北朝鮮では国民が苦しい生活を強いられている中にあって、金正恩は狂ったようにミサイル発射を繰り返しており、“人権よりミサイル”を優先する金体制への国際的な批判を突き付けた形だ。
そんな北朝鮮での生活に耐えきれずに、死のリスクを冒してでも北朝鮮から逃れようとする“脱北者”は後を絶たない。コロナ禍で国境が封鎖されてその数は減ったとされるが、その窮状はむしろ悪化しているという。そんな脱北者と北朝鮮の“リアルな現在地”とはーー。
ー中略ー
3~5年は息を殺して暮らす
脱北者は北朝鮮で普通に教育を受けたが、金家族の支配に我慢がならず、命をかけて北朝鮮から脱出して韓国に来た人たちだ。
そんな脱北者は現在韓国では約3万4000人。日本には約250人ほどいると言われている。
韓国での脱北者は韓国社会に出ても最初の3?5年は息を殺して生活をする。
自由の国に来たつもりでも、韓国ではどこで北朝鮮(従北市民団体や従北政治家)の目が光っているかわからないからだ。だから、「脱北したという意識(北朝鮮にとっては重大な罪)」から解放されないという。
実際、こんなことがあった。
2020年5月の朝鮮日報の報道で、正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)所有の京畿道(キョンギド)や江原道(カンウォンド)にある施設で、脱北者数名に北に帰るように説得していたことが発覚した。その席には尹美香議員(元正義連代表)の夫、金三石(キムサンソク)氏がいたと報じられた。
また尹美香議員の夫とその妹の金銀周(キム・ウンジュ)氏は北朝鮮のスパイ容疑(スパイとして工作資金を受け取った容疑)で1993年に有罪になったが、文在寅政権下で再審を要求して無罪になっている。
ー中略ー
決して簡単に人を信用しない
脱北者といえども多種多様だが、話す過程で時折するどい目つきになることは脱北者みなに共通していた。
その鋭い目つきは我々が知らない修羅場を潜って来た人特有の恐ろしさと、決して簡単に人を信用しない雰囲気を感じさせた
そういった姿を見ると日本、韓国で報道された北朝鮮の「苦難の行軍」と言われる飢饉での悲惨な内容が頭に浮かびあがるが、この時は何も聞けずにいた。
何度かこの団体の集会に参加する様になり、会食で自己紹介をした時に「私は朝鮮学校出身」と話すと、脱北者たちがそれまでの警戒が嘘だった様に話しかけて来たのだ。
ここの団体に所属する脱北者のほとんどは北朝鮮の地方出身者で、日本から帰国事業で北朝鮮に渡った在日、日本人のほとんどが平壌ではなく地方に送られている。そのため、脱北者たちの出身地の村に在日、日本人が住んでいる村やその一角があったと話してくれたのだ。
「苦難の行軍」の惨状
帰国事業で北朝鮮に渡った在日、日本人は、地方で徹底的な監視、差別を受けていたという。一方で、「苦難の行軍」が始まってから、日本の縁者から援助(仕送り)を受けとる彼らは待遇が変わったとも聞いた。
帰国事業で北朝鮮に渡って来た家庭とは付き合いは多少あっても、家族の誰かが縁を結ぶ(結婚)に至ることは絶対に無かったとも話していた。でも「苦難の行軍」の時期には、帰国事業で北朝鮮に渡って来た家庭との縁結びが北朝鮮での苦難(飢饉)から逃れる一つの手段だったというから驚きであった。
当時、北朝鮮の地方では道端に亡くなった人が大勢横たわり、あまりの飢饉で山の木の皮はすべて剥がして食事の足しにしたという。中には空腹を満たすために、動物や人の糞でさえ拾って食べたという話もあった。
それほど追い詰められていた日常生活の中で、数ヶ月に一度、日本からの援助を受け取れた在日、日本人は彼らにとって、もしかしたらはじめて資本主義を感じ得たことだったかも知れないーー。
豊 璋 在韓国コンサルタント
2023.01.03
☆おすすめ記事☆
<!–
var pbanner_max_view = 10;
var pbanner_noimg_skip = 1;
var pbanner_order_limit = 20;
var pbanner_random = 1;
var pbanner_sort = 0;
// –>
続きを読む
オリジナルサイトで読む : あじあニュースちゃんねる
北朝鮮人、餓死防止の為に人糞を食べ始める・・・