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「助けて」と言えない人もいる。渋谷ホームレス殴死の背景を追う。コロナ禍の「社会的孤立」と自己責任の弊害

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2020年11月、渋谷区・幡ヶ谷のバス停で寝泊まりするホームレスの女性が、近くに住む男に頭を殴られて死亡した。亡くなった女性は大林三佐子さん(当時64歳)。コロナ禍で仕事と住まいを失い、運行を終えた後の深夜のバス停で、ひっそりと夜を明かしていた。

「彼女は私だ」ーー。事件後には追悼集会やSNSでそんな声が広がった。コロナ禍で多くの人々が職や住まいを奪われ、「最低限度の生活」すら脅かされてきた。誰しもが“彼女”と同じ状況に置かれてもおかしくはないー。現在公開中の映画『夜明けまでバス停で』はこの事件をモチーフに、コロナ禍における「社会的孤立」を描いた作品だ。

メガホンを取ったのは高橋伴明監督。袴田事件を題材にした『BOX 袴田事件 命とは』や在宅医療の現場を描いた『痛くない死に方』など社会派作品を多く手掛けてきた。コロナ禍のいま、「渋谷ホームレス殺人事件」をテーマに掲げた理由や、作品に込めた「怒り」について聞いた。

高橋伴明監督高橋伴明監督

◇◇◇

男が石入りのポリ袋で…バス停で寝泊まり中のホームレス女性を襲った悲劇

映画のモチーフとなった事件は今からおよそ2年前。2020年11月16日明け方に起きた。

渋谷区・幡ヶ谷のバス停のベンチで大林さんが寝泊まりしていたところ、近くに住む男に石などが入ったポリ袋で殴られ、外傷性くも膜下出血により亡くなった。事件から5日後に逮捕された男は「邪魔だった。痛い思いをさせればいなくなると思った」などと供述。男は逮捕後、傷害致死の罪で起訴されたが、保釈中に死亡しているのが見つかった。自殺とみられている。

路上生活者の女性が亡くなったバス停に供えられた花束=2020年11月27日、東京都渋谷区路上生活者の女性が亡くなったバス停に供えられた花束=2020年11月27日、東京都渋谷区

理不尽かつ身勝手な理由で、ひとりの女性の命が奪われた事件は大きな波紋を呼び、事件から半月後には渋谷区で追悼デモが行われるなど社会的耳目を集めた。一方、高橋監督も事件の報道は目にしていたものの、世間の反響とは裏腹に当初、映画化への意欲はなかったという。

「日頃から様々な事件に注目しているなかで、珍しく加害者側にも被害者側にも感情移入ができない事件でした。特に加害者が犯行に及んだ理由があまりにも希薄でしたし、被害者の女性にも殺されなければならない理由が全く見当たらない。単なる『不条理』としか思えない事件だったので、記憶にとどめておきたいと思いつつ、映画化は難しいだろうと思っていました」

事件について見つめ直したのはその翌年、主演を務める俳優・板谷由夏さんと旧知のプロデューサーから映画化の打診を受けたことだった。同時期に、大林さんの半生を追ったNHKのドキュメンタリー番組『事件の涙 たどりついたバス停で〜ある女性ホームレスの死〜』が放送されたこともあり、事件に対する見方が変わっていった。

「夜明けまでバス停で」「夜明けまでバス停で」

「NHKの番組をきっかけに『彼女は私だ』という女性たちの共感が広がっていることを知り、誰もが彼女・被害者になり得る事件だったんだという視点で作り上げていこうと考えました。コロナ禍により突然仕事を失い、部屋を追い出され、再就職もままならず、非常に短い時間のなかでホームレス生活を余儀なくされる。被害者の女性がたどった時間軸のなかに“いま国に対して自分が怒っていること”の一部を表現することで、もうひとつの物語を作ろうと思ったんです」

高橋監督自身、コロナ禍で“失業”に近い状況に陥った。エンタメは「不要不急」とされ、「新作映画の企画は通らず、撮影を終えた作品も公開が1年近く延期された」という。

監督自身もまた、事件の「当事者」になり得たかもしれない。この事件を単なる悲劇で終わらせずに、事件に至ったコロナ禍の社会背景を克明に描き、ひとりひとりが映画の「主役」となり得る現状を映し出した。

「夜明けまでバス停で」「夜明けまでバス停で」

社会的孤立の背景にある「自助・共助・公助」という欺瞞

『夜明けまでバス停で』のシナリオは、実際の事件が起きた背景やコロナ禍の状況を下敷きにしている。

事件の被害者である大林さんは広島県で生まれ、結婚を機に上京するも、夫の暴力が原因で離婚。路上生活を始める前はスーパーで食品販売員を務めていた。非正規雇用という不安定な立場にコロナ禍が追い打ちをかけ、店頭での仕事が激減。2020年春頃からバス停で寝泊まりする姿が見かけられていたという。

「夜明けまでバス停で」「夜明けまでバス停で」

同じ関東で暮らす兄弟に連絡を取ることもなく、誰にも頼ることなく、寒いバス停でその生涯を閉じることを余儀なくされた。

板谷さんが演じる主人公・三知子は45歳の女性でひとり暮らし。年齢こそ違うものの、大林さんに似たバックグラウンドを持つ。アクセサリー作家として細々と作品を販売するかたわら、居酒屋で住み込みのパートとして長年働いてきた。ところが、コロナ禍で突然居酒屋の仕事を解雇され、仕事と住まいを同時に失い、ホームレスになってしまうーー。

