあるのが産業廃棄物である。大型施設を解体すると、大量の建設系産業廃棄物が出る。かつて千葉県の産廃Gメンとして名を馳せた石渡正佳氏は、『スクラップ・エコノミー』という本のなかで、建設系産業廃棄物を減らすために、新築の抑制と中古市場の創設を提唱した。
しかし、現行の神宮外苑再開発計画はスクラップ&ビルド方式だ。これに対して、神宮球場や秩父宮ラグビー場は改修することで活用が可能だという指摘がある。これは将来世代に新築と建設系産業廃棄物を残すか、手入れをされた古い建物を残すか、という選択である。
企業はSDGsを達成するために何か特別なことをする必要はない。SDGsと矛盾する環境破壊を伴う事業をやめることこそ、「賢慮」に基づく判断であり、賞賛に値するものである。
著者:吉永 明弘1976年生まれ。法政大学人間環境学部教授。専門は環境倫理学。著書『都市の環境倫理――持続可能性、都市における自然、アメニティ』(勁草書房、2014年)、『ブックガイド 環境倫理――基本書から専門書まで』(勁草書房、2017年)、『はじめて学ぶ環境倫理ーー未来のために「しくみ」を問う』(ちくまプリマ―新書、2021年)。編著に『未来の環境倫理学』(勁草書房、2018年)、『環境倫理学(3STEPシリーズ)』(昭和堂、2020年)。監訳書に『環境正義ーー平等とデモクラシーの倫理学』(勁草書房、2022年)。
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神宮外苑再開発が「アンフェア」である理由。倫理学の観点から考える