体調を理由に休養を発表した著名なタレントのかたの病名や、病状を「暴露」する記事が相次いでいます。
今月8日に発売された週刊誌の記事では、年内いっぱいの休養を発表したタレントのかたに、実は「がん」が見つかっていて、その治療が思わしくなく、体調が悪い状況が続いているとするものでした(具体的な記事名やリンクは控えます)。
そもそも一般的に、「自分がどんな病気か」ということは、非常にプライバシー性の高い情報だと認識されています。しかもこの記事で取り上げられているタレントの方は、病名を「公表したくない」というコメントを事前に発表されていました。
それにもかかわらず、なぜ病名や病状が報道されたのでしょうか?
憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される」と記されています。プライバシー権についてもこの範ちゅうに含まれると考えられていますので、病名について本人の承諾なく公開するのは通常、許されないことです。
一方で、政治家や著名人など社会的な影響力を持つ人は「公人」とされ、プライバシー権には一定の制限があるとも考えられています。理由のひとつは「報道の自由」との兼ね合いです。
例えば政治家が公的な資金を自分のために使っていたような場合、その使途が「プライバシーだ」と報道が制限されるようでは、社会全体にとって良くない影響がありますよね。そこで公人に関しては、社会全体にとって良い影響がある、すなわち「公共の利益に資する」場合には、プライバシー権の制限されても仕方ないのではないか、と考えられています。
そこでひとつの疑問が生まれます。
著名タレントの病名や病状について、本人の承諾なく報道することは、「公共の利益」のためになることなのでしょうか?
「公共の利益」って、なんとなく聞いたことのある言葉ですが、具体的にどんなものなのか?イギリスの公共放送BBCは編集ガイドラインにおいて、報道における「公共の利益」の考え方について紹介しています。
公共の利益について
個人的な行動、情報、対応や会話は、プライバシーの侵害に勝るほどの公共の利益がなければ公の場にさらされるべきではありません。公共の利益について単一の定義はありませんが、例えば次のようなものです。
・犯罪行為を発見する、明らかにする
・重大な反社会的行為を明らかにする
・汚職や不正を明らかにする
・重大な過失や能力の欠如を指摘する
・人々の健康と安全を守る
・個人や組織による特定の意見や行動により、多くの人が惑わされないようにする
・社会にとって重要なことを考えるために、よりよい理解につながる情報を開示する
表現の自由そのものにも、一定の公共の利益が存在します。
何が公共の利益なのかについて考えるとき、その情報がすでに公になっていないか、間もなく公になるかどうかについて考慮する必要があります。
公共の利益のためにプライバシーを侵害しようとするとき、その価値があるかどうかについて考慮されるべきです。プライバシーの侵害の程度が大きければ大きいほど、それを正当化するためには、大きな公共の利益が必要になります。
(BBC Editorial Guidelinesより 和訳・太字筆者)
上記の公共の利益の「例」について今回のケースをあてはめると、「人々の健康や利益を守る」が該当するといえるかもしれません。著名人が病を抱えたことについて広く伝えることで、その病について多くの人が興味を持ち、早期発見や治療に向かいやすくなる、ということです。
確かに、今回の記事をきっかけに病名が広く知られることで、研究や治療の発展につながる可能性もあるかもしれません。しかし仮に公共の利益があるとしても、それは「プライバシーの侵害の程度」に照らして適切なのか?を考える必要があります。
そこから考えると、今回報道された病名は、わざわざ「暴露」しなければ多くの人が知りえなかったものではありません。暴露されることによって、ご本人に与えるであろう精神的な負担と比較すれば、得られる「公共の利益」は十分に大きいとは言えないと私は思います。
マスメディアの機能に「アジェンダ・セッティング(議題設定)」があるという考え方があります。社会において、あるテーマが重要な議題とされるかどうかが、メディアでどれだけ採り上げられるかに左右される、という考え方です。
確かに、メディアの報道が「空気」を作ることがある、という点は否定できないかもしれません。
そこから考えて危惧されるのは、メディアが本人の意思に背いて病名を「暴露」するようなケースが相次ぐことで、そうした行動が「許される」という空気ができることです。
最近、著名人が休養を発表する際に、本人や所属事務所が病名を公表するケースが相次いでいます。
9月30日には、『アイドルマスター シンデレラガールズ』の夢見りあむ役で知られる声優・星希成奏さんが、「急性リンパ性白血病」と診断されたことを公表。
また11月1日には、人気アニメ「チェンソーマン」のマキマ役として知られる声優の楠木ともりさんが、遺伝性疾患「エーラス・ダンロス症候群(関節型)」と診断されたことをホームページで公表しました。
なぜ、自分の病名を、わざわざ公表する必要があるのでしょうか。
もしかすると、ご自身の病名を発表することで、同じ病に悩む人を勇気づけたり、治療の研究に光が当たることを期待されたのかもしれません。
しかし、もしも「仕事を休むのにその原因を言わなかったら、どんな噂を立てられるかわからない」という理由で公表に至らされたのだとしたら。それは自然なことでしょうか。
もちろん、本当の事情は分かりません。
しかし、突然の病気が判明し、仕事を休んで治療に向かわなければならないご本人が、あえてそのことをわざわざ世に「説明」しなければならないとしたら。それは自然ではないというか、生きづらい世界なのではないかと思います。
もちろん、何にどのくらいの価値があるかの基準は人によって、置かれた状況によって変わりうるものです。上記は私の考えであり、「著名人であれば、プライバシーは制限されて当然」という考え方や、「多くの人が興味を持つ話題なのだから、遠慮なく報道すべき」という考え方の人もいらっしゃるかもしれません。
でも、だからこそ、こうした報道があるたびに、その意義について丁寧に考えることが大切なのだと思います。
著名人の病気に関する情報を報道することに、どれだけの「公共の利益」があるのか?最後までこの記事を読んでくださった皆様はどう感じられたでしょうか。改めてほんの少しの時間だけでも、考えてみていただけたら幸いです。
(2022年12月10日の市川衛さんのYahoo!ニュース個人掲載記事『有名人の病名の「暴露」は、許されるのか』より転載)
オリジナルサイトで読む : ハフィントンポスト
有名人の病名の「暴露」は、許されるのか