「夜明けまでバス停で」「夜明けまでバス停で」

映画では三知子の暮らしを通して、コロナ禍の時間軸をたどることができる。毎晩繁盛していた居酒屋は、2020年3月に発令された「緊急事態宣言」を機に休業。パート社員である三知子や外国人労働者たちは、何の説明もなく、メール一本で解雇されてしまう。非正規雇用の不安定さや生理の貧困、年齢や性別による差別…コロナ禍で浮き彫りになった様々な問題が、1時間半の作品に凝縮されている。

中でも印象的なのは、菅義偉前首相が「自助・共助・公助・絆」と訴える姿が映る街頭ビジョンを三知子が見つめるシーンだ。三知子は家族との折り合いも悪く、周りに迷惑をかけまいと人に頼ることができない性格。別れた夫が自分名義のカードで使い込んだ借金をも、肩代わりして返済を続けている。そんな性分にこの「目指すべき社会像」が重くのしかかり、彼女自身はさらに窮地へと追い込まれてしまう。

自民党総裁選挙候補者討論会で発言する菅義偉官房長官=2020年9月12日、東京都千代田区の日本記者クラブ自民党総裁選挙候補者討論会で発言する菅義偉官房長官=2020年9月12日、東京都千代田区の日本記者クラブ

「三知子は周りから『そんなことはおかしい』と言われても、そんな夫を選んだ自分が悪いと思っている、まさに自己責任の人なんです。だからこそ、コロナ禍で仕事や家を失っても『自分のせいだ』とひとりで抱え込み、周りに頼ることができない。そんな『助けて』と言えない状況を象徴するシーンとして、菅元首相が『自助・共助・公助』を掲げるニュース映像を使いました。

僕は順番が逆だと思うんです。まずは『公助』が真っ先に来るべきだろうと。でも、三知子のようにその言葉を真っ直ぐに受け止めてしまう人がたくさんいるのではないでしょうか。それは、私たちが国からきちんと公助を受けてきた歴史がないからだと思うんです。戦時中といい『お国のために』と国に尽くすことが当たり前とされてきたわけですから。

ただ、初めに『自己責任』を押し付けられ、頑張ってもどうにもならなくて、周りに頼ることもできずに『もうどうにもならない』と亡くなった人に共助も公助もありませんよね。あのシーンには、そんなちぐはぐな社会像への怒りを投影しました」

劇中で路上生活者の男性がつぶやく「明日目覚めませんように」との言葉が胸に痛く突き刺さる。大林さんが周りに助けを求められないまま事件の被害者となり、悲しい最期を迎えたことも、決して政治と無関係ではなかったはず。そんな監督のメッセージが伝わってくる。

劇中で路上生活者の男性がつぶやく「明日目覚めませんように」との言葉が胸に痛く突き刺さる。大林さんが周りに助けを求められないまま事件の被害者となり、悲しい最期を迎えたことも、決して政治と無関係ではなかったのではないか。そんな監督のメッセージが伝わってくる。

「夜明けまでバス停で」「夜明けまでバス停で」

「人と人との繋がりに可能性を感じたい」事件と異なる結末に込められた思い

周囲との連絡を絶ち、路上生活者となった三知子。運行を終えた深夜のバス停で寝泊まりする彼女のもとに、素性の見えない男の不穏な影が忍び寄るーー。このまま三知子も、実際の事件と同じ結末をたどるのだろうか。しかし、高橋監督は懸命に生きようとしていた大林さんの人生に敬意を払いつつ、劇中では異なる展開を描いた。

コロナ禍によって社会的孤立を深めていく、暗く不穏な空気が漂う前半とは対照的に、後半では路上生活者の老人・バクダン(柄本明)との出会いにより物語は思わぬ方向へと動き出す。突飛な展開に映るかもしれないが、これには高橋監督のある思いが込められている。

「夜明けまでバス停で」「夜明けまでバス停で」

「社会的孤立に追い込まれた『かわいそうな女性』で終わらせるのではなく、孤立とどう向き合い、アクションを起こしていくのかという過程を描きたかったんです。三知子は『助けて』と言えないキャラクターとして描いていますが、自分からSOSを出せなくても、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。そんな人との繋がりに可能性を感じたい、物語の中だけでも彼女が救われてほしいという思いを込めました」

声を上げてもらわないと周りは助けようもない。そんな意見もあるだろう。ただ、仕事や住まいを失い、尊厳を傷つけられた当事者ほど声は小さく、様々な事情で「助けて」と言えない人たちもいる。そんな当事者たちの悲しい末路を「自己責任」の一言で片付けるのではなく、その手前で手を差し伸べることができたらーー。作品の結末からは、そんな監督自身の「連帯への希望」が垣間見えるのではないだろうか。

(執筆・取材:荘司結有、編集:濵田理央

高橋伴明監督高橋伴明監督

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「助けて」と言えない人もいる。渋谷ホームレス殴死の背景を追う。コロナ禍の「社会的孤立」と自己責任の弊害

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