「騎馬戦が怖い」というのはわがまま? みんなが納得する方法を高校生が考えた

左から、高校生の尾上康太郎さん、井手ノ上さん、木村さん、坂野さん。画面は星野俊樹さん 「京都私学フェスティバル」より

生徒みんなが学校で過ごしやすくするにはどうしたらいいんだろう。OTEMOTOが2022年8月に公開した記事「上半身裸の騎馬戦という「地獄」に苦しんだ僕は、教師になった」を読んだ高校生たちがイベントを企画し、小学校教諭の星野俊樹さんを招いて語り合いました。

このイベントは「京都私学フェスティバル2022」の一環で、京都、滋賀の私立高校に通う生徒たちが2022年11月20日に京都市で開催しました。生徒たちは生徒会活動などを通して性の多様性について学んだり活動したりしていたことから「LGBTQ+と教育」をテーマに星野さんの講演と、高校生4人とのパネルディスカッションを企画しました。

そのつど議論しなくていい仕組みを

パネルディスカッションの司会をつとめた近江兄弟社高校2年の尾上康太郎さんが企画に参加したきっかけは、性的マイノリティの当事者との出会いでした。

尾上さんは中学生のころ、人権学習で差別や多様性について学び、社会課題に関心をもつようになりました。

高校生になると、身近にトランスジェンダーの当事者がいました。さらに社会に目を向けると、一部の学校で男女どちらの更衣室を使うか、男女別の体育の授業のどちらを履修するかなど、先生たちがそのつど会議を開いて議論している実態があることを知りました。

当事者が学校で過ごしやすくするための配慮でしたが、ひとつひとつの対応に時間をかけるのではなく、学校に性的マイノリティがいるのが当たり前だという前提で仕組みをつくれないのだろうか、と尾上さんは考えました。

「社会問題に立ち向かうために行動する高校生たちに、『高校生にはまだ早い』『子どもなんだから』と言う大人もいますが、高校生だからこそ感じること、動けること、考えられることがあると思っています」

男子校ならではの雰囲気

京都府の男子校に通う坂野さんは、星野さんが自身の子ども時代について語ったOTEMOTOの記事を読み、「自分が生きている中ではありえない、壮絶な人生だ」という感想をもちました。

星野さんは1977年生まれ。教育熱心な親のもとで生まれ、父親や教師らから暴力や暴言をふるわれてきました。当時、性的マイノリティは揶揄される対象でした。中学生のときに初めて好きになった相手が男子だったことで、「同級生にバレたらいじめられる」と混乱しました。高校では男子集団のヒエラルキーで生き延びるため、周りに合わせて「普通」を演じ、本当の自分を押し殺してきました。

2000年代に生まれた坂野さんは、あからさまに理不尽な指導を受けた経験はありません。ただ、中学から通っている男子校には、星野さんが言う「男子校ノリ」のような雰囲気があるといいます。

「男子校には『男子』しかいないと思っている人が多いので、性的マイノリティについて考える機会がほとんどありませんでした。今年になって学ぶ機会があり、それから自分なりに勉強会に参加したり調べたりするようになりました」

坂野さんは自ら学ぶうちに、性自認が男性である人ばかりではないこと、異性を好きになる人ばかりではないことを知りました。

「頭髪の決まりが厳しい学校なのですが、『男らしさ』を象徴する髪型を強制されることでつらい思いをしている生徒もいるかもしれない。自分の学校にも関係していることなのだとわかりました」

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多様な意見をどうまとめるか

生徒たちは、学校が性的マイノリティの生徒を含むすべての生徒が過ごしやすい場所になるよう、校則や仕組みについて自分たちの意見を先生に届けたいと考えています。ところが、生徒の意見をまとめるときに壁にぶつかります。

