◆国民が政治の主体であることを理解している韓国と、そうとはいえない日本
とはいえ私が言いたいのは「警察が悪い!」ってことじゃなく、冒頭で書いたこういう事態に対する日本人の反応、そこにある「自己責任論」についてです。
何かが起こった時に、日本人が「大きいもの」ーー例えば、会社、自治体、国、政治の責任に思い至らないのは、基本的人権を擁する自由と民主主義の社会よりも、鎌倉時代から江戸時代に連なる封建主義社会の、つまり支配者にたいする臣下とか小作農の(つまり上下関係の)精神性です。臣下や小作農にあるのは権利ではなく、お上から求められる奉公と忠誠、そして押し付けられるままに支払う年貢のみ。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が描くのがまさにこの体制が確立した時代で、自分にたて突く御家人を次々排除する北条義時(小栗旬)を見ても、それがまったくもって民主主義でないことがわかります。義時が守っているのは、御家人(=国民)でなく、国体=つまり国の体制だからです。
1日にソウルで行われた会見は「全ての質問がなくなるまで」行われ、大統領に代わってハン・ドクス首相が「国民の安全に対して最終的に責任を取り、無限大に責任を負うのが我が政府」とコメントしています。その言葉が真実か否かは引き続き目を光らせる必要がありますが、そうした言葉が出てくるのは、大統領に「ここで下手を打てば国民によってその座から引きずり降ろされる」という認識があるからです。
韓国社会が本当に民主主義的かどうかはさておき、少なくとも韓国人は「国民」が政治の「主体」であることーーつまり「民主主義」を理解しています。かたや日本では、政治や社会に対する誰かの怒りの声を、同じ国民が「自己責任だろ」とつぶしています。為政者にしたらこれほど都合のいい、チョロい国はありません。
11/14(月) 7:16配信
webマガジン mi-mollet
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9919573a1ede3a40bf26cebcdd9e6104b8a692f?page=2
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