パネルディスカッションでは、多様な意見を尊重してまとめることの難しさについて、生徒たちが話しました。

京都の私学高校に通う井手ノ上さんは、課題解決型学習の一環として、生徒4人のグループでLGBTQ+を取り巻く問題について取り組んでいます。先生と生徒にLGBTQ+の認知度に関するアンケートをしようと企画したときに、「当事者が傷付く可能性があるのでは」と先生から指摘を受けた経験を例にあげました。

同じグループで活動している木村さんも、「アンケートの中にはLGBTQ+を支援したくないという回答もあり、いろいろな人の意見がぶつかる難しさを実感した」と話しました。

星野さんは「考え方が違う人たちが集まる学校で、お互いの言い分を調整してみんなが納得する形を模索した例」として、5年前に小学6年生の担任をしていたときの運動会のエピソードを紹介しました。

みんなが納得する種目とは

星野さんが勤める学校には、毎年恒例の「旗取り」という学年競技がありました。「棒倒し」に似た競技で、2チーム対抗で相手の陣地に攻めていき、棒の先端につけた旗を取ったほうが勝ちというルールです。

「旗取りが怖い」という児童がいたことから、旗取りをやりたいかどうかアンケートをとったところ、「やりたい」「やりたくない」「どちらでもない」という意見がそれぞれ3分の1となりました。「やりたくない」と答えた児童からは「けがが怖い」「誰かがけがをしたら運動会が台無しになる」などの意見がありました。

そこで、旗取りよりはけがのリスクが低い「騎馬戦」を選択肢に加えたところ、「騎馬戦をやりたい」が50%、「旗取りをやりたい」が25%、「安全な競技ならいい」が25%となりました。

このため星野さんは「みんなが納得する形は『安全性が確保された旗取り』ではないか」と、運動会までの残りわずかな時間で、新しい旗取りのルールを考えました。子どもたちが激しく衝突しないようバリアゾーンを設けた旗取りのルールを児童に説明したところ、ほぼ全員が納得したといいます。

「わがまま」を共有して

また、旗取りについて子どもたちの意見を聴いていく中で「こんなことを言うのはわがままかもしれないけど…」など「わがまま」という言葉を使う子どもがいたのが印象的だったそうです。

「自分の意見をはっきり表明することを『わがまま』だとネガティブにとらえる子どもの姿は、人権について理解が浅かったころの自分と重なりました。他者のわがままと徹底的に向き合うことは民主主義につながります。納得がいかないときには意見を表明し、声をあげ続けていいんです」

「自分ひとりでは『わがまま』を言いづらいときは、仲間をみつけてほしい。髪型や服装の校則に疑問をもっている人とつながって、生きづらさやわがままを共有してみて。案外、先生と生徒の間にも共通の問題意識が生まれるかもしれません」

これを聞いた高校生たちは「遠慮せずにもっと自分の意見を言っていいんだ」と感想を語りました。井手ノ上さんはこう話しました。

「いろんな人のわがままを集めて、ひとりひとりの意見を大切にして社会を少しでも変えていくことができたらうれしい。不可能かもしれないけれど、誰に対しても壁のない社会をつくりたい」

最後に、会場で参加していた作家のアルテイシアさんがマイクを握りました。

「私が学生のころは、ジェンダーやセクシュアリティの教育はありませんでした。性的マイノリティを揶揄するものまねが流行していて、当時の私は、そのものまねに傷付く子がいるということを知りませんでした。当時の私に聞いたら、『私は差別なんかしていない』と言うと思います」

「悪意のない人でも、知識がなければ差別をしてしまうことがあります。差別は思いやりや優しさではなくなりません。ひとりひとりが知識を身につけることが大事なのです」

自身の学生時代を振り返りながら、高校生たちに学び続けるようメッセージを送りました。

(取材・文:小林明子)

(2022年12月5日のOTEMOTO掲載記事「「騎馬戦が怖い」というのはわがまま? みんなが納得する方法を高校生が考えた」より転載)

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「騎馬戦が怖い」というのはわがまま? みんなが納得する方法を高校生が考えた

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